気付けば、私の目からは涙が溢れていた。
憧れのセンパイとのこうゆう時に別の男の子のこと考える?
私、何やってるの?

「…… センパイ ……、やめて下さい ……。まだ私たち、付き合い始めたばかりです。私はもっと、センパイのこと知りたいです。桜を見に行ったり、海を見に行ったり、部屋で映画を見たりするだけとか、そうゆうデートがしたいです! センパイの事が知りたい、私のことを知って欲しい! もっと話がしたいです!」

私はやっと思っている事が言えた。
気持ちは言葉にしないと伝わらない。分かっていたくせに、ずっと言えなかった。

「センパイが分かってくれない」
そう思っていた事もあったけど、「私が伝えてこなかったから」かもしれない。

だから私は、気持ちを言葉にして伝えた。
やっと一歩進めたような気がした。

…… しかし、センパイは止めてくれなかった。

「うん、行こう。だから……、その前に ……」
「私は ……!」
私の体は拒否の姿勢をとる。

あれ? 私、覚悟してこの家に来たはずなのに、どうして拒否しているの?
このままじゃ、センパイ盗られるの分かってるよね?
彼女として認められる為には必要だと分かっているよね?
このままではセンパイは離れていくと分かっているよね?

だから、我慢するって決めたじゃない?
どうしてセンパイに気持ち、ぶつけようとしたんだろう?
今、この付き合いが楽しいか、幸せかを考えようとしたんだろう?

どうして ……。


─── 真部先輩との交際は楽しいですか? 理沙先輩は今、幸せですか?

速水くんの言葉からだ ……。
楽しくないよ、ただ怖いだけだよ。
幸せ? 今の私に幸せなんて感じられないよ。
センパイは、私のこと見ていないんだから!


─── 先輩、知っていますか? 首から上を触れてくる男は真心。首から下ばかりを触れてくる男は下心と言われることを ……。

あ ……。

さっきからセンパイは、首から下ばかり触ってきて、首から上は ……。
なんだ、もう答え出てるじゃない。

「やめてください!」
私は服を抑えて、叫んだ。

「やっぱ、こうゆうことは、もっと関係を深めてから ……」
私は服を直しながら、そう話す。
本当に私のこと好きだったら、待ってくれるよね?

「……そっか。分かったよ」
センパイは私から離れる。
そしてセンパイは、それから私とは一度も目を合わせず、スマホを触っていた。

「失礼します ……」
その姿を見たくない。だから、センパイの家を出て行く。

しかしそのまま帰らず、センパイの家付近の電信柱の前に立つ。
おそらく、これから来るであろう訪問者の顔を見ないと自分の中で納得出来ないから ……。
バカだよね? もう分かり切っているじゃない?

十五分程でセンパイの家の前に来て、チャイムを鳴らしたのはやはり絵梨花だった。
茶髪の長い髪をなびかせ、耳元には太陽の光に反射して光る赤色のピアス。大人の化粧が似合っていた。
「センパーイ、遅くなりました!」
「絵梨花、待ってたよ! さあ、中に ……」
私はその姿を見届けて、そっとその場を離れる。

正直、今の気持ちは辛いなんかじゃ言い表せない。
ナイフのような物で何度も刺されたような痛み、抉られたような痛み、身を引き裂かれるような痛み。
そう例えるぐらい、心と体全てが痛くてどうにかなりそうだった。

「深い関係になる前に、相手の本性が分かって良かったじゃない?」
そんな自身への慰めも跳ね除けてしまうぐらい、痛くて、惨めで、息ができなくて、死にたくなるぐらいの衝撃だった。
私は力無く学校まで歩き、自転車に乗り、どれほど息が切れても、足が痛くても、ひたすら漕ぎ続けた。

すると私はいつの間にか、あの浜辺に来ていた。
でも何故か、この景色は綺麗に見えた。全てが美しくて、儚くて、私の目からは涙が溢れて止まらなかった。

私は何も考える事が出来ず、真っ直ぐ海に向かう。
海水が冷たいとか、ローファーや靴下が濡れるとか、制服濡れたらどうやって帰るのかとか、そんな事一ミリも考えずに、ただ無心で海に身を投げ出したかった。

