導かれし者よ。
 心から真実を求めさ迷う者よ。
 (ひと)(あら)ざるモノの助けが必要ならば、私が力を貸そう。
 どんな依頼でも引き受けよう。
 ただし、私の探偵事務所へ訪れたくば、まずは己で真実を導き出してもらおうか――。



  †


 二〇××年 十二月 十五日――。
 深夜一時二十五分。京都府京都市伏見区。


 満月の月光に照らされることにより、妖艶で幻想的な空間となる伏見稲荷大社。二四時間誰でも訪れることは出来るが、満足な人工的明かりもない夜の大社へと訪れる者は少ない。
 その上冬季により日没時間が早い今、午後十時過ぎとなれば人っ子一人いなくなる。
 本来ならば誰もいないはずの時間帯だが、本日は例外のようだ。



 鎖骨下で切り揃えられた前下がりのミディアムボブ。よく手入れされているのか、天使の輪が出来ている。漆黒の髪が月光に照らされ、眉を隠した右流しの前髪が夜風でそっと靡く。忘れ鼻かつ綺麗に整ったEライン。少し褐色した健康的な肌には、ハリや潤いがある。

 大きなアーモンド型の額縁の中には、濃いオレンジ色に赤黒い血液を混ぜたような瞳――例えるならば、スぺサルタイトガーネット色をした独特な美しさのある瞳がそこへ収められていた。

 星がワンポイントの紺色スニーカーに黒のスキニーパンツ。白を基調に英国国旗のようなチェック柄のシャツを重ね着しているデザインをした、フード付きプルオーバーパーカー。そこへ細身の黒ライダースジャケット。Ⅴ系バンドにでもいそうなイケメン風ファッションに身を包み、焦りと恐怖の色で顔を染めて木刀を左手に握った一人の少女は、律儀に鳥居の前で会釈をする。


 凛とした美しさを感じさせる十代後半程の少女、『碧海(あおうみ)(きよ)()』はスマホライトと月明かりだけを頼りに、一、二、三――と慎重に数を数えながら、一万()が並ぶ鳥居を急ぎ足で潜ってゆく。


 少女が一人このような場所へと足を運んだのには、(おおやけ)には出来ない訳があった。



「うぅ。怖すぎる。で、でももう少し」


 弱音を吐く聖花は二列に並ぶ鳥居の前で一度足を止めた。
 奥に進むにつれて月光は力を失い、鳥居は増々と暗闇に染まる。
 スマホライトを心の拠り所にしながら先へと進む聖花はスマホライトを心の拠り所にするも、暗闇の鳥居の中へ飲み込まれていくかのように姿が闇に同調してゆく。



 伏見稲荷大社。西暦七百十一年。
 一日約三本ペースで修繕や新たな造営(奉納)を繰り返し、日々変動をする鳥居総数。現在では一万基をゆうに超えた。
 途方もない時を超え、人非ざるモノと人を繋ぐ扉が数えきれないほどある特別な世界。

 聖花はもうそこへある七不思議の一つに頼らざるを得なかった。




  †

 伏見稲荷大社に(まつ)わる都市伝説や七不思議の一つであると言われる、()(とう)探偵事務所。


 聖花がこうして探偵事務所の情報を得られたのは、世界中で見られる動画サイト、To you,に投稿されていた特別な動画のおかげだった。
 それはTo you,のトップページ欄にて、導かれし者のみに貴方へのおすすめ動画と称して現れる。

 動画が投稿されている時間は九分十秒のみ。その時間を過ぎてしまえば、もう二度とその者へのおすすめ欄には姿を現さない。と言われている幻の動画だ。


 Those who have the key,日本語で、”鍵を持つ者”という怪しさ満点のアカウント名。
 動画サムネイルは白をバッグ背景に扉が閉まったアーチ状の木製扉。その扉の右斜め上には、銀色の鍵が置かれている。
 動画タイトルは、【鍵は置いていく】 のみ。


 白のバック背景に紫の胡蝶蘭を彷彿とさせる色の文字が次々と浮かんでは消えてゆくように進んでいく流れになっている。BGMや効果音などはもちろん、肉声も入っていない。本当に文字のみのシンプルな動画だった。


