「焼きそば足りねー」
 誰かが言った。同意の声が上がる。三パックほど買ってきたのだが、どうやら育ち盛りの高校生には、少なかったらしい。
「屋台遠いよ」
 人混みから外れ、これから打ち上がる花火を見るために取った場所は、神社から比較的近い公園だ。神社ほどの混雑ではないものの、同じ思考回路を持つらしき人たちがちらほらと見える。
「よしっ、じゃー皆じゃんけんねこれは。負けた人ね?」
 と、藍が音頭をとる。
 じゃんけんぽん──と一発で決まった敗北者は、なんと藍であった。これだけの人数がいて一発一人負けだ。
 これほど虚しいことがあろうか。
 そんなことはないと知りつつも、絶対仕組まれてたと疑ってしまう。
「えっまさかの一人負け?」「言い出しっぺが」「すごい強運っすね」
 周りは大盛り上がりだ。冷やかしや野次が飛び交う。おいおい性格悪すぎだろっと思いながらも、下駄で慣れない足を動かして、神社へと引き返す。
 途中、電灯が少なくなる道を通るとき、自分の下駄の音だけが派手に響いて、背中が薄寒くなった。
 最悪だ。戻ってる途中に花火上がるかもじゃん! すごい人混みで、焼きそばなんか頭にかかったりして。うわ〜、べとべとだ泣ける。皆から責められるしもう一回買いに行けとか言われそうだし。
 人に押し合いへし合いされながら大量の人の頭越しに見る花火なんてもうそれはもはや人──なんて全く意味のわからないことを考える。
 自分でなに考えてんの私とツッコミながら、相変わらず浴衣の人でごった返す神社に着いた。ずらりと並ぶ屋台のスタート地点、鳥居のあたりは比較的空いているのだが、奥に入るともうこれは焼きそばを懐に抱えて死守せねばなるまいと覚悟を決めるほどの人なのだ。
 不幸中の幸いだったのは、焼きそばの屋台が鳥居の近くにあったところだ。並んでいる人も二、三人。
 早いとこ帰って、琥珀や朱音たちと一緒に花火を見たい。
「焼きそば、二人前ください、えーっと大盛りで」
 焼きそばを焼くお兄さんの手際の良さに救われ、すぐに順番は回ってきた。ちらりと後ろの空を確認してから、少し落ち着いて注文した。大丈夫。まだ花火は上がっていない。
「はいよ」
「ありがとうございます」
 手早くお代を払い、プラスチック容器を通して伝わる焼きそばの温もりを抱えて神社を出る。
 神社から一歩出れば、人はほとんど歩いておらず、少し暗かった。
 浴衣に下駄という不利な状況下にありながら、藍は歩くスピードを上げた。前がめくれてあられもない姿ではあるが、前述した通り暗い上に人はいない。
「あ、やば・・・・・・」
 前から歩いてくる人影を認めて、軽く前をかき合わせる。藍とて花の高校生なのだ。恥じらいは立派に持っている。暗いから大丈夫だろうとは思うが・・・・・・と少し手を緩めたとき、なんの皮肉かひゅるるると花火の合図。
 始まってしまう。
 走るべきか、ここは人の目を気にするべきか。でも、花火が明るいから・・・・・・っ。
 歩きながら激しく葛藤する藍を置き去りにして、どんっと、勢いよく上がった花火が辺りを照らした。
 下駄を引きずるようにして、藍の歩みは止まる。
 ──あ、と、小さく、声がもれた。
「蘭」「アイ」
 互いを呼ぶ、その言葉がうまく重ならなかったことが、少しだけ悲しかった。
 胸が疼き出した。最近はずっと感じていなかった、あの痛みだ。
「ひさ・・・・・・っ、しぶりっ! 元気だった?」
 笑わなきゃ。変に勘違いされないように。もうあなたのことなんて気にしていないんですよと伝えるために。
「アイ、・・・・・・」