その時、私の手を掴む人物が現れた。
私はセンパイかと思い振り返った。この後に及んでも期待してしまう、バカな自分がいた。

「先輩!」
来てくれたのは中学生の時の背が低くい可愛い後輩くんではなく、私より背が高く声もすっかり変わり、骨格もしっかりした速水くんだった。

「速水くん ……。私、もう全てが嫌なの ……。だから止めないで ……」
「分かってますよ。だから靴と靴下を脱いだ方が良いと言いに来ました。濡れたら帰れませんからね」
そう言いながら、速水くんは私の靴と靴下を脱がしてくれる。

「帰る?」
「そうですよ、ちゃんと家に帰る時のことを考えないと」
そう言いながら、速水くんも靴と靴下を脱ぐ。

「は? 何しているの?」
「先輩、今から海に入るんですよね? お供します。言っておきますけど入って良いのは膝下まで、こんな穏やかな波でも海は危ないですからね!」

私はその言葉に思わずポカンとしてしまう。
普通、こうゆう時って「生きていたら良いこともある」とかの、ありきたりの言葉を言うものじゃないの?
一緒に入水? 膝より上はダメ? そんなこと言う人いるんだ。

「さあ、行きましょう」
速水くんは、ぬかるんだ足場に私が転けないようにと手を握ってくれる。
何これ? 幼稚園児の初めての海水浴?
なんだか間抜けな自分に、ただ笑ってしまう。

「冷た!」
当然だけど水温は低く、冷たかった。
だけど速水くんは一切怯まず、顔色一つ変えなかった。
そして足場はより、ぬかるんでいき、気を抜くと転けそうになるぐらいだった。

「先輩、転けないで下さいよ。帰り、ずぶ濡れで帰らないといけませんから」
「うるさーい! 私、一人でこれぐらい歩けるし!」

私は速水くんの手を振り払い、一人で歩く。
…… しかし、そう見せかけていたけど、実は今にも転けそうだった。

やばっ、手をついたほうが良いよね?
でも、そんなみっともない所を速水くんには見せたくない!

そう思っていると、体がぐらっとした。

「先輩!」
速水くんは転けそうな私に手を伸ばしてくれる。
「速水くん!」
私は速水くんに手を伸ばした。しかし ……。

バシャン!!
何かのお約束のように、二人でびしょ濡れになった。
真部センパイならそうゆう場面ではカッコよく助けてくれるのだろうけど、そうならないのが速水くん。
おまけに自分まで巻き込まれてびしょ濡れで、不遇過ぎるポジション。
時期は二月末。ここが本州だったらと考えるとゾッとする。

「すみません、先輩 ……」
また自分は悪くないのに謝る。本当にバカでお人好し。
私は速水くんの唯一濡れていない顔と髪に海水をかける。
もうこうなったら、とことんびしょ濡れになろうじゃないの!

「先輩も!」
速水くんも海水をかけてくる。

髪型がーとか、化粧がー、とか良いの。だって既に涙でぐちゃぐちゃだったから。

一通りびしょ濡れになったら、全てがどうでも良くなった。

私はいつの間にか清々しい表情になっていた。


「先輩、カフェオレ飲みませんか?」
速水くんは帰りも私の手を引いて歩いてくれた。
もうびしょ濡れだから関係ないと言ったけど、転けたら危ないからだって。本当にお人好しなんだから。

浜辺まで戻って来ると、私の投げ出したカバンを拾ってくれ、速水くんのカバンからタオルを取り出し、渡してくれた。

「速水くんが使ってよ」
「先輩が使って下さい」

「…… もし誰か来たら、見せたくないので ……」
そう言い、タオルを押し付けてきたかと思ったら、速水くんは私から目を逸らす。

「へ?」
私は、自身の姿を見下ろして驚く。セーラ服は濡れて ……。
これは、速水くんがタオルを押し付けて、目を逸らすわ。納得だった。

「うん ……」
そう言い、私は濡れた髪や服や体を軽く拭き、大きなタオルを胸元にかける。

「もう大丈夫だよ」
そう言うと、やっと速水くんは私の方を見て、カフェオレを渡してくれる。
私はいつも通りに、牛乳パックを開けストローを差し込み、一口吸い込む。
すると口の中で広がる、甘く滑らかな口当たり。
やっぱり私が好きな味はこれだな。

