二年前の春。私は高校に入学した。
中学生の時、人間関係が上手くいかなかった私は、高校ではそれを変えようと、誰も行かない少し遠くの高校に進学を決めた。

でも、今までの人間関係をリセットしたからって私自身が変わる訳じゃない。
私は新しい環境に飛び込んでも、私のままだった。
自分から話しかけられず、せっかくクラスの子が話しかけてくれても、何も話せないどころか目も合わせられない。

そうしていくうちに、話しかけてくれたクラスの子たちは私が迷惑がってると勘違いして離れていき、根暗だと言ってイジってくる生徒もいた。
完全に中学の時の流れ。結局私は変われない。そう気づいて、下を見て毎日を過ごしていた。

そんな一年の夏休み。
学校に行かなくていい毎日を過ごしていたけど、夏休みは永遠ではない。
毎日カレンダーにバツしていくうちに、夏休みが終わる日が近付いていく。

一週間前になった時、私はもう限界だった。
一人家を出て、暑い中ただひたすら自転車を漕いだ。

中学の時の行きつけだった浜辺には行けなかった。
速水くんに、高校に行ったら変わると言っていたのに、私は変われなかった。
もし速水くんと出会ったら ……。そう思うと、あの浜辺には行けなかった。

だから私は、学校を通り過ぎた先の大きな川が流れる橋に行った。
橋から見下ろした景色は、海に繋がって流れる川が見え、その流れは早く、見るからに浅く、周辺には石が乱雑にあった。

…… ここから飛び降りたら、楽になれるかな ……。
不意に考える。

『何しているの?』
後ろより優しい声が聞こえ、私は振り返る。
目の前に居たのは、フワッとした髪に、右耳に一つのピアス。キリッとした目に、整った鼻筋、色気のある唇をした、私が苦手なイマドキの男性だった。

私は慌てて目を逸らす。

『…… 一年の子だよね? こんな所でどうしたの?』

私は、何を言われても返事が出来なかった。

『…… いつも俯いているから心配していた。女の子は髪型やメイクで変わるし、イメチェンしてみても良いんじゃないの? そしたら気持ちも変わってくるから』

何も言わない私に頭を掻きながら、そう笑って話してくれた。

『で、でも ……、私なんか ……』
震えた声を出してしまう。

『そうやって下ばかり見てるから、余計に暗くなっていくんじゃないかな? 「私なんか」は使うの禁止ね!』
『…… え ……。でも …… 私なんか ……。あ!』
私は早速言ってしまう。いつも言っていたから、口癖みたいになっていた。

『まずは一歩踏み出してみな。きっと変わるから』
そう言い残して、その男性は居なくなった。

私はその足で化粧品を見に行った。
橋から飛び込むことまで考えたのだから、化粧品を買いに行くぐらいなら出来た。

クラスの子がしている、マスカラにビューラー、ファンデにグロスを、使い所がなく溜まっていたお小遣いで買った。

家に帰って早速やってみたけど、ビューラーはまぶたの肉を挟んで痛く、マスカラはまぶたが黒くなり、ファンデとグロスは厚く塗り過ぎて、今思うと全然似合っていなかった。

新学期、私はそんな濃い化粧をして学校に行ってしまった。
私をイジっていた同級生は笑っていたけど、その様子を見かねたクラスの子三人が放課後話しかけてくれ化粧を教えてくれた。

すると、目の前には違う私がいた。
見た目は可愛い子と比べたら全然だけど、その暗い表情は変わっていた。
そして、友だちが出来ていた。以前より気にかけていてくれたクラスメイト。
私が変わろうとしている姿に声をかけてくれた。
初めは気を使ったりもしたけど、少しずつ本音を話せるようになり、今では楽しく話せる関係になった。

全てはあの時、一歩進んでみるように言ってくれたあの男性のおかげ。
もう一度会いたかったけど、何年生の何センパイかも分からない。

そんな日々が過ぎていき、文化祭の日となった。
その日、友だち三人と回っていて、二年三組の出し物のお化け屋敷に行くと、受付にその人は居た。
私は驚いてその人を見入ると、その人は私を見て笑いかけてくれた。

私の体は一気に熱くなり、激しく鼓動を打っていた。
何これ?
生まれて初めての感情に訳が分からず、私は瞬きを忘れセンパイをただ見つめていた。

これが初恋だと気付いたのはもう少し先のことだった ……。



ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。
スマホのアラームが鳴る。

私は久しぶりにセンパイとの出会いの夢を見た。
今の私が居るのはセンパイのおかげ。あの出会いは、私の宝物だ。

そう思いながら学校に向かうと、道中に速水くんがまた私を待っていた。
私は自転車から降りて話しかける。

「あ、速水くん ……。昨日は ……」
「早くしないと遅れますよ」
速水くんはさりげなく、昨日のことを流してくれる。
その後、一緒に自転車を漕いで学校に着き、駐輪場に停め、生徒用靴箱に歩いて行く。

「速水!」
後ろから、速水くんの友だちが声をかけてきた。

「あ、おはよう」
「おい、お前 ……」
速水くんの友だちは、速水くんの肩を抱き、そのままコソコソと話し出す。

何?