 その動画内容はこうだ――。



< 導かれし者よ。

 心から真実を求めさ迷う者よ。


 人非ざるモノの助けが必要ならば、私が力を貸そう。


 どんな依頼でも引き受けよう。


 ただし、私の探偵事務所へ訪れたくば、まずは己で真実を導き出してもらおうか――。


【満月が輝く深夜二時。真実の扉の先を願いし望み人。
 伏見稲荷大社の地へ一人。


 神と人の世を繋ぎ(くれない)の扉、千三百十四をくぐりたし。

 二列に並ぶ紅の扉。左の世を一歩踏み入れし時、零の世界ととす。

 九九九基の世に(たたず)み、夜をとぶらひて。


 ものない世に、“も”を使ふとき。

 天に上りしきて、沈黙した青の世界。


 自由の粒子を飛ばし、九壱〇、弐九六、一八五、をとぶらひたとき、真実の扉が開かれむ】

 さぁ、鍵は置いた。
 扉を開くも開かぬも己次第。
                                        恭稲探偵事務所>


 アカウント名をThose who have the key,と名乗るユーザー。
 音声やヴィジュアルはもちろん、性別すら分からない。


 Those who have the key,が制作した動画。それを自身で投稿しているのか、別の誰かが投稿しているのかさえも分からない。探偵事務所を名乗りながらも、他のSNSを利用している様子もない。とてもミステリアスな存在だった。


 そのことがより人々の好奇心を掻き立てるのか、この動画の存在は口コミやSNSを通して世界中へと広がった。だが本当に視聴できた者は僅か一つまみの導かれし者のみ。


 その導かれし者というのは、聖花のように人非ざるモノの力すら縋りたくなるほど助けを求めている者なのだろう。


 恭稲探偵事務所において人々が不思議に思うことは数知れない。その中で誰もが一番に頭を抱えることは、その情報量の少なさだ。

 SNSが発達している今後時世におき、《かんじ》出鱈目(でたらめ)な情報も含め、恭稲探偵事務所の詳しい詳細が全くもって見つからないのだ。

 誰がどう検索しようとも、動画サイトのTo youにて、選ばれし者のみのサイトトップページおすすめ欄のみに姿を現す幻の動画。という情報しか上がってこない。

 恭稲探偵事務所は元々呟きを主とするSNSで巡り巡って拡散されてきた情報だ。
 最初に呟いた者のサーバーを突き止めようとした者は数知れないが、挑戦した者の端末は軒並みウイルス感染をして全く使い物にならなくなる。不正に動画保存やスクリーンショットをしようとした者達の端末も同じ被害にあっている。という噂だ。
 その噂を知っている者達はデジタルカメラで撮影をして保存したり、ホームカメラで動画を収めようと試みるが、いざ撮影物を確認すれば、動画部分だけ真っ白となるホラー現象が起こる。というもっぱらの噂である。


 唯一、動画内容を紙に書き起こすことと記憶することだけが可能となっている。それにより口コミや回覧板などで情報を広めることは可能となる。だが人非ざるモノが営む危険な探偵事務所へ縋るほど切羽詰まった人間がわざわざ自分の苦悩をほっぽり出し、早々に情報を広めてやろうという気など毛頭起きないはずだ。それにこれだけの情報の無さ。情報の件については依頼者と何らかの契約を交わしているだろう。


 これらのことにより、恭稲探偵事務所を訪れるには、本当に自ら出向き、自ら暗号を解読し、自ら扉を開かねばならない。


 動画内の情報が真実という保証などどこにもない。怪しさしか感じられない危険物。そう分かっていても、聖花はそのものに縋るしかなかった。
 聖花はもうどんなに警察へと救いを求めたとしても、無意味でしかないと悟ったのだから。



