人類が滅亡する——
 そんな馬鹿げたニュースを最初に耳にしたのはいつだったっけ?
 どこか外国の天文台が、『けっこうな大きさの小惑星が地球に衝突する可能性あり』って発表したのが最初だったはず。私はこの時点では知らないでいたけれど。
 それが、あれよあれよという間に『恐竜が絶滅した6600万年前よりも大きな小惑星が、極めて高い確率で地球に衝突する』に変わった。
 気づいたときには、その情報は私の身近なものになっていた。
 連日のように、権威があるんであろう科学者やら大学教授やらが至極真面目な顔をして、テレビやネットニュースに出演するようになっていた。
 『極めて高い確率』ってのが、果たしてどの程度高いのか、その具体的な数字は知らない。
 それなのに、あら不思議。
 そういうニュースを見聞きしているうちに、始めのうちは歯牙にもかけていなかったはずが、ひょっとするとそういうこともあるのかも……? という気になってくるのである。
 そしてそれは、どうも私だけでなかったらしい。
 次第に世の中全体がそういう雰囲気に覆われていくのを感じた。
 『神が人類に対して怒っている』だとか、『今からでも悔い改めれば、地球が再生したのち生まれ変われる』だとかって主張する宗教団体もわんさか現れた。
 ときには、『隕石は嘘だ、本当は宇宙人が侵略してくるんだ』という胡散臭い説を叫ぶナントカ研究所なるものまで出てきた。
 こんなふうにして世界は混乱していった。

※※※

 月曜は朝から食欲もやる気もなかった。
 ちびちびとインスタントコーヒーを飲みながら、時計代わりに点けっぱなしにされているテレビを見ていた。
 画面の下部に、小惑星が地球の大気圏に到達する予想日時が表示されている。
 その日時には当初3、4日くらいの幅があったと記憶しているけれど、小惑星が地球に近づくにつれ、みるみる狭まってきていた。
 今日からきっかり1週間後というのは決定的になったらしい……
 あれ? そういえば、小惑星が地球に衝突するのって、可能性が極めて高いんじゃなくて、決定事項になったんだっけ?
 『日本では、22時から23時頃になると予想されていますが……』と、コメンテーターが話すのが聞こえてきた。
 小さな子どもは就寝中に、ということか。不幸中の幸いかな。
 私はその時間どうしていようか……
 ぼんやりと考えていると、お母さんがテレビの前を横切った。

「コトコ、今日は1限からあるんじゃなかった?」
「そうだけど、1週間後に人類が滅ぶってのに大学に行ってる場合じゃないっていうか……」

 講義の出席数は目に見えて減っていた。
 私の友人も、何人かは旅行に出かけている最中だ。

「生き残れたときに留年でもされたら、学費に困るじゃないの。昭和の小学生みたいなこと言ってないで」
「『昭和の小学生みたいな』って?」
「昔もあったのよ。『1999年の7月に人類が滅亡する』っていう大予言が。当時の小学生は、『どうせ滅亡するんだから勉強なんかしても無駄』って言って、親に叱られた経験がもれなくあったんじゃないかな」
「そのときの大人はどうしてた?」
「ほとんどの大人は信じてなくて、今ほど大騒ぎはしてなかったわよ」
「お母さんは?」
「昔は夏休みとか年末なんかによく特番やってて、それを見た直後だけはそんな気になったけど、そこまで真剣には信じてなかったかな」
「今回は? 今回も信じてない?」
「わかんなーい。でも、世界規模の壮大な勘違いだったらいいな、と思ってる。それで、後世の人たちには『21世紀の人類は馬鹿だったんだなー』って、ぜひとも爆笑してもらいたい!」

 お母さんは口を動かしながらも、体もしっかり動かし、家中の燃えるゴミを集めていた。

「社会はきちんと動いてて、ゴミの回収にも来てくれるから、お母さんだってゴミ捨てするの。鉄道会社の人たちは電車を運行してくれて、教官は講義をしてくれるんだから、コトコも真面目に勉強しなさいね。ほら、行ってらっしゃい」
「はいはい」
「あっ、そうだ! 週末お兄ちゃんが来るって。マキさんと一緒に。土日どっちがいい?」
「別にどっちでも」