「うん。甘い」
「はい」
私達は中学生の頃みたいに、石垣に座りカフェオレを一緒に飲む。この時間が好きだった。

「速水くん ……」
「はい」
「話、聞いてくれる」
「もちろん」
「ありがとう ……」

私は規則正しく押し寄せては引いていく波を見ながら話始める。

「私ね、真部センパイが好きなの ……」
「はい」
「でもね、センパイは私のこと ……」
今だに認められない、もう一人の自分が居た。


センパイに告って付き合いが始まって、最初の一ヶ月は順調だった。
手を繋いでくれ、耳元で好きだと囁いてくれ、頭や髪を撫でてくれ、それ以上まではいかない。
ゆっくり関係を深めていく安心感。大事にされている幸福感。全てが愛おしい大切な時間だった。

しかし、付き合って一カ月ぐらいからセンパイは変わった。
急に校舎裏に行こうと言われて付いて行ったら、センパイに首から下を触られた。
私だって、付き合っていけばそうなることぐらい分かっていたけど、嫌だった。怖かった。気持ち悪かった。

でも嫌だと言えなくて、そんなことが一カ月以上続いていて、そのことを友だちにも相談出来なくて悩んでいたら、速水くんが二週間前にその姿を見かけて、私に言ってくれた。
嫌じゃないですか? …… って。

私は否定出来なくて黙ってしまったら、速水くんはそれから私に鬼電、鬼メッセをしてくるようになった。
私は無理に戯けていたけど、本当は相談したかった。苦しかった。

「今まで反発していてごめんね。私の為に言ってくれているの分かっていた。でも、好きだから ……、嫌われたくなかったから、やめてと言えなかった ……」

私はそう話し、カフェオレを一口飲む。

「それだけじゃない。私、本当はカフェオレと、甘いケーキが食べたかった。何の会話もなく黙々と食べる苦いコーヒーと甘さ控えめのケーキは、私には美味しく感じなかった。速水くんと海を眺めながら飲んだカフェオレの方がよっぽど美味しかったし、楽しかったよ」

抑えていた言葉が溢れてくる。

「…… 本当は分かっていた。センパイはもう私のこと好きじゃないこと。そうゆうことが目的になってること。浮気 …… していたこと ……」
「…… はい」
その表情から分かる。速水くんは、真部センパイの浮気を知っていたんだと。

「その相手を、あの部屋に連れ込んでいるのも知ってた。…… こないだなんて、私が帰った後『まだ来ないの?』とメッセ送ってきたの。…… 妹? ベタすぎる言い訳だよね。そんなの家行ったら分かるよ。あの家に同じ年頃の女性はいない。女性はお母さんだけ。玄関にある靴とか、カバン見たら分かるよ。…… 今日なんて私が断ったら、あからさまにスマホを触ってレンラク取ってたの。家の外で誰が来るのか見ていたら、その相手、同じクラスメイトなの。浮気するなら、せめて分からないようにしてよ。知らない相手にしてよ ……」

私が泣いている間、速水くんはずっと側に居てくれた。

そのまま私たちは、沈んでいく夕日をただ眺めていた。

その夕日を見ながら思う。私はもう一つの大切なものを失った。ううん、違う。自らの手で振り払ったんだ。

私の目から、また別の涙が溢れてくる。

「私、バカだよね? 心配してくれている速水くんも、友だちの言うことも聞かずに、知りたくないことに耳を塞いだ。大切な友だちまで失くしちゃった ……」

亜美。亜美は全てを知って、言おうとしてくれていたんだよね? ごめんね、聞かなくて。愛想尽かされて当然だよね。

「そんなことありませんよ。実は、俺に理沙先輩を止めて欲しいと頼んで来たのは亜美先輩です」
「え!」
「自分たちが真部先輩との交際を取り持ったから、気を遣って相談出来ないみたいだから、中学からの付き合いの俺に止めて欲しいと頼みに来てくれました」

