「つ、疲れた……」
 伏見稲荷神社から聖花の家まで徒歩五分程。
 聖花は狙われている恐怖と共に、真夜中の木刀少女を誰かに見られて危ない奴だと交番へ連行されないだろうか? という不安を抱えながら帰宅していた。
 疲労困憊の聖花はエネルギーが切れたようにベッドへうつ伏せに倒れ込む。スプリングが反動し、聖花の身体が少しバウンドした。
 ベッドの頭上についてあるコンセントへ挿しっぱなしにしている充電器を手繰り寄せ、スマホにHPを補給させる。聖花も同じようにHP補給のため、木刀を握りしめながら浅い眠りにつくのだった。




 十二月十六日。午前六時三十分。


♪ピロン♪
 スマホの通知音が聖花の頭上で鳴る。
 ビクリと身体を震わせた聖花は勢いよく上半身を起こして片膝をつく。握りしめ眠っていた木刀を構え、四方八方に視線をさ迷わせるが、部屋には聖花しかおらず、沈黙に包まれる。

「……ぁ! スマホか」
 音の出所に気がついた聖花はほっと胸を撫で下ろし、スマホを手に取った。
「恭稲さんから?」
 スマホ画面にはリモートアプリ、sky blu,からのお知らせ通知が届いていた。
 昨日sky blueにアカウント登録をして使用したばかりの聖花にとって、繋がりがある相手といったら恭稲白しかいないはずだ。
 聖花はsky blueのDMを開ける。


[白様だと思いましたか? 安易な予想も空しく智白です。白様は依頼者との契約以外、こちらをご使用することはありません]

[昨夜は無事にお戻りになられたようですね。今後外出なさるときは、こちらにご報告を。何かありましたら白様からご指示がくるでしょう]


「智白さん⁉ ん~、智白さんってあのお稲荷様のはずやんね? せやのになんで文字が打てるんやろうか? ……何かの術でも使いはった? というか恭稲さんがこのDMを使えへんって言うんやったら、一体どうやって連絡取り合うんやろう?」
 聖花は首を捻りながら、左手だけで返信を打つ。そのスピードは速い。右手では、自身の前方を守るように木刀を盾にしていた。


[おはようございます。昨夜はお世話になりました]


[外出時の報告の件、了解いたしました。引き続きよろしくお願いいたします]

 まるでビジネスメールのように簡潔的に返信を打つ。本当は色々と聞きたいこともあるのだろうが、気軽に質問出来る程智白と親しいわけではない。親しくなれるとも思っていない。昨智白に叱られたことが少々トラウマになっており、自然と距離感を遠のけてしまう聖花だ。

 そんな聖花の心を知ってか知らずか、すぐに既読はついたものの返信はない。意志疎通は出来たため、問題ないと判断したのだろう。聖花もそれ以上深入りすることはなかった。


「さて、まずは身なりを整えますか」
 ベッドから起き上がった聖花は、着替えと木刀を手に持ち、浴室へと足を向けた。



 聖花が肌身離さず持っている木刀は、聖花の父である『碧海(あおうみ)(まさ)(ひろ)』が買って渡したものだ。

 学生時代剣道をたしなんでいた雅博は、全国大会二位の成績を持ち、その腕前は今でも健在だった。その特技を生かし、聖花自身でも少しは身を守れるに越したことはないだろうと、雅博が毎晩剣道の指導をしていた。 


 母親の響子は響子で、ありとあらゆる護身術を調べては聖花に指導し、雅博はそれの練習台となっていた。
 響子はそれだけに止まらず、何かあった時のためにと、スタンガンや催眠スプレーまで持たせようとしていた。
 我が子の命が狙われていると分かってからというもの、雅博も響子も気が気ではないのだ。 


 その両親の気持ちは感謝している聖花ではあるが、流石にスタンガンなどの対策は丁重に断っていた。
 身を守るために持っていると思ってもらえればいいが、誰かに使う側として見られたら厄介なことになる。
 木刀は部活や習いごとだと言い逃れも出来るが、日本においてスタンガンを扱う部活や習いごとなど、無いに等しい。例えあったとしても、一般人が通うとは思えない。警察に守ってもらうはずが、警察に捕まってはたまったものじゃない。





 聖花が一階へおりると、キッチンにいた響子が駆けてくる。


「おはよう。……ちゃんと眠られへんかってんやね。クマが出来てるわ」
 響子は聖花が返事をする前に娘の体調を察する。
「おはよう。少しやけどね。シャワー浴びたらスッキリすると思うから平気」
 母親にこれ以上の心配をかけさせないため、聖花は気丈に振舞う。まさか、人非ざる者に命を守ってもらうため、恭稲探偵事務所を訪れて寝不足だとは口が裂けても言えないだろう。そもそもそれは契約違反に反する。それにどんな秘密を抱えたとしても、これ以上母親に心配をかけさせたくない。というのが聖花の本音だった。