「すみません、先輩。速水に用事があってお借りします」
「すみません。では放課後 ……」
「だから、やめとけって!」
そう言うと、速水くんの友だちは速水くんを無理矢理引っ張り、先を歩いて行く。

「やめとけ?」どうゆう意味?

そう考えながら歩いていると、教室前の廊下に着く。

「えー! 昨日も行ったのー?」
「うん! ここまでいったらコッチのもの!」
「やるねー!」
「あんなダサい子より、私の方が良いでしょう?」
その話を廊下でメイクしながらをしている、同じクラスの女子二人。絵梨花と麻由里。
私を見て笑っている。

何の話?
また分からない話に、私は言葉では上手く説明出来ない恐怖を感じる。

離れていく速水くんに、私をイジる同級生の不敵の笑み。もう、訳分からない。


「おはよう、理沙!」
「亜美」
私は不安な表情で亜美を見てしまう。

「…… 絵梨花たち? もういいじゃん! 理沙は私たちの友だちなんだから!」
「ありがとう。亜美!」
私は亜美に抱きつく。

「朝から何ー?」
「女同士で何やってんのー!」
一緒に登校してきた二人の友だちも笑っている。
亜美、真美、奈々。
入学してきた時にいつも一人でいた私に何度も声をかけてくれ、二学期に濃い化粧をして来た私を見かねてオシャレを教えてくれた。
センパイの前でモジモジしていたら、これは恋だと教えてくれ、話しかけ方を教えてくれた。

今の私があるのは三人のおかげ。本当に感謝してる。

「おはよう、席に着けー」
先生が教室に来て、ホームルームが始まる。
私の席は絵梨花の席の後ろ。嫌でも視界に入る。

茶髪の髪をコテで巻きゆるふわにきめており、制服のスカートはマイクロミニと言われる短さ。
化粧はバッチリしているが、私の失敗とは違いファンデやグロスは薄く、マスカラやアイシャドウ、アイラインなどのアイメイクはしっかりきめている。
こうゆうのを大人のメイクというのだろう。
私はやってみたけど似合わなかった。だからナチュラルメイクを心がけている。

絵梨花が私をチラッと見たと思ったら、これ見よがしに髪を耳にかける。

何かと思ったけど気づく。
いつも耳に付けている赤いピアスがない。
でも、どうしてそれを見せつけてくるの? 意味分からない。


放課後。今日も教室でセンパイからのメッセを待つ。
広がる青空、薄くて白い雲、濃いピンクの桜の花びら、下校して行く生徒たち、カップルのような手を繋いで帰って行く生徒もいた。

みんな楽しそうで良いな ……。

私はふっと思う。

…… 私、何考えているの? 私も楽しいよ? だってセンパイとのデートだよ? 幸せだよ、ねえ、そうでしょう?

当たり前のことを自問自答する。

ピコン。
センパイからメッセがくる。
立ち上がり、教室から出ても速水くんはいない。
廊下を出て、一階の靴箱に走ってもやはり速水くんは居ない。
私は本当に身勝手だ。邪険に扱っていたくせに、居ないとなんとも言えない感情になる。

センパイに早く会いたい。そしたら、こんな気持ち吹き飛ぶのだから。

「センパイ!」
私は思わずセンパイに抱きつく。

「どうした、理沙?」
「え? あ、ごめんなさい!」
私は慌てて離れる。

「可愛いな理沙は ……」
センパイはそう言い、私の ……。

「あ! 私、買い物に行きたいです!」
私はセンパイから一歩引いて話す。

「…… 何が欲しいの?」
「ピアスです ……」
「理沙も開けるの? 分かった!」

センパイは喜んだ表情で私の手を引いてくれる。
やっぱり、そっちの方が良いんだね。

私たちは学校近くのショッピングセンターに行く。
そこは、服、雑貨、化粧品などが揃っていて、学校帰りの生徒が多かった。

雑貨屋に行く。
ピアスの穴を作るピアッサーと呼ばれるものは多数販売していた。
そして、穴を開ける時に使う付属のファーストピアス。白、ピンク、赤、緑、水色、青、と様々な色が揃っていた。
 
赤いピアス ……。
私はそれを手に取る。
絵梨花と同じ赤色のピアスを付けたら、気持ちで負けない気がした。

「え? これにするの?」
「ダメ ……、ですか ……?」
「あ、いや、こっちが良いんじゃないか?」
 センパイはそう言い、青いピアスを手に取る。

「…… あ、はい」
本当は赤いピアスが欲しい。でも言えない ……。

センパイは青いピアスを手に取り、レジに持って行く。

「ありがとうございます」
「うん。早速開けようか?」
「えーと」
私は戸惑ってしまう。そんなすぐのつもりはなかった。

「ほら、行こう」
私はセンパイに手を引かれて、センパイの家に行く。
怖い ……。いやいや、自分で決めたんでしょう?