 お母さんが一寸手を止め、私のことを不憫な子でも見るかのような目で見た。
 最後の週末に約束がないなんて……とでも思っているんだろう。

「行ってきまーす!」

 その視線に耐えられず、行きたくもない大学へ1限目から行くことにした。

※※※

 大学の門前では、今日も盛んにビラが配られていた。
 受け取るつもりはさらさらないので足を速めつつ、しかし配っている人たちの手元はしっかりと盗み見た。
 いつもの宗教サークルのようだ。
 小惑星が地球に衝突する時間、どこかに集合して転生するための儀式をおこなうつもりらしい。『今からでもサークルへの加入は大歓迎!』と謳っている。
 サークルの現メンバーだけで助かろう、なんて狭量ことは考えないんだ。
 とても立派なことだと思う。その心根は、ぜひとも大事にしていただきたい。生き残れたときも、転生に成功したときも。
 おおっと、そんなことよりも今は講義だ。せっかく出席するなら、遅刻はしたくない。1限目の教官は、たとえ1分でも遅刻しようもんなら、出席点を半減というペナルティを容赦なく課してくるのだ。
 門の前は賑やかだったのに、門を過ぎた途端に空気がひっそりとした。
 歩くスピードを維持したまま、ひと気の少ない構内を奥に進んだ。


 急いだかいがあって、教室には5分前についた。
 教室の席は、見事にまばらに埋まるだけだった。
 この光景も見慣れてしまったなー。
 それでもアミの姿を、窓際のやや後方に見つけた。
 フウタはあれからアミの元へ直行したのだろうか……
 アミに声をかけるのを一瞬躊躇った。
 けれど声をかけないで、わざと離れた席に座るのはどうしたって不自然すぎる。こんなガラ空きの教室で見つけられないはずがない。
 それに私自身が、大切な親友と最後に気まずくなるなんて絶対に嫌だと思った。それもフウタのせいで、なんてもっての外だ。

「おはよう」

 私の声に反応して、アミが振り返った。

「あっ、おはよう……」

 私は直感した。
 これは、フウタから話があったな。
 でも、素知らぬ振りをすることに決めた。

「そういえば、アミは最後の晩餐、何にするか決めた?」

 『最後の晩餐』は、最近の私たち……どころか、たぶん全人類の間で頻繁に話題に上る。

「うん……ナオヤと、」

 アミも私と話すことに緊張しているようだ。
 『ナオヤ』と発した声が、普段よりも高い。

「ナオヤの下宿ですき焼きしようって。ほら、だってその日は飲食店も休業のところが多いでしょ」
「すき焼きかー。それもいいねー。そうだ、いいお肉食べたいよね? なら、通販とかで早く買っておいたほうがいいかもよ?」
「そうなの!?」
「ほら、『うちは家族会議で、伊勢海老にするか、A5ランクの牛肉にするかでモメてる』って話したの、覚えてる? 通販サイトを調べたら、伊勢海老とA5牛肉はどっちもすごい人気で、値段が毎日上がってたし、完売してるのも多かったよ。当日だとスーパーにもないかも」

 それは、『日本人が選ぶ最後の晩餐のツートップ』だそうだ。どこ調べかは不明だけれども。
 我が家がモメた理由は、私が最後の晩餐を両親と食べるか保留していた上に、両親の意見が分かれたから。
 お父さんが牛肉に、お母さんが伊勢海老にそれぞれ票を入れていた。
 しかし、この度めでたく……はないが、私も一緒に食べることになったので、伊勢海老に清き1票を投じさせてもらった。
 こうして我が家は伊勢海老で決着し、一昨日ようやく3尾ほどポチった。
 ちなみに、3尾にするか5尾にするかでもモメたけれど、『伊勢海老以外も食べたい』という意見がお父さんから上がったことで3尾になった。
 私が伊勢海老にしたのは、いつか家族旅行で泊まった旅館みたいに、翌朝に伊勢海老の頭が入ったお味噌汁を飲みたいから!
 生存できますように、という一種の願掛けのようなものも含んでいるのだ。