 家族で平和に大掃除をしていた十二月八日。
 本来であれば、碧海家は例年通りの慌ただしさはあれど、平和な師走を迎えるはずだった。だが、十二月十三日の金曜日に脅迫状が届いたことによって、碧海家に激震が走る。


 十二月十三日の金曜日。
 朝刊と共に入っていた脅迫状。
 それにいち早く気がついたのは、朝刊取り役の聖花だった。
 聖花はそれが悪戯かどうかも判断できぬまま、自身の勉強机の引き出しにしまい込み、家族に何も話さなかった。


 十二月十三日の夕飯時。
 脅迫状のことによって聖花は終始挙動不審かつ、家族とのコミュニケーションも上の空でいた。その異変を察知した両親が聖花を問い詰めたことにより、嘘が下手な聖花は話さざるを得なくなってしまう。
 脅迫状のことを知った両親は、なぜその時に話さなかったのかと激怒した。響子はあまりの不安と恐怖感で過呼吸を起こし、そのまま救急車で運ばれている。
 一週間という期限は余りにも短すぎた。


 十二月十四日の土曜日。
 既に精神崩壊を起こしていた響子は、大きな物音やインターホンが鳴るだけでパニックを起こし、日常生活さえままならない。
 本来であれば、しばらくは入院をして経過観察するところを、事態が事態だと、響子は半ば強引に退院してきた。
 担当医が処方した精神安定剤を服用することで、なんとか日常を暮らせるようになっているが、車の運転には、当面のドクターストップがかかっている。
 ぐっすり眠ることも、気が休まることもない響子は、時間が経過する度にやせ細り、顔色が悪くなる一方だった。それを見兼ねた雅博が睡眠導入剤を進め、幼子のように響子を寝かしつけていた。

 聖花は命を狙われる恐怖と共に、家族の精神が崩壊してゆく恐怖に怯え、頭を悩ませていた。


 十二月十三日~十二月十五日の夜にかけ、聖花は雅博と共に何度も警察に掛け合っていた。だが、事件が起きていない今は何も対処のしようがない。脅迫状も悪戯の可能性が考えられる。という理由でまともに掛け合ってもらえなかった。


 十二月十五日の日曜日の深夜。
 何か良い策はないのかとネットサーフィンをしていた聖花の前に、恭稲探偵事務所の扉へと続く幻の動画が現れたのだ。




「聖花ちゃん、今日も学校行くんよね?」
「うん。卒業と共に受験も迫ってくるし」
 高校三年である聖花は、来年の二月二五日に卒業を控えている。
 悪戯か本物か判断のつかない脅迫状があるなか、卒業日は確実に迫ってきていた。ここで単位を落としたり、登校日数を減らしたくはない。


「聖花ちゃん。ほんまにお父さんに送ってもらわんで大丈夫なん? あれやったら、お母さんと一緒にタクシーで登校するんはどうやろか?」
「おおきに。せやけど大丈夫やで。自転車で行くから。五分くらいでつくし」
「そんなんゆうても……」
 響子は左手で右肘を支え、右頬を掌に添えて眉根を下げる。


「……。じゃぁ、私もついてゆくから一緒に行こう?」
 何かいい策はないかとしばし首を傾げていた響子は、少しでも危険を回避するための案を出す。
「分かった。じゃぁ大通りで一緒に行こう。準備するなぁ」
 聖花は笑顔で言って浴室へと足を向けた。響子は聖花の背中を心配そうに見守り、朝食の支度にとりかかるのだった。



  †


「せやせや、外出する時は連絡するんやったね」
 両親と朝食を終えた聖花は身支度を整え、自室のベッドに浅く腰掛け、スクールバックからスマホを取り出す。学校用の手帳型スマホケースのストラップ部分には白狐ストラップが主張していた。


「他の人には見えへんって言うてはったけど、ちょっとスマホが重うなるし、かさばってまうなあ」
 聖花はロックパスワードを入力したところで、コロンとした白狐ストラップを見つめる。
「せや!」
 ひらめく聖花は白狐ストラップをスマホからスクールバックに付け替える。
「今はココでええよね」
 うんうん。と納得するように一人頷く聖花は、先程のDMにメッセージを書きこんで送信する。


[今から高校に行きます。自転車です]


[智白です。了解しました。百合泉乃高等学園ですね。誰か同行する方はいらっしゃいますか?]