  †

【神と人の世を繋ぎ紅の扉、千三百十四をくぐりたし。
 二列に並ぶ紅の扉。左の世を一歩踏み入れし時、零の世界ととす】


 聖花は一度、奥宮から奥社奉拝所の山道の連続で造営される千本鳥居の前で足を止めた。


「広い境内で一ヵ所だけ、二列に並ぶ千本鳥居。左を潜る」


 再確認するように呟き頷く。失敗は許されないのだ。
 右側通行という暗黙のルールを破る罪悪感を抱えながら、聖花はまた歩みを進める。


「八、九、十――」

 もちろん数えることはやめない。


「九九七、九九八、九九九――ついた」


 深夜二時。
 九九九墓の鳥居の中心で足をとめた聖花は、緊張の糸を少し解すかのように、大きく息を吐いた。


 聖花が足を止めた場所は、唯一恭《く》稲《とう》探偵事務所に繋がると言われている場所だ。


【満月が輝く深夜二時。真実の扉の先を願いし望み人。

 伏見稲荷大社の地へ一人。神と人の世を繋ぎ紅の扉、千三百十四をくぐりたし。


 二列に並ぶ紅の扉。左の世を一歩踏み入れし時、零の世界ととす。


 九九九墓の世に佇み、夜をとぶらひて。


 ものない世に、“も”を使ふとき。


 天に上りしきて、沈黙した青の世界。


 自由の粒子を飛ばし、九壱〇、弐九六、一八五をとぶらひたとき、真実の扉が開かれむ】


 スマホライトで照らしながらノートの一ページに暗号を書いてきた物を呟き確認し終える聖花は、その髪を四つ折りにしてライダースジャケットのポケットに直す。


「どの粒子のことかは分からへんけど、粒子で作られたもので粒子を飛ばせばええ。ってことやろう?」
 木刀を両膝で挟むように持ち変えた聖花は誰に問いかけるでもない言葉を発しながら、スマホの電源を入れてアンロックさせる。



 †


 現時刻から二時間前――。


 勉強机のチェアーに腰掛けている聖花はノートパソコンの電源を入れる。


「もう、人非ざるもんでもなんでも頼らな……」

 恭稲探偵事務所の七不思議を知っていた聖花は一部の望みをかけて例の動画サイトを開いた。


「⁉」

 目が虚ろだった聖花の瞳が驚きで見開かれる。
 それもそのはずだ。半信半疑で開いたサイトのおすすめ欄に動画が上がっていたのだから。


 聖花はもちろんその動画に飛びつき、視聴した。スクショが出来ないうえ視聴できるのは一回のみということもあり、聖花は筆記用具を手に全神経を集中させて視聴した。唯一の救いは停止機能が使えることだった。


「恭稲探偵事務所の動画ってほんまにあったんやね……」

 動画を見終えた聖花は感慨深げに小さく息を吐く。


「よっし! この暗号を絶対解いて見せる」

 胸の前で左拳を作って気合いを入れ、暗号解読に取り掛かった。



「日付は今日。願い人=依頼者である私が伏見稲荷大社を一人で訪れる……と。で、千以上ある紅の扉で神と人の世を繋ぐもんって言うたら、鳥居しかあらへん。左の世って言うのんは、きっとそのまんまやね。普段は左の鳥居を潜らんのが暗黙のルールみたいなもんやから、その逆を行う。ってことやと思う。ここまでは簡単。ここからが問題やね」


 聖花は一人自分の考えを流暢に話しながら、ここからが本題だとばかりに気合を入れなおす。


「粒子ってなんのことやろ? しかもただの粒子でも自ら飛ぶ粒子でもない、“飛ばせる”ことが出来る粒子――」

 聖花は何かヒントはないかと、部屋中を見渡す。


 モノクロを基調としたシックな家具やインテリアで揃えられた五帖の洋室。
 ロシアンブルーの毛並みを彷彿とさせる色合いとベアロ生地に高めのベッドボートが印象的なシングルベッド。布団シーツなどは、白を背景にシークレット百合の花があしらわれていた。

 高さのある猫脚が印象的な円形のベッドサードテーブルの上には、黒の目覚まし時計とペットボトルの水が置かれている。

 縦七十九センチ、横幅百三十センチ、奥行き五十センチ程のデスクはその深みのあるダークブラウンの色合や猫脚から、英国や魔法学校を彷彿とさせた。

 聖花は英国や探偵に興味があるわけでも魔法使いに憧れているわけでもない。ただ純粋な好みとしてゴシックアンティークな雰囲気と、真ん中の空洞部分にノートパソコンがすっぽり収まることが気に入り、中学の入学祝いとして両親にプレゼントしてもらった。

 デスクには左右二つずつ引き出しがあるものの、全て学校で必要になる物が収納されていた。

 幅八十センチ、高さ百八十センチ。ガラス扉付きの長方形の置き棚はこれまたシックな黒色だ。単庫本を縦に収納しても縦幅にまだゆとりのある置き棚が左右に六つの合計十二棚があり、大容量に収納できる。その棚の中には、マンガや小説はもちろん、アクセサリーなど多種多様に収納されていた。