「えー!? 今日さっそくナオヤと相談する。教えてくれてありがとう!」

 そこまで話したところで担当教官である教授が教室に入ってきてしまったので、私たちは会話を切り上げた。
 正面を向くために座り直しながら、こっそり息を吐いた。
 出だしこそ怪しかったものの、アミと普通に話すことができてよかった。本当によかった。
 アミは、バイトの先輩でもあるナオヤくんと付き合っていて、ふたりはとても仲がいい。最後の日を一緒に過ごすのも当然なほど。
 だから、フウタが入り込む隙なんて、全くないのだ。
 それなのに……


 あれは先週の金曜のことだった。

「ねえ、最後のデートはどうする? いい加減決めようよ」

 私には、同じ大学に通う彼氏がいた。腹立たしいことに、『いる』ではなく、『いた』だ。
 入学して割とすぐに付き合い始めた私とフウタ。新入生ガイダンスでたまたま近くに座ったことで知り合った。それからも必修の語学でことごとく一緒のクラスになって、自然と助け合うようになった。
 あっという間に友達になって、あっという間に友達以上になって……まさに意気投合! だったと思う。
 あの日までの1年半は、小さな喧嘩すらもしたことがなく、とてもうまくいっていた。
 だから、最近はお互いに友人と会って別れの挨拶をするのに忙しかったけれど、当然ながら『最後の週末か当日はふたりでデートしよう』という話もしていた。

「他の予定も可能な限り入れたいし、せめて日にちだけでも決めておきたくて、」
「そのことなんだけど……」

 自分の顔が強張るのを感じた。
 たったそれだけで悟ってしまったのだ。約束が反故にされる、と。

「最後だから自分の気持ちを隠すのはやめることにする。俺、本当はアミのことが好きなんだ!」
「はああ? アミ!?」

 約束を反故どころではなかった。
 まさか、人生の終わりに振られるなんて……。
 フウタはキリッと、いいこと言った風の顔をしていた。
 けれど、そんなフウタに私は呆れた。
 だって、アミからしたらいい迷惑なはずだ。交際順調な彼氏がいるのに、ほんの少し前まで親友の彼氏だった男から告白されるなんて。
 ただでさえ人類滅亡なんて絶望的な状況なのに、わざわざこれ以上の波風立ててくれるなよ!
 それに、もし滅亡しなかったら、残りの長い大学生活をどうしてくれるつもり!?
 もし私がアミなら、そう思う。

「ごめん! 今の俺は、1分1秒でも惜しいから!」

 姫への真実の愛を自覚した王子さながらに去っていくフウタを、私はただただ眺めていた。
 そして、結果はお察し、だ。


 今週も大学でフウタを見かけた……どころか同じ講義にも出席したけれど、フウタとはひと言も交わすことはなかった。
 私だけでなく、向こうも意図的に私のことを避けていたから。
 それは思いの外ショックだった。
 そんなあからさまに逃げるくらいなら休んでよ! こんな状況だっていうのに、アミといい、どうして私の周りは真面目に大学に来ちゃってるの?
 ……って、そっか。これが類友か。
 フウタとこんな別れ方をするなんて、想像もしていなかった。
 それどころか、私たちなら“別れても友達”みたいな良好な関係でいられる、とどこかで思っていたのかもしれない。
 でも、そうじゃなかったんだ……
 なんてあっけないの……
 笑いのツボが一緒だとか、食べ物の好みが合うだとか、阿吽の呼吸だとか、一切合切が意味を失って、脆くも崩れ落ちていた。

※※※

 日曜の昼下がり、みんなして今にも泣き出しそうなほどニコニコしていた。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもマキさんも。
 ついでに私も、同じ笑顔を作っておいた。
 お兄ちゃんとマキさんは、新婚さんってやつだ。
 先に入籍を済ませ、結婚式を来月に控えている。
 そんなタイミングでの隕石騒動。
 衝突予定の小惑星だって、あと1ヶ月弱くらい待ってくれたっていいじゃない!? と私は憤慨したけれど、個人の事情を考慮するわけにはいかなかったらしい。

