「いきなりなのですが、命を狙われているんです」
落ち着いた口調で伝えるその声音は、イントネーションの節々に京都の色を感じるものの、高すぎず低すぎず滑舌もよい。リモート向きと思えるものだった。
『例えば?』
白は少し首を傾げる。ほんのりと上がっている口端を見ると、白の興味をそそる案件だということがわかる。
「盗撮された写真と脅迫状がポストに入っていました」
『現物は持っていないのか?』
「持ってきています」
と、プルオーバーパーカーの腹部についている大きなポケットから、招待状などに適した羊三号の茶封筒を取り出した。のり付けされたダイヤ貼り部分ではなく、ペーパーナイフなどで封筒上部を既にカットしていた。
「見えますか?」
聖花はその封筒の中から三枚の写真を取り出し、試行錯誤しながら白に見せてゆく。
『嗚呼。遠距離から撮影された授業中の写真が一枚。登校中の写真が一枚。家に入ろうとしている写真が一枚。そこに写っている家は、碧海聖花の自宅。という認識で合っているか? それと、学び場の名と教室は?』
聖花が提示した写真を確認しながら話す白の声と共に、カチャカチャというタイピング音がリモートを通して響く。その音は控えめでガサツさなど微塵も感じられない。
「はい。私の自宅です。学校は、百合泉乃中高等学園に通っています。私の教室は南館の高等3―Aになります。そして、これが脅迫状になります」
聖花は写真を封筒に戻す。次に、A四用紙に作られた殺人予告じみた手紙を四つ折りから広げ、スマホを通して白に見せる。
[ 碧海 聖 花。 呪 わ れ し 血 を 持 つ 者 。
何故、お前が生 き て い る。
我 が 手 に 堕 ち て 朽 ち て ゆ け。
期限は十二月十三日明朝より、十二月十九日の一 週 間。
精々残りの余 生 を 楽 し む が い い。
二 〇 × × 年 十 二 月 十九日]
お品書きメニューなどで利用されていそうな魚石行書フォント。黒色を主となるように印刷された文字達。それを一文字ずつカットして、白紙へ切り絵のように貼ってある脅迫状だった。
“呪われし血を持つ者”
“朽 ち て ゆ け”
まるでその言葉だけ強調するかのように赤色に印刷されていた。
悪戯にしては手が込みすぎているうえ、強調された言葉も意味深だ。簡単にスルー出来る物ではないだろう。
『手間の掛かるものを。暇人か』
白の第一声がそれだった。脅迫状などを見慣れているのか、その内容にも触れない。
「ひ、暇人って……」
聖花は白の言葉に苦笑いをする。
『当日を含め、本日で三日目。なにか変わったことは?』
白は電子カルテを打ち終えた医師のように、一度タイピングの手を止めて問う。
「いえ。特にまだ何も。一応何回か警察にも伝えたんですけど、悪戯の可能性もあるので今は何も手が出せないと。何かあればすぐに伝えて下さい。と言われてしまい」
聖花の話を聞いた白は嘲笑うように鼻を鳴らす。
『流石だ。いやー見事見事。こうも私の期待を裏切らないとはな』
白はどこか嘲笑うかのように言いながら乾いた拍手を鳴らす。
『お手本のような警察の常套句。掛け合うだけ時間の無駄だな』
白はどこか軽蔑するかのような溜息交じりに言いながら、チェアーの背もたれに深く背を預けた。
『事件が起こっては頭を下げるばかりで脳がない。市民を守るのが務めという割には、己や組織を守るのに必死だ』
白は苦虫を踏み潰したような顔で話す。
(過去に警察となんかありはったんやろうか?)