「うん? やだっ、気にしないでよ、良き友達として! ね、友達一号なんだし!」
 自分をうまく解放できるだろうか、という不安で始まった高校生活での友達一号は、まさかの男友達だった。藍は一人ではあまりうまく行動できるタイプじゃない。そんなときに声をかけてくれたのが、隣になった蘭だったのだ。
「もー大丈夫だって! 今では新しい相手も見つけたから! ね!」
 応答なし。代わりに、もう一度花火が上がった。二人並んで、見上げる。
「あっ、あれ? 去年よりちっちゃい? 気のせいかなぁ」
 去年も去年とて、藍は今年と同じようにクラスの子と夏祭りに来ていた。蘭と、一緒に。
 花火の大きさなんて、いちいち覚えちゃいない。気まずさを消すため話題を必死に提供するも、沈黙が続く。
「前回一緒に見たもんね、焼きそばいっぱい食べて、動けなくなったの、あれ誰だっけ──」
 笑みを崩さないまま蘭を見る。ちょうど花火の光に浮かび上がった彼の表情が辛そうで、藍は口をつぐんだ。
 ああ、ダメだ。これは完全に私を痛々しいやつとしか見ていない。少し演技が下手だったみたいだ。空元気に見えただろう。
 こうなったら、次に続く言葉は──
「アイ、ごめん」
「・・・・・・」
 だよね。
 無意識に唇を噛んでいた。拳が硬くなる。手元で軽く、ぱきっと音がした。
 ごめんってなに? 所詮謝罪じゃん。皆、それだけ言えば済むと思ってる。訳を教えてほしかったのに、蘭はそれをしてくれなかった。今日もまた、言ってくれないんだ。
 気持ちを伴わないでも、言えることだ。
 この話は、終わり。もうおしまい。これ以上話すことなんて、ない。
 踵を返して戻ろうとして、それでも戻りたくなくて。
 わずかな期待が胸に残っている。
 そんなとき、蘭が口を開いた。
「ほんとは、──自信がなくて」
「自信?」
「クラスが別れてまで、アイを好きでい続けられるのかなって。もしかしたら、アイを、傷つけるかもしれないって」
 なるほど、と力が抜ける。
 しょぼい理由、だなんて思えなかった。
 ただでさえ意志が強いタイプではない彼は、とても優しい性格をしている。他の子からの告白を断ることはできないだろう。藍が傷つくことも、あるはずだ。
「ただ、まだ正直、未練も・・・・・・あって、でもヨリを戻そうとも言い出せなくて」
 蘭がうつむいた。弱々しい声で、続ける。多分彼にとってその言葉は、発するのにとても勇気がいったと思う。それが藍を傷つける言葉だと、知っているから。
「それくらいの気持ち・・・・・・だったのかも、しれない」
 うん、とうなずいた。うなずいて、優しく微笑んで。少し痛んだ胸は置いていく。
 やっと聞けた。
 望んでいた、答えなのだ。
「そうやって言ってほしかったんだよ」
「アイ・・・・・・」
「きっと蘭の運命の相手は私じゃなかったんだ。うん。そうだよ、気にしないで」
 彼の弱い意志を強くするほどの魅力を持った女じゃなかったのだ。不釣り合いだったのだ。
 さんざん藍を悩ませた彼の秘密が自分のためにあったというのは少し皮肉っぽくて、嬉しいことだった。
「ありがとう、言ってくれて」
 ふっと強く握っていた手を解いたとき、焼きそばの存在を思い出した。軽く容器が凹んでいる。ぐうぐうとお腹を鳴らして待つ友の姿を想像して、慌てて蘭に手を振った。からかいの言葉をかけながら。
「あっ、帰らなきゃ! ごめん、またね、元カレ〜!」
 もう少しで公園だ。フィナーレは皆と見られるだろう。花火と蘭を背に、走り出す。
「・・・・・・好きだった(・・・)のは、本当だから」
 去り際に聞こえた言葉を、そっと噛み締めながら。