[母と行きます。はい。百合泉乃高等学校です。自転車で大通りなどを使い、家から五~六分程でつくかと思われます]

[了解しました。ではまた何か動かれるようでしたらご報告を。すぐにでも白様からご連絡がくるかと思われます。くれぐれも粗相のないように]


「恭稲さんから連絡? ぇ、どうやって?」
 智白の返信に対して首を傾げる聖花であるが、その問いを智白に送信することはない。


[分かりました]
 とだけ智白に送信する。刹那で既読がついたものの、その後の音沙汰はない。それにより話は完結したのだと察した聖花は、スマホをホーム画面に戻し、黒のダッフルコートの左ポケットにしまいこむ。


「よっし。行こう!」
 少し気合いを入れた聖花はスクールバッグを背負い、部屋を後にする――はずだったのだが、耳元で金属音がなり、顔を歪ませて立ち止まってしまう。

「な、なに?」
 聖花は左耳を抑え辺りを見渡す。もちろん誰もいないし鈍い金属音を立てるものもない。


『私だ』

 部屋をきょろきょろ見回していた聖花の左耳から声が響く。 
 優しく響く低音。アンティークのような重厚感の中に、深くて切ない色香が流れてくる。


『碧海聖花。キョロキョロするな。視点を定めろ』

 ヴァイオリンのD線を奏でるような声音でありながら、口調と伴いどこか威圧感を感じさせる音が聖花の左耳に響く。


「ぴ、ピアスから?」
 驚きと不安によって視線と声音を落とす聖花は、右手で左耳についているピアスを触る。


『嗚呼。ピアスに触るな。性能が鈍る』

 白は少し不機嫌に声音を落とす。聖花は、すみませんッ! と慌てて両手を下ろし、気をつけの姿勢に正した。

『今後はこちらで私が指示を出してゆく。碧海聖花は私に従ってもらう』


「わ、分かりましたッ。すみません!」
 聖花はどもりながら謝る。

『分かればいい』
 と言う声が左耳に響く。その音に聖花の胸がバクバクと高鳴る。耳もほのかに色づいてきたように思える。どうやらピアス型トランシーバーは聖花にとって、少々刺激が強いようだ。


『学びの場までは自転車で行くと智白から聞いた。消毒液を混ぜた水を自転車にかけ、洗浄しておいた方が身のためだろう。目的地に着き次第手を洗え。それまでは自転車以外のモノに触れるな。特に肌や口周りをな。マスクをしておくほうがいいかもしれないな』

 やや呆れのにじむ声音が聖花の耳に届く。毒舌は相変わらずのようだ。


「は、はい?」
 聖花は白からいきなり言われる意味不明な指示に、きょとん顔で小首を傾げる。


『碧海聖花の頭の回転は止まっているのか? 命を狙われているうえ、行動範囲はもちろん、所有地と所有物が知られている。毒が塗られていても可笑しくない。青酸カリくらい聞いたことはあるだろう?』


「……なるほど。青酸カリはアーモンド臭がするものですよね。知っています。よくアニメなどで耳にしますから」


『アーモンド臭など素人に理解できぬはずだが? 特に女であれば感じにくいだろう。いや、今の時代は、男も女も変わらぬのかもしれないな。そちらの世界では、メイク用品や芳香剤や髪。至る所に香りが溢れ返っているだろうからな』

 聖花は冷静な口調で話す白の話に対し、確かにそうかも。と、内心で納得して頷く。
 現にお風呂上がりの聖花はフローラル系の香りに包まれている。髪や身体だけでなく、ハンドクリームや香り付きの保湿リップ。制服についている柔軟剤もそうだ。
 その中でアーモンド臭がふわりと香ったところで、すぐにかき消されてしまうだろう。
 そして、気のせいかもしれない。という心が産まれ、一瞬の違和感もすぐに消えてしまう。


「分かりました。母の自転車と共にそうします」
 聖花は猫脚の四角形サイドテーブルの上に置いていたマスクケースから、使い捨ての不織布マスクを二枚取り出す。
「マスクにも除菌スプレーをします」


『嗚呼。まぁ、それは青酸カリ対策にはならないがな』

 白の返答をスルーする聖花は除菌スプレーを手に自室をでて、玄関前に響子用のマスクをおいて外にでる。


「前に出したほうがええかな?」
 独り言と共に青のワゴン車の後ろに置いている二台の自転車をワゴン車の前に置く。桜色の電動自転車が響子のもので、黒色の電動自転車が聖花のものだ。
 黒色が落ち着くことと、汚れが目立たないことを考慮し、聖花自身で選んだものだが、家族には不評だ。
 次に聖花は、お水お水、と言う言葉を繰り返しながら立水栓の蛇口をひねる。


『すでに触ってしまったならば意味がない。自転車を洗浄したところで塗りつけるだけだ。先に手を洗え。それと息を最小限に抑えろ。返答は目的地に着くまでしなくていい。何かあればこちらから指示を出す。碧海聖花は私の指示通りの言動を。分かれば手を叩け』

 聖花は白の返答として手を一つ叩き、大きく頷いた。


 その後、二人分の自転車を洗浄した聖花は響子と共に登校するのだった。



  †



『ついたようだな』

 自転車を学校内の駐輪所に止めていた聖花に白が声をかける。すでに響子とは校門前で別れていた。
 次にスクールバックからジップロック付きエチケット袋を取り出す。出来るだけ肌やマスクの表面に触れないよう、マスクの紐を指先でつまんで口元を開放する。
 取ったマスクはエチケット袋にしまって封印後、駐輪所にあるゴミ袋に捨てた。
 聖花が捨てたゴミは掃除の時間になれば回収され、燃やされる。誰もゴミを漁ろうとはしないだろう。