という聖花の疑問が世に出ることはない。依頼者と馴れ合うつもりはない。と初めに言われているうえ、初めましての人に、そこまで深く踏み込めるはずがない。
『このことを認知している者は他にいるのか?』
「両親にだけ。話すつもりはありませんでしたがバレました」
『そうか。それ以上は話を広めない方が得策だな。どんなに仲のいい間柄でも決して話さないことだ』
「友人ですら疑えと?」
聖花はぎょっとする。
『嗚呼。そうだ。こうなってしまえば全てを敵と見なしていた方が身のため』
冷静にそう判断を下す白は淡々と告げる。対し聖花はショックを隠せない。無理もない。友人を疑うなど考えもしていなかったのだから。
『碧海聖花。今まで何か恨みを買うようなことは?』
「ありません。……多分」
一度は即答する聖花だが、果たして本当にそうなのだろうか? という疑問が言葉として溢れてしまう。
『本人にその気がなくとも……か。自宅・通学路・学校。全てが筒抜けでは逃げ場がないな。何か対策は?』
白は聖花の情報を聞き出しながら、電子ファイルにデーターを打ち込んでゆく。
「脅迫状が届いた翌日の通学は母が、帰宅は父が車で迎えに来てくれました。母の体調が崩れてしまったことと、学校や友人から不審がられるのは困るという理由で、明日から自転車で登下校しようと思っています。他は、極力一人で自宅にいないように、一人ででかけないように、くらいです」
『なるほど。賢明と言えば賢明だな。因みに車の点検はしているのか? 自宅を把握されている以上は車に爆薬が仕込まれていたりする可能性は高い』
「そんなッ」
聖花は悲鳴じみた声を上げる。
『落ち着け、碧海聖花。犯人を捕まえることが目的か、犯人から守ることが目的か――どちらの鍵が必要だ?』
恐怖と焦りに呑まれる聖花に対し、白は至って冷静だった。
「……。ど、どちらの鍵も必要です」
聖花はしばし考えるも、答えなど初めから決まっていた。どちらか一つを選べるわけがないのだ。
『ほぉ。欲深いな』
白はどこか感心と意外さが入り混じる表情で息を溢す。
「犯人が捕まっても私が死んでしまってはどうしようもないです」
最悪の事態が脳裏に浮かんだのか、そう答える聖花の声音も表情も暗い。
『だが、碧海聖花の家族は守れるかもしれないぞ? 犯人の目的は、碧海聖花を手中に堕として朽ちらせることだからな』
「そんなッ」
『落ち着け、碧海聖花。先程から騒がしい』
いたって冷静な白は恐怖と焦りに呑まれる聖花に冷静さを促す。本当に騒がしいと思っているのか眉尻がピクリと反応していた。
「そ、そんな、この状況で冷静でおられるわけないやないですかっ。大体、なんでそう断言できはるんですか?」
あんまりな白の物言いに対し、聖花の方言が前面に出る。思わず声のボリュームも上がってしまう。それは聖花にとって珍しいことだった。
『私のことが信じられないならそれでいい。こちらから信じてもらおうなどという無意味な努力はしない』
白は冷めた表情で言いながら情報をパソコンに打ち込んでゆく。
「ッ」
聖花はどこか悔しさや悲しさなどいった、負の感情がない交ぜになったようなモヤモヤした感情を覚える。
その複雑な感情を押し隠すかのように、下唇をキュッと噛み締めた。
『余談だが、碧海聖花のその瞳は本物なのか? カラーコンタクトとかではなく』
白はタイピングする手を止めて画面越しの聖花を見つめる。聖花と言うよりは、何かを吟味するかのように、聖花の両眼をじっと見つめている。という表現が正しいかもしれない。
「は、はい。私も両親も日本人。両親はダークブラウンの瞳を持っています。せやけど私は不思議なことに、レッドオレンジのような色をしています。母が言うには、遺伝子の突然変異らしいですけど――やっぱり日本人顔でこの瞳は気味が悪いですよね」
脳裏に苦汁の残像が浮かんだのだろう。聖花は白の視線に耐え切れないとばかりに目を伏せ、自嘲気味な笑みを溢す。