「そう言えば……」

 聖花はその収納棚に歩み寄り、一冊の本を取り出す。少年マンガだ。


「確かこの辺で粒子力学的なことが書いてあった気がする」

 と、先程まで座っていたうさ耳の背もたれが印象的な木製ブラックチェアに腰を下ろす。紫のベアロ生地のクッションは座り心地が良さそうだ。


「ぁ、あったあった!」

 パラパラと漫画を捲っていた聖花はとあるページで手を止める。
 美しき女性がスーツ姿の青年と対峙しているシーンだ。



[何をそんなにむきになる必要があるの? 私も貴方も動物も、ただの粒子物にしか過ぎないのよ。貴方が握っているソレもね]

 女性は何かを悟るような表情で青年に話す。初めてこのシーンを見た聖花は、そんなことありえないと、深く調べなかった。


「まずは粒子物について調べてみよう」
 今は邪魔な固定概念などを手放し、新たな知恵をインプットするのが利口だと考えた聖花は漫画をデスクの左脇に置き、まだ立ち上げていたノートパソコンでそれらについて深く調べ始める。


「なるほどなるほど。それで……」

 いくつかのサイトをクリックする聖花は粒子について深く語っている一件のブログ記事に行きつく。


[地球上に存在する数えきれない粒子と粒子の種類。ミクロ世界の量子力学に基づくと、あらゆる粒子が存在する。主にざっくり分けると、『ボーズ粒子』と『フェルミ粒子』の二種類に分けることが出来る。その粒子達が示す性質の解明は物理学の発展において必要不可欠なものとなっている。
 色々小難しいことを述べたが、要約すると、目の前にある全てのものは目に見えない小さな粒子で出来ているというわけだ。それは、人間が見て触れることが出来る者もモノも、全てのことを差す。そこに例外はないだろう]
 持論を織り交ぜながらこの記事を書いている人物が粒子についての研究者であり、いくつかの書籍を発売していることから、聖花はこの話が事実なのだろうと納得する。



「全てが粒子。飛ぶ粒子――飛行物体や生物ってことやろか?」
 聖花はノートに思いつく限り飛ぶ粒子を書いてゆくが、皆目見当がつかない。


 次に、天に上りしき青。というキーワードに手を付ける。


「天にのぼりしきて――ってことは、すでにソレは天に上りきってるってことやんな?」


[天に上りきっているもの]
 とノートに記す。


「沈黙は何を表すんやろう? 無言・動かない・活動しないor活動できない。それらを示す粒子――死人? なわけあらへんよね。私死んでへんし、霊感もあらへんもん」
 聖花は上手く働かない思考への歯がゆさをボールペンの先をノートにコツコツと打ち付けて消費させ、左手では頭を抱える。


「青の世界。すでに天にのぼりきっていて、自らは動かないモノ。そして、依頼者がその粒子を飛ばせるモノってゆうたら……」
 うんうん唸る聖花のスマホが一件の通知音を鳴らす。



「こんな時間になんやろ?」
 スマホを手にすると、世界老若男女問わずシェアされるアプリから、フォローしているアカウントの最新呟きがあったことを知らせていた。


「ぁ!」

 空色基調とした背景と鳥でお馴染み、『bluebird』のアプリアイコンに小さく声を上げる。


「青の世界って青空のことで、自由の粒子って言うのはネットってこと? ネットが繋がれば、誰だって粒子を世界中に飛ばせることが出来る。そしてその端末自体もまた粒子。ってことは答えは、bluebirdってこと? ――いや、ちょっと待って。落ち着いて考えよう。確か、青空を彷彿とさせるSNSって、『skyblue』ってリモートアプリがあったはず。ぇ、どっちなん?」

 思考を巡らせる聖花の視線に、ノートに綴った文字、“天にのぼりしきて、沈黙した青の世界”という文字が映る。


 時刻は深夜一時三十分。

 聖花の家から伏見稲荷大社まで徒歩五分程でつくとは言えど、辺りは慣れない暗闇。千本鳥居を歩いている段階で二時を過ぎることもあり得る時間帯だ。
 聖花は凝り固まった頭を解そうと、柔軟体操をしながら窓の傍に歩み寄る。