「ふぅ」

 グラウンドの手洗い場で手を洗い、消毒スプレーで手を整えた聖花はホッと一息つく。

 次にその手でバックから新たなマスクを取り出し、着用する。プリーツ型の白色のマスクと、至って一般的だが、一枚一枚袋に入れられているため衛生的だ。
 聖花に休んでいる暇はない。部活以外で走る姿は品性がない。と教師に叱られてしまう為、普段なら学校内を走ることはない聖花だ。
 だが今は背に腹は代えられない。とばかりに走る。祈りを捧げる時間に遅刻するよりはマシだと判断したのだろう。


 聖花が通う百合泉乃中高等学園は天使や神様の存在を大切にしており、授業前には必ず祈りを捧げる習慣がある。故に、聖花も見えない存在を全て信じていた。
 だからこそ、白や智白といった見えない存在というモノ達にも素早く順応出来ているのだろう。


「ぁ、あの~、お一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 キョロキョロと辺りを警戒しながら走る聖花は、回線が繋がっているであろう白に低姿勢で問うてみる。


『なんだ? 内容によっては答えないが言ってみろ』
「はい。青酸カリは服毒ですよね? どうして窒息死って言うんですか?」


『嗚呼、そのことか。碧海聖花は人間の胃液の成分は知っているか? あれの主成分は塩酸だ。青酸カリを飲むと胃液の塩酸と混じり合って化学反応を起こし、猛毒の青酸ガスを発生させる。それにより窒息をし、死をみることになる。というわけだ』

「か、化学反応……ですか?」
 理化学が苦手な聖花の眉間に少々皺が寄る。


『混ぜるな危険。という表示を見たことはないか? あれは塩素系と酸素系を混ぜると青酸ガスが発生するために、危険だと忠告しているのだ』

「な、なるほど。そ、それは本当に混ぜるな危険物ですね」
 走りながら耳を傾ける聖花の息が上がってくる。


『嗚呼。そしてその青酸ガスの匂いが、アーモンドによく似た甘酸っぱい匂いを嗅ぐわせる。と表現することが多い。だが本来は収穫前のアーモンドの香りにより、アーモンドエッセンスなどという甘い香りとは異なる。
また、遺伝的にこの臭いを感じない者が二十パーセント〜四十パーセントいるようだ。碧海聖花がそれに該当するかは現段階で判断する基準がない。だが遺伝子云々の前に、一般人は嗅ぎ分けることですら稀だろう』


「な、何故ですか?」


『メイクや芳香剤。柔軟剤の香りですぐにその香りがかき消されるはずだからだ。それと、煙草だ』

「煙草?」
 思わぬものが話に出てきた聖花は、おとぼけ顔をしながら首を傾げる。それに対し白は、『嗚呼』と相槌を打ち、話を続ける。


『碧海聖花の家族で煙草を愛用している者はいるか? 煙草の煙、煙草葉の中には、無機・有機シアン化合物を由来としたシアン化水素が含まれている。そのため、喫煙室または禁煙中にシアン化水素の臭いをかぎ分けられる人間はいないに人惜しい。
特殊な訓練や余程の嗅覚を持っていない限り、実際そこにシアン化水素が存在しても、必ずその臭気を感じ取ることはできない。と考えるのが自然だろう。
 だが微量でも青酸ガスの発生を感じたならば、すぐに換気をした方が身のためだ。それができなければ酸素を確保し火をつける。それすらもできなければ物を燃やしまえ。そうすることで、青酸ガスは、水と窒素、二酸化炭素へと分解され、無毒化される。
 4HCN(シアン化水素)+5O2(酸素)→2H2O(水)+2N2(窒素)+4CO2(二酸化炭素)。それが化学計算式となる。
 ちなみに、4HCN=シアン化水素=慣習的に青酸と言われているものに該当する。詳しく言うならば、気体のシアン化水素=青酸ガス。液体=液化青酸。水溶液=弱酸性を示し、シアン化水素酸と呼ばれている。気体、液体、水溶液のいずれについても――』


「ぇ、えっと……きょ、教室に行きま~す」

 段々と白の話についていけなくなってきた聖花は、逃げるように話を遮る。


『……嗚呼。しっかりと勉学に勤しむがいい。どうやら未熟な脳をしているらしいからな』

 白はどこか哀れむように言った。聖花は言い返す言葉もない。もしあるとするならば、体育と国語は得意教科なんです。人には向き不向きの教科があるものなんです! くらいだろう。だが言わない。無意味な会話だと感じたからだ。