「お兄ちゃんとマキさんは、明日ふたりで過ごすの?」
「そのつもり。プロポーズしたレストランがその日は夕方までの営業で、ランチなら予約取れたんだ。せっかくだから、1日かけて思い出のスポットを巡ろうと思って、有給も申請した。ね?」

 お兄ちゃんが隣のマキさんに微笑みかけると、マキさんもお兄ちゃんに笑顔で頷いた。
 そっか。まあ、そうだよね。最後の日だもんね。
 お兄ちゃんとマキさん、アミとナオヤくん……それから、お父さんとお母さんだって一応そうか。
 最後の日を一緒に迎えようとする仲睦まじいカップルは、今の私には目の毒だった。


 人類滅亡がいよいよ現実味を帯びてきたとき、『最後の瞬間をどんなふうに迎えたいですか?』という街頭インタビューの様子がテレビに流れた。
 あのとき、私の頭には真っ先にフウタのことが浮かんだのに、フウタが思い浮かべたのは私ではなかったんだなー。
 私と付き合っていたってことは、1番に好きではなかったとしても、2番目くらいには好きだったんじゃないの?
 恋愛感情はなかったとしても、せめて情みたいなものはそこになかったの?
 まさか……好きではないけれど、嫌いでもないから付き合ってただけ、とか?
 最後の日を目前に別れ話をしないといけないくらい、私のことなんて本当はどうでもよかった?
 ……どうでもよかったってことはないか。それはいくらなんでも卑屈になりすぎだね。
 なら、それほどアミのことが好きだった?
 意気揚々と走り去っていったけれど、ナオヤくんと最後の晩餐の計画しているアミからは、丁重にお断りされてしまったことだろう。
 今はどうしているの? フウタのそばにも、家族か友人がいてくれればいいけれど……
 私はフウタに対していっぱい情があったよ。愛情も友情も。振られた側のくせに、そんな心配するほどにね。
 振られた直後は、自分に酔っちゃって、ぐらいにしか思っていなかった。
 それなのに、今になって振られたフウタの傷を思って胸が痛んだ。


「コトコ?」
「……えっ? 何?」

 お母さんが……ううん、お母さんだけじゃなく、この場にいる全員が、さっきから笑顔を張り付けたまま黙りこんでしまっていた私の顔を見つめている。

「ね、今夜は前夜祭ってことであれこれご馳走を用意したから、早めにケーキ食べておこうか? お父さんが開店前から並んで買ってきてくれたのよ」
「お母さん、『前夜祭』って言葉のチョイス……お祝い事じゃないんだから」
「いや、言い得て妙かもな。デパ地下はお祭り騒ぎで、どこの店も行列だったよ。ケーキ買うのも2時間並んだ」

 お父さんが苦笑いした。

「俺、なんだか年末みたいな気がするなー」

 お兄ちゃんがポツリと言った。
 マキさんが首を傾げて、『年末?』と聞き返す。

「だって、色んな人に挨拶回りしてる。『今年もお世話になりました、来年もまたよろしくお願いします』の代わりに、『今までお世話になりました、生きてたらまたよろしくお願いします』なんだけど。あと、飲み会や旅行、帰省で忙しいところも似てる」

 確かに……
 なら、私はさしずめ、クリスマス前に振られた女ってところだだろうか?


 夕方から宴会が始まった。

「じゃーん、A5ランクの牛肉!」

 お母さんはご機嫌で、お父さんが最後の晩餐に食べたがっていたステーキを前夜祭に出してきた。

「おっ、それならお父さんはあれを出すか!」

 お父さんはクローゼットの奥からゴソゴソとワインを出してきた。

「グラン・クリュ!?」

 そのラベルを見たお兄ちゃんは興奮した。
 20歳になったばかりでアルコールを飲み慣れていない、ついでに言えばA5牛肉も食べ慣れていない私だけれど、どれもこれも全部おいしい気がする。
 酔っぱらってくると、これって何のお祝いパーティーだったっけ? と思い出せなくなった。
 でも楽しいから何でもいいや! と思えてくる。
 楽しすぎて、泣き笑いになった。
 私につられて、みんなも泣いた。
 そうして、お兄ちゃんとマキさんは、夜もずいぶんと遅くなってから帰っていった。
 お兄ちゃんは、お父さん秘蔵の赤ワインで、目だけでなく頬まで染めていた。