 閉め切っていた窓の左側を開け、前のめりに顔を出す。人っ子一人いない道を月光と街灯が照らしていた。空を見上げた聖花に寒風が当たり、ショート寸前だった脳が一気に冷やされる。


「……雲が、動いてる」

 聖花は独りごちる。その瞳に、大きな満月を薄雲が隠したり隠さなかったりを繰り返している様子が映る。


「雲が動くのは、風が雲を押しているから……」

 蚊の鳴き声のように小さな声で呟いたかと思えば、何かを閃いたのかハッとしたように目を見開く。


「空の色が変わるのは、プリズムの変化によってなるもの。光の波長が織り成す変化。なら、空そのものは動かないんやないの?」


 雲や星がどんなに動こうとも、月や陽の光で色を変化させられても、その後ろにいる空だけは、いつも動かずに沈黙している。
 そのことから聖花は現在世界シェアナンバーワンのリモートアプリ、『skyblue』を導きだすことに成功した。
 その答えを引き下げて家を飛び出し現在に至っている聖花だが、やはり暗号解読は容易くなかった。

[九壱〇、弐九六、一八五]

 聖花は意気揚々と ID探索をかけるも、誰一人としてユーザーは浮上することなく終わる。


「ぇ? 違うん!? いや、でも――」

 焦った聖花はパーカーのポケットから動画内容などを記した四つ折りのメモを取り出す。


「満月がでる日。時刻。一人。伏見稲荷神社の千本鳥居。ちゃんと一人で来た。二列に並ぶ鳥居の左を進んできたし、鳥居の本数も間違えて……いない?」


 一文字一文字を噛み締めるように確かめた聖花は、数え間違いがあったのではないかと不安になって一度アプリを落とす。

 次にスマートフォンにマイク付きイヤフォンを接続し、左耳のみにイヤフォンを差し込んでボイスレコーダーアプリに録音していた音声を聞き始める。


『一、二、三――』

 保存されている音声は聖花の声。数え間違えがないように録音していたのは正解だった。


『九九七、九九八、九九九――ついた』

 時間を要しながらも全ての音声を聞き終えた聖花は、「ちゃんと合ってるやんか」と呟き、またメモ帳と睨めっこを始めた。


「粒子もきっと合ってるはずや。老若男女や能力問わず飛ばせる粒子なんて、Bluetooth類の粒子しか思いつかへん。そんで、それらを飛ばせるモノと言ったら、スマートフォンやパソコンとかの電磁波端末。粒子を電波と言い換えたとしても合ってる。せやったら、訪ねる場所がまちごーてるってことやろか?」

 聖花は大きな独り言をブツブツと話ながら、う~んう~んと唸る。


「九壱〇、弐九六、一八五を訪ねたとき――ん? 九壱〇のときの『1』は難しい漢数字やけど、一八五のときの『1』は、一般的によう使われてるもんや。せやったら、別々に考えなあかんってことやんね? 取り合えず、色々な読み方に変化してみよう」

 聖花はスマホのメモ帳アプリを開け、自分が思うままに文字を綴ってゆく。


‹九壱〇=910›

‹9=nine,ナイン。1=one,ワン。0=zero,ゼロ›

‹弐九六=296›

‹2=two,トゥ。9=nine,ナイン。6=six,シックス›

〈185〉

‹1=one,ワン。8=eight,エイト。5=five,ファイブ›


「ほんで、どーしたもんやろか? 取り合えずありがちな頭文字を繋げてみよう」
 聖花は手短なところから答えを導き始める。


‹noztnsoef›
‹ノズトンソエフ›


「ノズトンソエフ? なんや余計に分からんようなってしもた。んっと、180だけ違うと考えたら――『noztns』と『ノズトンス』になるけど……これは絶対ちゃうんとちゃうやろか。取り合えず検索してみるけど」
 と嘆くように独り言を口にしながら、今しがた導いた答えを全て検索にかけてみる。もちろん誰一人として浮上しない。