『また何かあればこちらから指示を出す。碧海聖花自身で、これは生存に関わることだと判断した場合は、“開”という合言葉を。それで私との回線が繋がる』


「分かりました」
 聖花は白の話に耳を傾けながら、白とラベンダー色で配色された壁が印象的な校舎内を走る。二階にある三-Aが聖花の教室となる。

 ガラガラ……。
 聖花は後ろの教室扉を控えめに開けるが、無音とはいかなかった。


「碧海聖花さん、三分の遅れがありましたよ。ゆとりある心と行動を大切にして下さいね。すぐに朝のお祈りの会を始めます」
 少しふくよかな六十代前半程の女性が、教壇から聖花に言う。柔らかな口調ではあるが、丸メガネの奥にいる切れ長の目をさらに細めて聖花を見やる辺り、呆れとご立腹さを抱えているのであろう。

「申し訳ありません。以後、気をつけたいと思います」
 一言謝り頭を下げる聖花は、小走りで窓際の一番後ろの席へ向かい、机の左横についているフックにスクールバックの手提げ部分を引っかけた。白狐ストラップが主張しているが、他の者には見えていないため、誰も気に留める様子もない。


 聖花が愛用するキャラメルブラウン色のスクールバックはこの学園のものだ。左下に百合の花が白色で刻印されており、その下には学園名が刻まれている。また、聖花達が着用するセーラー服にも、それぞれの特徴がある。


 一年生は白を基調としたセーラー服。上下に分かれている物ではなく、膝下丈のセーラーワンピースに、ウエスト部分のベルトで調整する作りになっている。左胸のポケットには紺色の百合の花が刻印されており、ボウネクタイも紺色だ。
 女の子らしい洋服を余り好まない聖花にとって、その制服に身を包む日々は苦行であった。


 二年生に上がると制服は灰色。水色の紐ネクタイへと変化する。

 三年になれば、黒に近い紺色の制服となり、赤色のリボンネクタイへと変化する。
 何故学年によって制服が変化するかには、ちゃんとした意味が存在する。


 一年の白色は、誰にも汚されることなく純粋無垢であってほしい。という願いと共に、紺色のネクタイには、自分の意志をちゃんと持っていて欲しい。という意味が込められている。


 二年生の灰色には、白でも黒でもない色=調和。の意味が込められており、自分勝手に振舞うでも、相手の意見に流されるでもない、人との調和を大切にして欲しい。という意味が込められていた。
 水色の紐ネクタイには、赤子の純粋無垢な白の心ではなく、少し成長した純粋な自分の心を持っていて欲しい。という想いが込められている。


 三年の赤色のネクタイは、胸に秘める情熱と愛情を表現しており、リボン型には人と人のご縁を紡いでゆけますように。という願いが込められている。
また黒色の制服には、誰に流されるでも汚されるでもない、“本当の自分”という人間を確立して、学園を巣立って欲しい。という想いが込められていた。
このたくさんの想いが詰め込まれた制服に憧れ、入学する者は多い。

 聖花は制服そのものではなく、それぞれに込められる想いや、学園のライフスタイルを大切に選んで入学した。それはもう、勉強に勉強を重ねて――。




「聖花」
 鎖骨下まで伸ばされたストレートの黒髪をハーフアップにした少女が、聖花の元へ笑顔でかけてくる。
「愛莉、お腹すいたー」
 机に突っ伏してへたる聖花は駄々っ子のように言った。

「ぇ? 一緒に昼食しようじゃなくて、空腹の報告が先なんやね」
 高校三年間ずっと同じクラスで時間を共に過ごしていた親友、守里(もりざと)愛莉(あいり)は、ほんの少しの驚きを目で示す。ビー玉のような瞳や長いまつ毛。綺麗な肌に控えめな唇。年齢よりも幼く見られることが多い顔立ちと小柄な姿は小動物を連想させた。
 姿勢を正した聖花は咳ばらいを一つ落とす。


「ぁ、失礼。では、愛莉様。ご昼食をご一緒いたしましょう?」
 と、真面目な顔で伝える。
「ふふ。お腹空き過ぎて可笑しいなってもうてるわ」
 口元を左手の甲で隠して笑う愛莉は言葉を付け足す。
「では、聖花様。昼食にいたしましょういたしましょう。で、今日は何処で食事しよう? 外は寒いから校内であることは決定されてるんやけど」


 ブツ! ジィー……。

 聖花の左耳に器機音が響く。白との回線が繋がったのだろう。


(わ、忘れてた……)
 白の存在がいつも傍にあることを思い出した聖花は、先程の言葉遊びと、授業中の居眠りを白に知られていたかもしれない羞恥心にかられる。


『碧海聖花。ECだ』
 白は昼食場所を指示する。


(ぇ⁉ なんで恭稲さんがECの存在を知ってはるん? しかもなんでその場所を指定?)
 白が言うECというのは、Englishcenterの略であり、外国の先生と共にランチや談話などが出来る場所だ。まだ日本語に不慣れな生徒にとって憩いの場になっていることが多い。

(っていうか、私が居眠りしてた事は知らはらへんのやろか? なんもゆうてきはれへんし。あれか。ずっと回線が繋がっているわけやないってことなんかな? まぁ、何はともあれ、ラッキーラッキー)