「じゃあ、また会えたらまたな。俺たちの結婚式で!」

 そう言って、マキさんとつないだ手をぶんぶん振った。
 マキさんは手を振らされながら、恥ずかしそうに会釈してくれた。

※※※

 翌日、人類最後の日は、大学も休講になった。台風が来るぐらいでも休講になるんだから、小惑星が来るなら当然なのかもしれない。
 ひどい二日酔いだったから助かった。
 ワイン恐るべし。生き残れた暁には、飲み過ぎに気をつけることにしよう、と固く心に決めた。
 お昼になってようやく起き出し、もそもそとお茶漬けを食べ、それからまた寝た。
 これが本当に最後の日になったら、私はきっと後悔するだろうな。もっと有意義にしたかった……って。


 再び目が覚めたときには、気分はすっきりしていた。
 テレビでは、例の小惑星をリアルタイムで映しているチャンネルから、人類の歴史的瞬間なるものや名作映画を垂れ流しているチャンネルまであった。
 でも、どれも見る気がしなかった。
 電源をオフにし、キッチンへ行って紅茶を淹れたり、リビングに戻ってきて雑誌を開いたり、1日中パジャマなのもよくない気がして着替えてみたりした。
 けれど、どこに居ても尻のすわりがどうにもよくない。
 何かすることはないか、としばらくウロウロしていると、お母さんに呼び止められた。

「今日はさすがに落ち着かないわよね。だったら夕飯の準備を手伝ってくれない?」

 お母さんは伊勢海老を流水解凍させているところだった。

「伊勢海老なんて、どうやって調理するの?」
「お母さんも初めてなんだけど、動画を見たら、包丁とハサミを使ってお刺身にしてた」
「硬そうな殻だけど、ハサミなんかで切れるの?」
「そう思って、いいキッチンバサミを買っちゃった」

 お母さんが、我が家のキッチンでは未だかつて見たこともないような高級そうなハサミを手に、ニンマリしてみせた。

「うわー、もったいなーい! 滅亡しようがしまいが、二度と伊勢海老なんて調理することないのに!」
「いいじゃない。そう思うと、何とも人騒がせな小惑星だったけど、お陰で消費行動が活発になって経済が回ったわよね」

 ふふっと笑いながら、お母さんは海老の頭と腹の境目に包丁を入れた。
 ふうん。考えようによっては、いいこともあったわけだ。
 私だって、この騒動がなければ、私と最後の時間を共に過ごしたいと思ってもくれないような彼氏と、今も惰性で付き合い続けていたはずで……
 そんなのって惨めだ。清々したじゃない……
 けれど、そう思う一方で、それでもいいからフウタとは最後まで笑い合って過ごしたかったな、と思う自分もいた。


 伊勢海老の刺身とマヨネーズ焼きの他にも、野菜の天ぷらやらローストビーフサラダやら何やらをたらふくお腹に収めた。
 そのあとは、3人でチビチビお酒を飲みながら、『ライブ配信』だという、大物歌手による自宅コンサートを見ていた。

「これ、無料で視聴できるのよ。太っ腹よね」

 お父さんとお母さんは懐かしそうに画面を見つめている。

「昔、デートでこの人のコンサート行ったな」
「チケット取るのに、お互い電話かけまくってね」
「それが今や配信で聴けるなんて、いい時代になったもんだ」
「でも、機会があるならまた生歌を聴きに行きたいかな」
「そうだな、行こうか」