私は中休みに亜美が何をしに行っていたのかに気づく。そこまで気にかけてくれていたんだ。

私は本当に子供だ。
鈍い私が、絵梨花とのことに気づいたんだから、鋭い亜美が気づいたのは当然だった。

亜美の優しさや、事実を話すかについて悩んでいてくれた事にも全く気づいていなかった。
 
この涙が収まったら、電話しよう。
いっぱい、「ごめん」と「ありがとう」を言おう。
これからも友だちでいて下さいって ……。


話をしている間に西の空は茜色に染まり、太陽が半分程日の入りしていた。水平線に輝く太陽は、キラキラ輝くピアスのように見えた。

その光景に、私は耳を触る。

本当はピアス開けるの怖かったし、抵抗あった。私は昔から頭が硬く、物事を考え過ぎでしまう性格。付き合い始めにピアスを揃えようと言われたけど、私は怖さと考え過ぎてしまう性格から断っていた。
センパイはこんな私より、絵梨花のような柔軟な子の方が良かったのだろう。
もし私も、絵梨花のようにセンパイに合わせてピアスを開けていたら? 身を任せてしまっていたら ?そしたら今も、側に居られたかもしれない ……。

「…… 俺は頭が硬い女性の方が好きですよ」
速水くんが私を見て笑いかける。
まるで、私の心を読んだかのような言葉に私は救われた。

「ありがとう。…… ねえ、速水くんなら私のどっちを触ってくれる?」
聞いた瞬間に大胆な質問をしてしまったと気付く。速水くんに告られていたこと忘れてた!

「あ! やっぱりなんでもないの!」
私は必死にごまかす。
顔と体が一気に熱くなった。

「俺は触りません」
速水くんは私を見て、マジメな表情でそう話す。
何を勘違いしていたのだろう ……。好きと言われて勘違いしていた。私、すごく痛い奴じゃん!

「…… そっか」
これ以上の言葉が出てこない。センパイのことが好きなくせに、少し淋しさを感じてしまう。私はどこまで自分勝手なのだろう ……。

「だって、俺の一方的な思いですよ? そんな関係じゃないから触れたりなんか ……。あ、手を触りましたね、すみません!」

速水くんは俯く。その頬は赤面していた。

「もし、もし、私たちが付き合ったら?」
私がそう言うと、速水くんの頬は余計に赤面する。

「に、握ります! まずは手を ……」
その赤面した顔と震えた声が可愛くて私はつい、からかってしまう。

「首から下じゃん!」
「れ、例外です!」
「ヘリクツー!」

私は心から笑えた。だから、次にこの言葉が出てきた。


「…… 私はセンパイの前では、本当の私になれていなかった。今まで、大人になろうと必死に背伸びして、話したいこと気軽に話せずに、好きでもない物を好きと言い、嫌なことを嫌と言わずに我慢することが大人だと思っていた。それは自分を殺すことだよね。そんな恋愛楽しくもないし、幸せなんかじゃない。また、下ばかり見ていたあの頃に戻ってしまうところだった。だから ……、これで良かった ……」

泣くのを我慢し、本心を話せた。


「先輩 ……。前言撤回させてください。先輩は大人の女性ですよ」
速水くんは私に優しく笑いかけてくれる。

「…… ありがとう ……」
私は、その言葉と優しい笑顔に我慢出来ず、声を出して泣いてしまう。

ずっと抑えていた気持ちを吐き出せた。この苦しみを涙と一緒に流せた。
おかげでこれからも、自分を肯定して生きていけそうだ。

沈みゆく太陽を見ながら私は決意する。


─── 私は今日で、子供の恋から卒業する。