『聞いているのか碧海聖花』

 内心ホッと胸を撫で下ろしている聖花の左耳に、白の声が再度響く。
 聖花はうんともすんとも返答をしない。愛莉やクラスメイトが傍にいる状況では、白と会話をできるわけもない。そんなことをすれば、変人扱いされてしまうだろう。故に、聖花は無言で白の従うしかないのだ。


「た、たまには、ECでランチしたいなーって思ってるんやけど……ええやろか? ほ、ほら、私達の残り少ない学園生活、色々な場所を噛み締めたいんよ」

 ECでランチするための言葉を並べる。笑顔で話してはいるが、断れれたらどうしようかと、内心冷や冷やする聖花である。


「じゃぁECにしよか。うちも気になってたんよ。なんでも、最近二年A組の英語の先生が新しく入ってきたみたいで、すっごい美形らしい。気にならへん?」

 愛莉は前のめりで同意を求める。聖花はこれは幸いとばかりに、「せやね! 私もその人見て見たいわぁ」と話しに乗っかる。が、本来聖花はイケメンに特別目がないと言う訳ではない。

「じゃぁ、行こうー! きっと、うちらみたいな人がぎょーさんいはるわ」

 愛莉は聖花の右手に自信の腕を絡ませ、意気揚々とECへと足を向ける。気持ちははやっているのだろうが、けして駆け足になったり、走ったりすることはない。常に学園内で磨かれる品とゆとりのおかげだろう。




  †




「わぁ。聖花見てよあっこ! すでにあっこの席に人が集まってる。きっと例の先生が生徒達に囲まれてるんやわ」
「ほんまや。大人気やね」
 聖花は愛莉が指さす先を見て、どこか感心したような驚きの声を漏らす。
 愛莉が指さす先には、右に二人。左に二人の女子生徒が例の先生を囲むように座っている団体。大円系の机一つでは足りなかったのか、隣り合わせにもうワンセット並べていた。
「よっし! うちらも行きますよ」
 愛莉は口元の前で小さな握りこぶしをつくり、気合を入れた。


『行け』
「⁉」
 まさかの白の指示に聖花は刹那目を開く。一瞬過る疑問と不安感。それらを掻き消すかのように、「ほら~聖花も! ぼやぁーっとしてたらあかへんよ!」と、愛莉が聖花の手をひいたまま、団体の輪の中へ飛び込んでゆく。


「すみません。こんにちは。うちらもご一緒してもよろしいでしょうか?」
 愛莉の言葉に、その場にいた者達の視線が一斉に二人へ集まる。中々の迫力に少し怯む聖花に対し、愛莉はなんのそのだ。堂々としながらニコニコ返答を待っている。


「えぇ。もちろんですよ。僕は数日前に赴任してきたばかりでまだまだ不慣れなんです。生徒達のこともよくよく把握しておきたいので是非」
 と微笑むスーツをきた二十代前半程の男性。切れ長のツリ目に鼻筋が通った高い鼻。血色のいい薄い唇。シャープな輪郭に細身の体型。やや褐色の肌。一見近寄りがたい美形ではあるが、微笑むことで目元がくしゃりとタレ目になる。それによって一気にあどけない印象へと変化し、近寄りやすい雰囲気を醸し出す。


「ありがとうございます」
 そうにこやかにお礼を言う愛莉だが、二人が入り込むスペースはない。自分の場所は自分達で確保せねばと、二人は二時の方角に開いていた同じ種類のテーブルをワンセット移動させることにした。


 白の大円形テーブルと二脚の椅子を聖花と共に運んだ愛莉は、トライアングルになるように設置する。
 一二時の方角に教師が座り、二時と十一時の方角に白いセーラ服に身を包む生徒。四時の方角に愛莉。五時の方角に聖花。七時と九時方角には、灰色のセーラー服に身を包む生徒達が座っている。そこにいる生徒達は皆が聖花達の後輩だが、その中に聖花達の知る生徒の顔はいない。


「初めまして。うちは三-A組の守里愛莉って言います。左隣にいるのが同じクラスの碧海聖花です」
 自分達の席を確保した愛莉は息つく暇もなく、ハキハキと自己紹介を始める。


「碧海聖花です。同じく三-A組です」
 どこか頼りなさげに自己紹介をする聖花は、座ったままペコリとお辞儀をした。


「お二人共初めまして。僕の名前は黒崎(くろさき)玄音(げんと)です。十二月五日に赴任してきました。今は、一年C組を担当しています。お二人は三年生なのですね。出会ってばかりなのに別れが早いと分かっているというのは……なんとも切ないですね」

 黒崎玄音と名乗る教師は聖花を流し見て、そっと微笑む。


「先輩。こんにちは。初めまして。私は一年C組――」
 と残りの生徒達が各々手短な自己紹介を始めた。
 こうして聖花と愛莉の女子生徒二人が加わることにより、さらに華やかで賑やかな昼食会となってゆく。