センパイの家は、住宅街にある一軒家だった。

「おじゃまします」
「今誰もいないから、安心して入りなよ」
「ありがとうございます ……」
家族の人が居てくれた方が良かったな ……。

そう思いながらローファーを脱ぎ、揃える。

玄関には、よく会社員の人が履く革靴に、落ち着いた色合いの深緋色のパンプス、センパイのと思われるシューズがあった。
二階の階段に繋がる場所にはカバン掛けがあり、掛けてあったのは黒色の革のカバン、薄茶色の肩掛けカバン、センパイが使っていそうなショルダーバックだった。

…… あれ?
私は何か違和感を感じる。

「ほら行こう」
「はい」
私はセンパイに手を引かれ、部屋に行く。

センパイの部屋は綺麗で、勉強机の棚には入学予定の大学のパンフレット、メンズ用雑誌が仕舞われていた。
その他には服が仕舞われていそうなタンスに、閉まってあるウォークインクローゼット、部屋の真ん中にあるミニテーブル、端にベッドがあった。

「じゃあ早速開けようか?」
「はい ……」
私はやはり怖くなる。昔からビビりで、痛いのも怖いのも嫌いだ。

「大丈夫だよ。すぐ終わるから ……」
「はい」
センパイは机に置いてあったアルコールを取ると、蓋を開けようとする。
私は怖くなって目を逸らすと、ベッドボードに目が行った。
そこには赤色に光る小さな何かがあった。
何これ? ピア ……。

私はハッとなった。
見たことあるよね、これ ……。

「じゃあ始めようか ……」
センパイは私の耳を触ろうとする。

「す、すみません! 私、やっぱり今日は ……」
「大丈夫だよ。ほら、じっとしてて」
「すみません!」
そう言い、私はカバンを持ちセンパイの家から出て行く。

日が傾き始めた夕方、私は息が切れるまで走り続ける。
学校に自転車を取りに行き、そのまま感情のまま漕ぐ。

すると私は、やはりあの海に来ていた。
そして、今日は先客が石垣に座って居た。

短い髪と、学生服が風に揺れ、その中で本のページが捲れないように抑えながら、時折片手を本から離す。その手は牛乳パックに入ったカフェオレを取ったかと思えばストローで一口吸い、濡れた手をタオルで軽く拭き、また本を読み始める文学少年。
その周りには桜の木々が植えてあり、そんな少年を優しく見守ってくれているように見えた。

「速水くん ……」
私は思わず声をかけてしまう。

「先輩!」
速水くんは驚いたような声を出し、振り返る。

「うわあ! 全然気づかなかった! これじゃ、本末転倒じゃないか! …… あ、いや、どうしましたか?」
速水くんはズレた眼鏡を必死に掛け直して、私に話しかける。

「ううん。ただ声をかけただけ」
嘘だ。本当は速水くんを探してここに来てしまった。
何故か? それは分からない ……。

「先輩もどうぞ」
そう言って出してくれたのは、カフェオレ。
もしかして待ってくれていたの?

私は速水くんを見る。
優しい照れ笑いをただ見つめた。

私はカフェオレを手に取ろうとする。

─── カフェオレ飲むなんて子供っぽいよな。
その言葉が脳裏を掠めた。

「あ ……」
私は手を引っ込める。

「先輩?」
「……やっぱりいらない」

「そうですか ……」
速水くんは一瞬表情を変えたが、変わらず笑ってくれた。
私はその表情が見ていられず、代わりに海を見た。

今日の海も穏やかで波が押しては引いていき、太陽は水平線に近づいていき、今日は鮮やかなオレンジ色だった。

「先輩、何か悩んでますよね」
速水くんは、私の顔を見て話してくる。

「別になんでもないよ ……」
私は速水くんを顔を見ずに、海を見たまま話す。
すると速水くんは、しばらく黙ったかと思ったら、また話し始めた。

「お友だちに話したらいいじゃないですか?」
「え?」
今度は私が黙り込む。

「…… ムリだよ。相談は出来ない ……」
「どうして?」
「だって ……!」
私は何も言えなくなる。いや、言いたくなかった。

「ジャマしてごめん! 帰るね!」
私は走りにくい砂浜を走り、自転車を停めている場所に戻る。

速水くんはずっと何かを言っていたけど、私は振り返らず、ひたすら走って行った。

家に着き、またただいまも言わず階段を登る。
カバンをソファに投げ、ベッドに体を投げる。

ピコン。
メッセの通知音がし、私は慌ててカバンを探る。

センパイ? 速水くん? どっちだろうと思いながらスマホを取り出し開くと、思いもしない第三者からのメッセだった。

『理沙。最近センパイとはどう?』
友だちの一人、亜美だった。

─── お友だちに話したらいいじゃないですか?
速水くんの言葉が脳裏を掠めた。

本当は私もそうしたいよ。でも ……。

『ありがとう、普通だよ』
私はそう打ち込む。
無難な返答。本当は相談したいことなんて山のようにあるのに言えない。
それは友だち三人が優しくて、そんな三人が私は大好きだから。
だから …… 言えない。