『……なるほど。一言言っておくが私はそれに対し、気味が悪いとは思わない。その瞳で色々あったのだろうが、他者のマイナスな言葉など自分に取りこまぬことだな。自分を卑下するな。簡単なことではないが、自分軸で生きていれば一々感情や現状に振り回されなくてすむ。それに、人間など皮や肉が剥がれてしまえば、ただの人骨にしかすぎない。燃えてしまえば灰と骨だ』
白は冷静に淡々と話す。まるで、全てを諭しているかのような口調だった。
「……。えっと、頭に入れておきます」
聖花は初めて言われる興味深き話達に目を見開き、そう答えた。
『碧海聖花。人非ざる私の手を借りるならば、いくつかの条件がある』
「ど、動画にも書かれていましたが、“人非ざる者”とは、どういうことなのでしょう? 貴方はいったい――ッ」
『条件を飲む、飲まないか。どちらだ?』
白は聖花の問いを問いでかき消す。依頼者と馴れ合うつもりはない。と言う言葉には、自身のことをペラペラと明かすつもりはない。という意味も含まれていたのだろう。
「条件はなんですか?」
聖花は不安げに問う。
当たり前だ。誰だって本日初めましての謎多き探偵が出してくる条件など、恐怖の対象でしかない。
『ほぉ。知りたいか? だが碧海聖花。そちらが条件を選べる立場なのか? 藁にも縋る思いで私の元へ訪れたのなら、はいかいいえの二択しかない。もちろん後者の場合、金輪際私の元へ訪れることは出来ない。そして私も手を貸さないし、差し伸べもしない。……さぁ、どうしたい?』
予防線を張りたい聖花に対し、白は冷淡な声でそう告げる。微笑みを浮かべて問うているが、選択などないも同然。この状況で依頼者が後者を取ることなど、出来ないに人惜しいのだから。
「の、飲みます。条件をッ」
聖花は絞り出すように伝える。このままのこのこ引き返すわけにはいかない。それに、どうせ狙われている命だ。少しでも生存率の高い道へと選択する方がより利口であると思ったのだろう。
『妥当な判断だ。では、条件を述べよう』
白は幼子を褒めるかのように目を細め、ふっと口端を上げた。
どんな条件がだされるのかと生唾を飲み込み、木刀を強く握りしめる。鼓動が早くなっているためか、聖花の呼吸が自然と口呼吸になる。
『一つ目。こここへ通じる道――鍵を口外してはならない』
白は人差し指、中指と立ててゆきながら条件を述べてゆく。
聖花は何も言わず、白が全て言い終えるまで静かに耳を傾け続ける。
『二つ目。今回の依頼で経験した事柄や知恵は全て自分の身に留めておくこと。
三つ目。こちらが依頼者に必要だと判断した言動を素直に従ってもらう。今回の件であれば、こちらが指示した言動によって、碧海聖花自らも命を守ってもらう。ということに繋がる。
四つ目。こちらが提示した鍵で依頼者が真実を知ったとて、基本的に私はそれに対し一切の関与はしない。真実を手にした依頼者が闇に落ちるも、光に導かれるも依頼者自身だ。それが真実を知る者の覚悟と責任。だと私は思っている。それに、その先は私自身のタスクではない。私は依頼者の人生まで背負うつもりはないからな。この四つの条件が飲める場合のみ、契約を交わしてもらう。といっても、はい。と答えた時点で、そちらに拒否権などないがな』
白は、どうする? とでも言いたげに少し首を傾け微苦笑を浮かべる。
ここが引き返すことの出来る最終地点なのだろう。もちろん聖花は引き返すつもりなど毛頭ない。
「わ、わかりました。その条件、全て飲みます」
聖花は至極真面目な顔で頷き伝える。内心では、醜態をさらすことや生死に関わる条件でなかったことに安堵としていた。
『では今からDM(ダイニングメッセージ)を使い、契約書の画像をそちらに送信する。契約内容に承諾した場合は署名後、こちらへ再送信してもらおう』
「はい。サインを再送信するため、一度こちらのリモートを閉じても問題ありませんか?」
聖花は静かに頷く。
『嗚呼。問題ない。返信DM確認後、私から連絡する』
つれないように答える白は顔を左に向ける。整った歯並びに鼻筋が通った高い鼻とシャープな顎は、見本のように美しいEラインを作り上げていた。
白はカチャカチャとタイピング音を鳴らす。端末をいくつも利用しているのだろう。それに対し、スマートフォン一つの聖花は一度リモートを切らざるを得ない。