「黒崎先生。ご質問をしてもよろしいですか?」
 と、愛莉がハムとスライスチーズのサンドウィッチを食べる手を止めて問う。共働き家庭の愛莉家では、昼食は各々確保することがルールとなっている。愛莉自身でお弁当を作るときもあれば、コンビニや売店で購入することもある。

 対して聖花は響子が毎朝手作りお弁当を作ってくれていた。
 時折コンビニで買うこともある。が、脅迫事件があってからはテイクアウトなども含め、外食せずともよいようにと、毎日お弁当を持参していた。響子が寝込んでいる時は聖花自身でも、家族分のお弁当を作ったりしていた。
 ゆかりふりかけで彩られたご飯。その半分には甘めの卵焼きと小エビの天ぷらが三つ。サワラの西京焼きに大根と人参とシイタケの煮しめ。といった本日のラインナップは全て響子の手作りだった。


「はい。どうされましたか? 守里愛莉さん」
 黒崎は微笑み、小首を傾げる。


 百合泉乃中高等学園では、教師は全生徒の名前をフルネームで呼ぶことが義務付けられていた。理由は、教師と生徒の距離感の一定を保つためと生徒平等のため。
 大勢の生徒がいれば同姓同名の生徒が同じクラスになることもある。一クラスならばまだしも、学校行事時などには全生徒が集まることになる。その際の混乱を招かぬための義務付けだ。
 全生徒にさん付けなのは、生徒の自立心を育むため、一人の人間として接すためのものだった。


「黒崎先生は急なお引越しとかなされたんですか? この時期に新しい先生が赴任ならはるのは珍しいことやなあと思いまして」


「あぁ~」

 そのことですか。というような相槌を溢す黒崎は、少し色々とありましてね。身内のこととか。と、何処か曖昧に答える。


「ぁ、すみません。立ち入ったことをお聞きしすぎたみたいですね」

 困ったように眉根を下げる黒崎に慌てた愛莉は、申し訳なさそうに謝る。


「いいえ。どうかお気になさらず。他にご質問はありますか? 私に答えられる事がありましたら、お答えいたしますけど……」

 黒崎と愛莉が会話をする一方聖花は――。



『碧海聖花、次は十時の方角に顔を向けろ』

 左耳に響く白の指示に対し、無言で従っていた。


『九時。その次に八時。三秒ごとに反時計回りに顔を向けてゆけ』

「ッ!」
 何も言わず指示に従っていた聖花の視線が揺れる。
 聖花の視線の先、二時の方角に座る一年-C組の斎藤由香里が息を飲んでいた。由香里は慌てて視線を黒崎に向ける。まるで、聖花の視線から逃れるかのように。


(まただ……)
 聖花の視線が自分の手元に移る。
 聖花にとって、自身と不意に視線があった相手に、恐ろしいモノを見たかのように視線を外されることは日常茶飯事だった。今回の唯一の救いは、暴言や心無い言葉をかけられなかったことだ。


『碧海聖花。どうした? 一時と十二時が終われば自由にしていい』

 白の声で我に返った聖花は、素直に言われた指示に従う。


「わぁ~。碧海先輩のお弁当素敵ですね。ザ・日本! って感じがいたします。私、一週間前に帰国したばかりなので、懐かしい気分になります」
まつ毛にかかるギリギリの前髪に内巻きのミディアムヘアー。小柄な体格に色白の肌。ビー玉のように丸い瞳。透明感のある肌。やや充血した白目が少し気になる二年A組、西条《さいじょう》春香《はるか》は楽しそうに聖花に話しかける。


「ぁ、ありがとう。そうなんやね。えっと……西条さんやったやろか?」
 初対面の人にこんなにも明るい声で話しかけられることがまずない聖花は、驚きと戸惑いで返答がどもってしまう。


「はい! 二年A組。西条春香です。春香と呼んで下さい」

 春香は瞳を輝かせながら、人懐っこい笑顔を向けて頷く。まるで瞳のことを気にしていないようだ。


「合っててよかった。じゃぁー春香ちゃんって呼ばせてもらうな。私のことも聖花でええからね」
「はい! 聖花先輩」
 春香は嬉しそうに頷く。見てるこちらまで嬉しくなるような笑顔だ。


「……春香ちゃんは、私の瞳が怖ないん?」
「どうしてですか?」
 恐る恐る問いかける聖花に対し、春香はさも不思議そうに小首を傾げて見せる。
「どうしてって……濃いオレンジ色と赤黒いような色が混じり合った変な瞳の色で気持ち悪い~とか?」
 聖花は改めて何故かと問われると上手い言葉が見つからず、複雑そうな顔をしながら視線をさ迷わせて答える。


「怖くないですよ。外国には色々な瞳を持った人がいますし。というか私、その瞳はカラーコンタクトかと思っていました。この学園って規則が厳しいのにチャレンジャーだなぁって。本物だったんですね」

