私はコクコクと二度頷いた。

 ——この国はなぜか、堅実に働いている人間ほど、責任や負担が増える仕組みになっているからな。そういう堅実な人から徴収した税金に対して、堅実な人たちからの批判はコンスタントに訪れる。
 ——てことは、才能提供者も手の平を返される。ってこと?
 ——ああ。

 彼は大きく一度頷いた。

 ——今は憐憫の目を向けられることが多くても、いつか税金の無駄遣いだ、と叩かれる可能性が高い。これまで擁護していた人間も含めて。
 ——才能を対価にお金を得ることが『搾取だ』って、言われるかもね。
 ——そうだな。

 口のなかが乾いているのを感じて、私はグラスを傾ける。その数秒の間、彼の言い分を振り返り、思考を巡らせた。自分の考えを言語化しようとする時間が、多くの情報に溢れて至福だと感じた。自分のことでも、同級生のことでも、家族のことでもない会話のやり取りが、気楽で心地よかった。

 ——ラベルしか見ていないのよ。

 そう呟くと、彼は「ラベル?」と復唱した。

 ——人間、一人一人の事情なんて分からない方が多いから、ラベルで判断するの。その人に貼られた “才能提供者” のラベルだけを見て、叩くような人は沢山出てくるかもしれないね。

 すると彼は眼鏡の奥で、目を少し見開いたように見えた。

 ——ラベルという喩えは、秀逸だな。

 そして、なぜか誉められた。

 ——もっとも、いまは移植希望者の方がその役目を背負ってしまっているわけだが。
 ——そうね。いまは彼ら(・・)、弱者救済の物語に酔いしれてるから。
 ——弱者救済……、確かに。
 ——確かにって……意外と素直だよね。お兄さん。
 ——意外と、とはなんだ。
 ——最初は堅物なのかと思ったけど、意外と私の意見も受け入れてくれる。

 言いながら頬杖を突くと、彼の眉間が途端に狭まる。

 ——それは、どちらか一方に傾けなければいけないのか。
 ——え?
 ——堅物と素直が共存していてもいいだろう。もっとも、この国はどちらか一方に傾けて批判することを好むようだが。
 ——なに、その無理矢理な関連付け。
 ——俺の性質は、マリアージュというわけだ。

 聡明なのに、どこか可笑しい。心の中でそのマリアージュにも気づいてしまい、私は思わず笑みを溢した。
 おかしな意気投合をした私たちは、その日のうちに連絡先を交換し、その後も会合(・・)は週一の頻度で続くようになった。冷房が効きすぎていた、という理由で二度目以降は店を変更し、ガラス張りのカフェが定例の会合場所になっていった。

 元アイドル・高屋敷ミオのネットニュースを目にしたのは、ちょうど夏休み最後の会合を開いている時だった。

 “元国民的アイドル、才能移植手術の全貌”

 いつものカフェで香吏を待っている間、私はその記事に目を通し、大きく息を吐いた。

 ——すまない、待たせてしまったな。
 ——いいよ。アイスコーヒーでいい?
 ——ああ。

 香吏がやってきて、彼が腰を下ろす前に呼び鈴を鳴らす。アイスからホットに変える頃合いはまだまだ先か、と思いながら、ハンカチで額を拭う香吏を見た。

 ——ハンカチ、常備してるんだ。男の人でも。

 そう言うと、彼は眉を寄せる。

 ——その言い方は気に入らないな。ハンカチを持っているいないに、性別は関係ないだろう。
 ——だけど実際、男の人が持っている確率ってかなり少ないよ。
 ——どうしてそう言い切れる。君と同世代の男子たちと一緒くたにされては困るぞ。

 香吏は鼻で笑いながら、片頬を軽く持ち上げる。余程癇に触ったのか、持病の負けず嫌いが発症していた。

 ——そういう言い方は、高校生男子が傷つくと思うけど。
 ——……それもそうだな。すまない。

 負けず嫌いなくせに、納得すれば折れるのも早い。それが香吏の良いところだ。

 ——しかし解せない。君は統計調査でもしたのか?
 ——そんなのしなくたって分かるわ。そうね、例えば駅ビルの雑貨屋さんを浮かべてみてよ。

 今日の話題はハンカチか。と、眉を顰めたままの香吏を見据える。

 ——間違いなく、そこにはハンドタオルやハンカチが売っているでしょ?
 ——そうだな。大方売っているだろう。
 ——で、想像してみて。……その店に並んでるハンカチって、大体女性向けのデザインじゃない?

 ほら、例えばこういうの——。
 付け加えながら、私は自分のものを鞄から取り出す。白地に紺色のリボンが施された、比較的新しいハンドタオルだ。

 ——……それはそうだが、

 香吏はまだ「解せない」と言った様子で眉間を狭める。そして、運ばれてきたアイスコーヒーを口に含むと、意気揚々と放った。

 ——だからと言って、男性の方が少ないと言う理由には紐付かない。
 ——どうして? だって物を売るのって “需要と供給” が大事なんでしょ? 女性の方が持ち歩く可能性が高いし、買う可能性が高いから女性物が多いんじゃない。
 ——いいや。そもそも、その雑貨店に訪れる顧客層が女性メインなんじゃないのか。顧客が男性メインの店では、男物のハンカチしか売っていない。
 ——それは……そう、だけど……。

 途中で絡まった糸を解こうと、コーヒーとシロップのマリアージュを注ぎ込む。彼はそんな私の動揺に口角を軽く持ち上げ、腕を組む。なんだか物凄く、悪役チックだった。

 ——そもそも、女性の方がファッションへの関心が高い。例えば俺のクローゼットにある夏用のシャツは精々六、七枚だが、君はどうだ。それよりも多いだろう。つまり、ハンカチについても異なるデザインで、多い枚数を所持している可能性が高い。ゆえに、一人あたりが持ち歩いている確率の高さの証明にはならない。

 生き生きと話す彼を、私はストローを咥えたまま見据える。今回のディベートは、もうすでに彼に軍配が上がっているようだ。

 ——確かに。そうよね。

 短く応答して、画面の黒いスマホに視線を落とす。このテーマもネットで調べてしまえば “正解” はすぐに出るのだろうけど、私たちはそれを求めてはいない。私たちは、私たちが導きだす “正しい答え” をいつも探していた。

 ——じゃあ、香吏くん。この人の記事はどう思う?

 私はスマホを光らせて彼の目に映す。先ほどまで読んでいた高屋敷ミオの記事が、眼鏡のレンズに少し透けた。

 ——ほう。移植手術で得た才能が、歌声だったわけか。

 歌声——そのフレーズに、ドキリと胸が鳴る。

 ——そう。アイドルから歌手に転身して、人気アニメの主題歌に抜擢されたんだけど、そこから事態は急転直下。彼女の歌声が “移植されたもの” だってことが明らかになって、ネット上で叩かれてる。

 途中、声が震えそうになるのを堪える。私がマッチングした相手は高屋敷ミオではないけれど、記事の内容はとても他人事には思えなかった。
 SNSのタイムラインを表示して、香吏の目にもそれを映す。そこは、誹謗中傷に溢れていた。

 “実力じゃないのかよ、失望した”
 “移植されなきゃ売れなかったってことはさ、結局、高屋敷自体はオワコンってことじゃん?”
 “実力で頑張ってるシンガーに失礼すぎる”
 “こいつのせいでオーディションに落ちた人たちが可哀想”

 見ているだけで喉が締め付けられる。ネット記事の内容も、誹謗中傷を誘発しているようにしか見えなかった。