聖花がリモート画面を落とした時にはもうDMに通知一のマークがついていた。
「はぁ」
聖花は少し緊迫感の糸を解すように小さな息を溢す。
(緊張した~。めっちゃ綺麗な人やけどなんか恐ろしい人やなぁ。何を考えてはるんかよー分からへんし。ほんまに人間とちゃうんやろか? そもそもほんまに信じて依頼してもええんやろか……)
聖花は一抹の不安を抱えながらDMを開く。
そこにメッセージはなく、契約書の画像が添付されていただけだった。
聖花はスマホの右横に装着されていたタッチペンを外し、書類画像に目を通していく。
落ち着いた口調で伝えるその声音は、イントネーションの節々に京都の色を感じるものの、高すぎず低すぎず滑舌もよい。リモート向きと思えるものだった。
『例えば?』
白は少し首を傾げる。ほんのりと上がっている口端を見ると、白の興味をそそる案件だということがわかる。
「盗撮された写真と脅迫状がポストに入っていました」
『現物は持っていないのか?』
「持ってきています」
と、プルオーバーパーカーの腹部についている大きなポケットから、招待状などに適した羊三号の茶封筒を取り出した。のり付けされたダイヤ貼り部分ではなく、ペーパーナイフなどで封筒上部を既にカットしていた。
「見えますか?」
聖花はその封筒の中から三枚の写真を取り出し、試行錯誤しながら白に見せてゆく。
『嗚呼。遠距離から撮影された授業中の写真が一枚。登校中の写真が一枚。家に入ろうとしている写真が一枚。そこに写っている家は、碧海聖花の自宅。という認識で合っているか? それと、学び場の名と教室は?』
聖花が提示した写真を確認しながら話す白の声と共に、カチャカチャというタイピング音がリモートを通して響く。その音は控えめでガサツさなど微塵も感じられない。
「はい。私の自宅です。学校は、百合泉乃中高等学園に通っています。私の教室は南館の高等3―Aになります。そして、これが脅迫状になります」
聖花は写真を封筒に戻す。次に、A四用紙に作られた殺人予告じみた手紙を四つ折りから広げ、スマホを通して白に見せる。
[ 碧海 聖 花。 呪 わ れ し 血 を 持 つ 者 。
何故、お前が生 き て い る。
我 が 手 に 堕 ち て 朽 ち て ゆ け。
期限は十二月十三日明朝より、十二月十九日の一 週 間。
精々残りの余 生 を 楽 し む が い い。
二 〇 × × 年 十 二 月 十九日]
お品書きメニューなどで利用されていそうな魚石行書フォント。黒色を主となるように印刷された文字達。それを一文字ずつカットして、白紙へ切り絵のように貼ってある脅迫状だった。
“呪われし血を持つ者”
“朽 ち て ゆ け”
まるでその言葉だけ強調するかのように赤色に印刷されていた。
悪戯にしては手が込みすぎているうえ、強調された言葉も意味深だ。簡単にスルー出来る物ではないだろう。
『手間の掛かるものを。暇人か』
白の第一声がそれだった。脅迫状などを見慣れているのか、その内容にも触れない。
「ひ、暇人って……」
聖花は白の言葉に苦笑いをする。
『当日を含め、本日で三日目。なにか変わったことは?』
白は電子カルテを打ち終えた医師のように、一度タイピングの手を止めて問う。
「いえ。特にまだ何も。一応何回か警察にも伝えたんですけど、悪戯の可能性もあるので今は何も手が出せないと。何かあればすぐに伝えて下さい。と言われてしまい」
聖花の話を聞いた白は嘲笑うように鼻を鳴らす。
『流石だ。いやー見事見事。こうも私の期待を裏切らないとはな』
白はどこか嘲笑うかのように言いながら乾いた拍手を鳴らす。
『お手本のような警察の常套句。掛け合うだけ時間の無駄だな』
白はどこか軽蔑するかのような溜息交じりに言いながら、チェアーの背もたれに深く背を預けた。
『事件が起こっては頭を下げるばかりで脳がない。市民を守るのが務めという割には、己や組織を守るのに必死だ』
白は苦虫を踏み潰したような顔で話す。
(過去に警察となんかありはったんやろうか?)