 春香は自分の勘違いを面白がるかのように、拳を口元に当てて笑う。聖花はその笑顔に救われた気がして、緊張の糸が緩んだように口元を綻ばせる。
 ほんわかとした柔らかい空気に包まれたところで、昼休みの終わりを告げる曲が流れる。曲目はバレエ音楽として有名な、『Stravinsky/Pulcinella』だ。
 序曲: Allegro moderatoの約二分間が昼休み終了の合図となっている。


「もうお昼休みが終わりのようですね。皆さんはそれぞれの教室へ戻りましょう。私も一度教師の教室へ戻ります」

 黒崎は穏やかな笑顔で言う。


 教師の教室。というワードが女子生徒二人のツボにハマり、笑いが零れる。その二人の笑いが周りに伝染してゆき、その場にいる皆が笑い始める。
 こうして終始賑やかで華やかな昼食会が終わりを告げるのだった。


  †

「聖花~。黒崎先生、カッコよかったなぁ」
「せやね~」
 教室に戻ってくるなり、心と声を弾ませる愛莉に相槌を打つ聖花であるが、脳裏ではリモート画面で見た白の姿が浮かんでいた。白を見てからというもの、どんなにカッコいい男性だと言われている人も聖花の目には霞んでしまう。
 その白というと、あれっきり話しかけはない。
「黒崎先生の生徒になりたいわ~」
「せやったら愛莉は留年せなあかんくなってまうやないの」
 聖花は苦笑いを浮かべながら自分の席に座る。
「それは勘弁してやぁ。ウチはストレートで卒業して、サクッと大学受かって、勉強に勤しんで免許をいただくんやから!」
 愛莉は胸の前で小さなガッツポーズを作り、意志強く言い切る。
「せやね。教員免許をとって、ここの学校で先生するのが夢やねんもんね」
「そうそう。校長先生に直談判して、ここの先生として雇ってもらえるようにも頼んでんから」
 愛莉はうっしっし。とでも言うように、口元で両拳を当てて口元を緩める。
「おぉ。それはまぁ、凄い情熱やことで。で、反応は?」
「私の一存で決められません。人事を尽くして天命を待ちなさい。守里愛莉さんの想いが強ければ、いつか神のご加護があるでしょう。それまではまず、教員免許所得することに専念なさい。とのことでした」
 愛莉は両手をだらりと落とし、意気消沈さを表現する。
「まぁ、そらそうなるやろね」
 聖花は眉根を下げて相槌を打つ。まるで、どんまい! とでも言うように、愛莉の背中をポンポンと叩いた。
「聖花はここを卒業したらどないするん? 将来なんかしたいこととかあらへんの?」
 愛莉は聖花の正面に回り、制服が広がらないように気をつけながら足を添えてしゃがみ込み、聖花の机の上にちょこんと両手の先を乗せる。その上に顎を置く姿は幼子のようだった。
「せやねー……」
 聖花は思いを巡らせる。
 聖花は幼少期お花屋さんに憧れていた。だがそれは数日のこと。お花には虫がつくことを知った聖花はすぐに断念した。虫が大の苦手なのだ。絵を描くのは好きだったがそれを職業にしようとも思わなかった。
 成長する度に、ケーキ屋さんだ芸能関係の仕事だと、色々な業種を思い描いていた。だがそこに本物の炎が灯ることはなく、気がつけばいつも情熱が跡形もなく消えていた。
 そのため聖花にとって、中学生の時から教師になる夢を抱え続け、夢を実現させるために奮闘している愛莉は憧れだった。
「取り合えず今は、今を生き切ることやね!」
 聖花は冗談ぽく言って笑う。これでも命を狙われている身だ。半分は本気なのだろう。どんな夢を描いていても、どんなに憧れを持っていても、命がなければ何もできないのだから。
「なんなんよそれは。でもせやね~。それが一番大事なことのようにも思えてくるわ。命あっての人生やから」
 愛莉は口元に手を当てて笑う。
「もし聖花にも夢とか憧れとかできた時は教えてな。そんときはうちが真剣に応援するから」
「おおきに。その時は、頼りにさせてもらうな~」
 なんとも平和な会話を繰り広げていると、授業の始まりを告げるチャイムが響く。
「じゃぁ、またね聖花」
 小さく手を振った愛莉は自分の席に戻っていく。
 聖花は大好きな友人の背を微笑ましそうに見守った。
 その後、何事もなく全ての授業は終わりをつげ、放課後となる。
「じゃぁ聖花、また明日」
 愛莉はそう言って足早にテニス部へと向かう。
 教室に残されているのは帰宅部の聖花と数人の生徒達。
 何も変わり映えはなく、夕日が教室の窓から差し込み、カラスが鳴いていた。
「私も帰りましょ帰りましょ」
 スクールバックを手にした聖花は椅子から立ち上がる。
『碧海聖花』
 聖花は急に左耳から流れる白の声音に肩を震わす。
『自転車を使うならば今朝のように洗い、タイヤパンクとブレーキの確認を』
「了解です」
 と小声で答える聖花は静かに教室を後にした――。