「死にたいの?」
次に彼女に近づくことが叶ったのは、まだ暑さの怠い九月のこと。欲望を叶えないまま、とっくに冬を終えていた。
急いで屋上まで駆け上がった僕の額には、じんわり汗が滲んだけれど、彼女は茹だる太陽の熱など感じさせない涼しさで、綺麗な髪を靡かせた。
イエスともノーとも答えを得られていないのに、彼女の楚々とした眼光で満たされた。こちらをちっとも見ていないその瞳に、引き込まれていた。
『光』の課題に彼女を描くことはなく、別の水彩画でやり過ごしたはずの僕は、死の間際に居る彼女を見たそのとき、皮肉にも彼女が『光』を宿していた理由に気がついた。
きっと、闇を抱えているからだ——と。そのなかでほんのり、たった一本の蝋燭の火が灯っているからだと。淡く、脆いその光は闇のなかで、一層美しく揺らめいている。
「私のこと、殺してくれない?」
「……嫌だよ。僕は、君に死んで欲しくない。……でも、」
その光を描くことは、それを消してしまうのと同じくらい難しい。だから僕は、額を抱えながら続けた。目の前の、可憐で優美なミスマッチに口を滑らせた、と言っても良い。
「僕の、一番描きたい絵が完成したら。それを君に見てもらうことが叶ったら……君の願いも、きっと叶えてあげる」
——執行猶予か。
瞳を大きく見開いたあと、彼女は呟き、フェンスを軽々よじ登る。スカートのなかを見てしまわないように、思い切り顔を背けた。
「じゃあ、交渉成立ってことで」
その一言で、生涯のトラウマとあらゆる怨恨を植え付けようとする残酷さにも、蝋燭が灯っている。恐怖も怒りも沸いてこなかったのは、現実味を帯びていなかったからだろうか。
その割に、僕は殊勝に、けれど本心から思っていた。彼女を描くことが出来たら、その作品を産み出すことが出来たら、もう何も要らない——、と。
物心つく頃から筆を滑らせてきたのに、そんな感情に浸るのは初めてのことだった。