という聖花の疑問が世に出ることはない。依頼者と馴れ合うつもりはない。と初めに言われているうえ、初めましての人に、そこまで深く踏み込めるはずがない。
『このことを認知している者は他にいるのか?』
「両親にだけ。話すつもりはありませんでしたがバレました」
『そうか。それ以上は話を広めない方が得策だな。どんなに仲のいい間柄でも決して話さないことだ』
「友人ですら疑えと?」
聖花はぎょっとする。
『嗚呼。そうだ。こうなってしまえば全てを敵と見なしていた方が身のため』
冷静にそう判断を下す白は淡々と告げる。対し聖花はショックを隠せない。無理もない。友人を疑うなど考えもしていなかったのだから。
『碧海聖花。今まで何か恨みを買うようなことは?』
「ありません。……多分」
一度は即答する聖花だが、果たして本当にそうなのだろうか? という疑問が言葉として溢れてしまう。
『本人にその気がなくとも……か。自宅・通学路・学校。全てが筒抜けでは逃げ場がないな。何か対策は?』
白は聖花の情報を聞き出しながら、電子ファイルにデーターを打ち込んでゆく。
「脅迫状が届いた翌日の通学は母が、帰宅は父が車で迎えに来てくれました。母の体調が崩れてしまったことと、学校や友人から不審がられるのは困るという理由で、明日から自転車で登下校しようと思っています。他は、極力一人で自宅にいないように、一人ででかけないように、くらいです」
『なるほど。賢明と言えば賢明だな。因みに車の点検はしているのか? 自宅を把握されている以上は車に爆薬が仕込まれていたりする可能性は高い』
「そんなッ」
聖花は悲鳴じみた声を上げる。
『落ち着け、碧海聖花。犯人を捕まえることが目的か、犯人から守ることが目的か――どちらの鍵が必要だ?』
恐怖と焦りに呑まれる聖花に対し、白は至って冷静だった。
「……。ど、どちらの鍵も必要です」
聖花はしばし考えるも、答えなど初めから決まっていた。どちらか一つを選べるわけがないのだ。
『ほぉ。欲深いな』
白はどこか感心と意外さが入り混じる表情で息を溢す。
「犯人が捕まっても私が死んでしまってはどうしようもないです」
最悪の事態が脳裏に浮かんだのか、そう答える聖花の声音も表情も暗い。
『だが、碧海聖花の家族は守れるかもしれないぞ? 犯人の目的は、碧海聖花を手中に堕として朽ちらせることだからな』
「そんなッ」
『落ち着け、碧海聖花。先程から騒がしい』
いたって冷静な白は恐怖と焦りに呑まれる聖花に冷静さを促す。本当に騒がしいと思っているのか眉尻がピクリと反応していた。
「そ、そんな、この状況で冷静でおられるわけないやないですかっ。大体、なんでそう断言できはるんですか?」
あんまりな白の物言いに対し、聖花の方言が前面に出る。思わず声のボリュームも上がってしまう。それは聖花にとって珍しいことだった。
『私のことが信じられないならそれでいい。こちらから信じてもらおうなどという無意味な努力はしない』
白は冷めた表情で言いながら情報をパソコンに打ち込んでゆく。
「ッ」
聖花はどこか悔しさや悲しさなどいった、負の感情がない交ぜになったようなモヤモヤした感情を覚える。
その複雑な感情を押し隠すかのように、下唇をキュッと噛み締めた。
『余談だが、碧海聖花のその瞳は本物なのか? カラーコンタクトとかではなく』
白はタイピングする手を止めて画面越しの聖花を見つめる。聖花と言うよりは、何かを吟味するかのように、聖花の両眼をじっと見つめている。という表現が正しいかもしれない。
「は、はい。私も両親も日本人。両親はダークブラウンの瞳を持っています。せやけど私は不思議なことに、レッドオレンジのような色をしています。母が言うには、遺伝子の突然変異らしいですけど――やっぱり日本人顔でこの瞳は気味が悪いですよね」
脳裏に苦汁の残像が浮かんだのだろう。聖花は白の視線に耐え切れないとばかりに目を伏せ、自嘲気味な笑みを溢す。
『……なるほど。一言言っておくが私はそれに対し、気味が悪いとは思わない。その瞳で色々あったのだろうが、他者のマイナスな言葉など自分に取りこまぬことだな。自分を卑下するな。簡単なことではないが、自分軸で生きていれば一々感情や現状に振り回されなくてすむ。それに、人間など皮や肉が剥がれてしまえば、ただの人骨にしかすぎない。燃えてしまえば灰と骨だ』
白は冷静に淡々と話す。まるで、全てを諭しているかのような口調だった。