 四半世紀以上も連れ添って、この期に及んでも未来の約束をするんだ……
 お父さんとお母さんが羨ましい……
 素直にそう思った。


 そのとき、私のスマホが振動した。
 はあ? フウタ!?
 その名前を見ると同時に、私の指は応答ボタンを押してしまっていた。酔っ払っているがゆえの行動に違いない。

「もしもし!」
「あー、もしもし? フウタだけど……」
「よくも私に電話なんてしてこられたね!? まさか『そんだけ淋しいんだ』とかって言い出したりしないよね? あれっ……だ、大丈夫だよね?」
「ははっ、いきなりテンション高っ。ひょっとして酔っ払ってる?」
「正解! 桐箱に入ってた日本酒がおいしくって」

 これもお父さんの秘蔵の品だったはずだ。お父さんが還暦を迎える前に引っ張り出してもらえるなんて、最後の晩餐バンザイ!

「コトコは酔っ払うとそうなるよなー」
「もはや元カレのくせに、いかにも知ってます風な口きかないでよねー。で、どうしたの?」
「あー、用事があったわけじゃないんだけど、あれがコトコとの最後の会話になったら後悔すると思って……」
「何それ! 自分勝手すぎない? 自分のせいでしょ?」
「うん、全部俺が悪い」

 シラフならこんな話、聞いてやらないと思う。
 けれど酔っ払っていると、どうも意地は張れなくなるものらしい。
 フウタにやり直すとか、そういうつもりはないんだろう。
 それでも、私に対して電話をかけて話したいと思う情はあったんだ。
 そう思うと、フウタが電話をくれてうれしかった。そう、私は確かに今うれしいのだ!

「コトコの明るい声が聞けたから、今日のところはこれで。もし生き残れたらまた大学で会おう。生き残れなかったときは……生まれ変わってまた会おう」
「ふふん、調子いいこと言っちゃって。でも、今日は伊勢海老と日本酒で気分いいから、いいことにしちゃおうかな」
「その自慢話も今度聞かせて。それじゃ、」
「うん、またね」


 通話終了ボタンを押したとき、無性にお祝いしたくなった。
 けれど、伊勢海老はもう平らげてしまったあとだ。
 あっ、そうだ!

「お母さん、私の分だけ今からお味噌汁作っていい?」
「今から?」

 お母さんは壁掛け時計を見上げた。22時を少し過ぎていた。

「お父さんもほしいな。シメのラーメンは入りそうにないから」
「そうねえ。なら、全員分作っちゃおうか。その代わり、明日の朝はお茶漬けね」
「私、2日連続だ」
「仕方ないでしょー」


 こうして味噌汁を作りが始まった。

「伊勢海老のだしを出すには何分くらい煮込むのかしらね? コトコ、ちょっと検索してみてよ」
「お父さんにも何か手伝わせてくれないか?」
「なら、お父さんは小ネギを刻んで」
「小ネギはどこ?」

 大人3人が作業するにはキッチンは狭かった。
 それでも酔っ払い3人が集まって、伊勢海老の頭入り味噌汁に想いを馳せながら、わちゃわちゃするのは楽しかった。

「わあ、いいにおいがしてきた! コトコ、お味噌を取ってくれる?」
「はいはーい」

 隣のリビングから聞こえてくる歌声が乱れた。

「通信環境が悪くなったのかな? ちょっと見てくる」

 お母さんに味噌を手渡し、リビングへ向かおうとしたときだった。
 突然、外が明るくなった。
 それからはもう訳がわからない状況になった。
 目を開けていられないほど眩しくなって、それから全身が焼けるように熱くなって、天地がひっくり返ったような感覚があった。
 それらは全て一瞬のことだった。
 あともうちょっと待ってくれれば、お味噌汁が完成したのに!
 そんな思いが頭をよぎった。
 やっぱり小惑星は、個人の事情までは考慮してくれないんだ。
 ああ、どうやら次フウタに会うのは生まれ変わってからになるみたい。
 フウタも誘って、あのサークルに新規入会すればよかったかも?
 ……ううん! フウタと会うのを楽しみに
、お父さん、お母さんと伊勢海老入りの味噌汁を作りながら……っていうこの終わり方がいい。
 フウタ……
 フウタだけじゃない。
 お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもマキさんも、それからアミもナオヤくんも……
 みんな、みんな、また会えたらまたね!


END