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「スウェーデンとイギリスの調査によると、音楽は生活の約40%に存在している」

人数分の紙を両手で緩やかに揺らしながら音代はそう言う。
紙を列の人数分指先で数えながら動く音代を興味深そうに生徒たちが目で追った。

「そしてその中の約60%が音楽を聴いている間、あらゆる感情を喚起させている」

「当たり前のことじゃね?」

ある生徒が音代の言葉に対してそう言った。
音代はゆっくりと瞬きをして声をした方に視線を向ける。
音代から紙を受け取った1番前の席の女子生徒が音代のその端正な顔立ちに一瞬見惚れ、我に返ったように1枚紙を自分の手元に置き、残ったものを慌てて後ろに回す。
そして、その紙に視線を落とし「何これ」と小さく呟いた。

「その当たり前をなぜだと思ったことはないか?
なぜこの音楽を聴いたら、懐かしい気持ちになるのか、なぜ、楽しい気持ちになるのか、なぜ、悲しい気持ちになるのか」

音代は紙を配り終え、教卓に戻って生徒たちを見渡す。

「音楽と感情については、いろんな説が存在するが、今日はこれについて皆んなに考えてもらいたい」

生徒たちは音代に促されるまま紙に視線を落とす。

「“記憶”だ」

音代は考えた。生徒が今までどんな音楽を聴いて育ったのか、そしてどんな気持ちを抱えて音楽と共に生き、成長したかを知れば1人1人のことが理解できると。

「ここには、君たちの音楽の記憶を書いてほしい。何歳の頃どんな音楽をきき、どんな感情になったか。そして現在、どんな音楽をきいているか」

「何のために?」

そう発言したのはこの2年1組、学級委員の橋田だ。その声色は少し挑発が含まれていた。

「不満か?橋田。自分がどんな音楽を聴いてきたか知られるのが恥ずかしいか」

あえてその挑発にのるように少し口角をあげた音代。
ーーー自分の内側の秘めている感情を知られるのは誰だって恥ずかしい。
あー、この人こういう音楽聴いているんだ、意外。
その感情を他者にもたれるのは、存外恥ずかしい。そのことを知っている音代は橋田がむっとした表情になったのをみて満足そうに少し笑う。

「別にそういうわけでは」

「案外、楽しいものだぞ。昔聴いていた音楽を書き起こせば、また聴きたくなったり記憶が蘇ってきたりする」

音代の言葉に、生徒たちがシャーペンを持ち始める。
ある生徒がある生徒に「うわ、これ聴いてたの?懐かしい!俺も書こう!」そう言って声を弾ませる。徐々に生徒たちが盛り上がっているのを感じ、我ながら、いい案だ。と、音代は小さく頷いた。

「先生」

満足そうに歩き回っている音代が近くに来たタイミングでそう声をかけたのは金髪の九条だ。
「なんだ」と音代は足を止める。ちらりと九条の用紙に目を落とせばきちんと埋められている途中だ。
九条に対してこういうのはサボるタイプだと勝手に思っていた音代は、少々戸惑いながらもう一度「なんだ」と九条に問いかける。

「さっき言ってたやつって、記憶がなくなった人にでも言えることなんすかね」

「さっき言ったこと?」

「記憶が、ってやつ」

どういうことだ、と音代は首を傾げる。そしてしばらく九条の言葉を噛み砕くように考えた。
記憶がなくなった人に対しての音楽。
音楽を聴けばという仮定が先にくれば記憶は後からついてくる。

「まあ絶対とは言えないが、記憶を失った人が音楽を聴いて過去のことを思い出すことはある」

「ふーん」

「タンバリンのこと」

「っ」

ギクリと肩を上げた九条。音代は少し屈みながら九条を見た。

「それと何か関係があるのか」

理由を知りたい音代は、このチャンスを逃さまいと九条を見つめる。
九条の反応は言葉はでていないものの肯定をしているようなものだった。

音代はこういう時の距離の縮め方が分からない。「話をきくぞ」「なんでも相談しろ」
脳内を占める言葉はどうもしっくりこない。
迷っているうちに
「違うし、はやくどっかいけよ うぜぇな」と片手であしらわれる始末だ。
少々理不尽な気持ちになりながらも音代はため息混じりに言葉を放つ。

「タンバリン、黙って盗むくらいなら俺がいる時に音楽室に来い、普通に貸し出ししてやるから」

九条の返事はなく、音代は再び小さなため息をついて教卓に戻った。