「……。えっと、頭に入れておきます」
聖花は初めて言われる興味深き話達に目を見開き、そう答えた。
『碧海聖花。人非ざる私の手を借りるならば、いくつかの条件がある』
「ど、動画にも書かれていましたが、“人非ざる者”とは、どういうことなのでしょう? 貴方はいったい――ッ」
『条件を飲む、飲まないか。どちらだ?』
白は聖花の問いを問いでかき消す。依頼者と馴れ合うつもりはない。と言う言葉には、自身のことをペラペラと明かすつもりはない。という意味も含まれていたのだろう。
「条件はなんですか?」
聖花は不安げに問う。
当たり前だ。誰だって本日初めましての謎多き探偵が出してくる条件など、恐怖の対象でしかない。
『ほぉ。知りたいか? だが碧海聖花。そちらが条件を選べる立場なのか? 藁にも縋る思いで私の元へ訪れたのなら、はいかいいえの二択しかない。もちろん後者の場合、金輪際私の元へ訪れることは出来ない。そして私も手を貸さないし、差し伸べもしない。……さぁ、どうしたい?』
予防線を張りたい聖花に対し、白は冷淡な声でそう告げる。微笑みを浮かべて問うているが、選択などないも同然。この状況で依頼者が後者を取ることなど、出来ないに人惜しいのだから。
「の、飲みます。条件をッ」
聖花は絞り出すように伝える。このままのこのこ引き返すわけにはいかない。それに、どうせ狙われている命だ。少しでも生存率の高い道へと選択する方がより利口であると思ったのだろう。
『妥当な判断だ。では、条件を述べよう』
白は幼子を褒めるかのように目を細め、ふっと口端を上げた。
どんな条件がだされるのかと生唾を飲み込み、木刀を強く握りしめる。鼓動が早くなっているためか、聖花の呼吸が自然と口呼吸になる。
『一つ目。こここへ通じる道――鍵を口外してはならない』
白は人差し指、中指と立ててゆきながら条件を述べてゆく。
聖花は何も言わず、白が全て言い終えるまで静かに耳を傾け続ける。
『二つ目。今回の依頼で経験した事柄や知恵は全て自分の身に留めておくこと。
三つ目。こちらが依頼者に必要だと判断した言動を素直に従ってもらう。今回の件であれば、こちらが指示した言動によって、碧海聖花自らも命を守ってもらう。ということに繋がる。
四つ目。こちらが提示した鍵で依頼者が真実を知ったとて、基本的に私はそれに対し一切の関与はしない。真実を手にした依頼者が闇に落ちるも、光に導かれるも依頼者自身だ。それが真実を知る者の覚悟と責任。だと私は思っている。それに、その先は私自身のタスクではない。私は依頼者の人生まで背負うつもりはないからな。この四つの条件が飲める場合のみ、契約を交わしてもらう。といっても、はい。と答えた時点で、そちらに拒否権などないがな』
白は、どうする? とでも言いたげに少し首を傾け微苦笑を浮かべる。
ここが引き返すことの出来る最終地点なのだろう。もちろん聖花は引き返すつもりなど毛頭ない。
「わ、わかりました。その条件、全て飲みます」
聖花は至極真面目な顔で頷き伝える。内心では、醜態をさらすことや生死に関わる条件でなかったことに安堵としていた。
『では今からDM(ダイニングメッセージ)を使い、契約書の画像をそちらに送信する。契約内容に承諾した場合は署名後、こちらへ再送信してもらおう』
「はい。サインを再送信するため、一度こちらのリモートを閉じても問題ありませんか?」
聖花は静かに頷く。
『嗚呼。問題ない。返信DM確認後、私から連絡する』
つれないように答える白は顔を左に向ける。整った歯並びに鼻筋が通った高い鼻とシャープな顎は、見本のように美しいEラインを作り上げていた。
白はカチャカチャとタイピング音を鳴らす。端末をいくつも利用しているのだろう。それに対し、スマートフォン一つの聖花は一度リモートを切らざるを得ない。
聖花がリモート画面を落とした時にはもうDMに通知一のマークがついていた。
「はぁ」
聖花は少し緊迫感の糸を解すように小さな息を溢す。
(緊張した~。めっちゃ綺麗な人やけどなんか恐ろしい人やなぁ。何を考えてはるんかよー分からへんし。ほんまに人間とちゃうんやろか? そもそもほんまに信じて依頼してもええんやろか……)
聖花は一抹の不安を抱えながらDMを開く。
そこにメッセージはなく、契約書の画像が添付されていただけだった。
聖花はスマホの右横に装着されていたタッチペンを外し、書類画像に目を通していく。