「うん。ちゃうな。わかってたで。どうしょーかなぁ。もっとちゃう考え方って何があるやろ? ……漢数字。日本語。単語。変換――変換と言えば……」

 聖花は助け舟となりそうな記憶を手繰り寄せてゆく。



  †

 二〇××年 十二月 四日――。
 日曜日。午前九時。


 京都府京都市深草平に建てられた白を基調とした二階建て一軒家。


 両親と聖花の三人で平和に暮らして早十年がたとうとしていた。
 本日は大晦日が近いということもあり、朝食を終えた聖花達は大掃除をしていた。


「開け~ごまッ!」
 物置とかして開けてはいけない扉を聖花が開く。下段には季節家電や布団が押し込められており、上段には引っ越しでもするのだろうか? と思うほどの段ボールが積み上げられていた。少なく見積もっても三十箱。一年に三箱ずつ増えていったのかもしれない。


「なんかお宝でも出てこんやろか?」
 そんな聖花の期待は見事に打ち砕かれる。三箱ほど中身を確認するが、小学生の時に使っていた教科書。ドリル。テスト用紙をファイリングされたものが三十冊。自由帳や勉強ノートが山ほど。ファイリングの表紙を見ると、‹聖花ちゃん 小学校一年生›と書かれていた。


 どうやらこの段ボールの山は、聖花の成長と共に増えていたもののようだ。聖花本人的には全て処分してもいいのだろうが、両親の許可なしに処分することはできないだろう。


「でもまぁ、これだけ大切に育ててもらえてたんやと思うと、泣けてくるわぁ」
 聖花は両親に感謝の気持ちを感じながら、四箱目の段ボールを開ける。
 そこには衣服と共に見慣れない物が入っていた。


「なにこれ?」
 聖花は衣服類の上にポツンと置かれていた小さな長方形型の機械を手に取る。ポケットにすっぽり入ってしまう程に小さい。スマホやゲーム機のようなディスプレイ。右の側面図に電源と思しきボタン。上面図に謎ボタンが二つ。某大手携帯企業のロゴが入っているが、とても携帯とは思えなかった。


「お母さんに聞いてみよう!」

 気になり出したらもう止まらない。一人で考え込んでいても解けないなら聞いたほうが早いとばかりに掃除を放棄した聖花は、ドタバタと一階に下りる。


「お母さーん」

 聖花は換気扇の掃除に奮闘中だった母、『響子』の背中に呼びかける。
 今は掃除の邪魔にならないように低めの位置でポニーテールにしているが、普段のスタイルは前下がりの大人ボブで毛先を内巻きにコテで巻いている。


「ん? 聖花ちゃん、どないしたん? 片付いた?」

 青いゴム手袋をして換気扇を磨いていた手を止めた響子は肩越しに振り向き、タレ目の目元をより柔らかくさせながら聖花を見る。聖花は響子のこの優しい眼差しが大好きなのだ。目元にはほんのり皺が出ているものの、童顔や可愛らしい雰囲気もあって、とても五十歳には見えないし、思えない。


「いや、段ボール四箱目突入したところで気になるもんを見つけて、飛んできてしもた。部屋は荒れてる。私が小学校の時とかのやつって、別にいらんのちゃうの?」


「片付けてるのに、部屋を荒らしてどないするん?」
 ぷっくりした女性らしい唇から溜息が零れる。


「す、すみません」
 母に叱られた聖花は視線を落としてしょんぼりする。


「で、気になるもんって何なん?」

「これやねんけど……」
 聖花は響子に近づき、左掌にのせた機械を見せる。


「うわぁ」
 謎の機械を見た響子の表情が一気に華やぐ。

「懐かしいわぁ」
 ゴム手袋を外した響子は謎の機械を手に持ち、愛しそうに見つめた。


「これ何なん? そんなに良い物やったん?」


「ぁ、聖花ちゃんは見たことあらへんか? これは『ポケットベル』って言うもんなんよ。略してポケベル。聖花ちゃんの時代で言うたら、スマホみたいなもんなんよ」


「ポケベル? ネット繋がるん? ボタン三つしかないけど……タッチパネル式なん?」

 小首を傾げる聖花は響子を質問攻めにした。


「ネットなんて繋がらんし、タッチパネルでもあらへんよ。これは数字だけしか打ち込まれへんもん」

 首を右左と静かに振った響子は微苦笑を浮かべながら答える。


「す、数字だけ?」

 聖花はますます分からなくなった。とばかりに眉間に皺を寄せる。それを見ていた響子は、ふふふ。と穏やかに笑った。


「せやで。数字だけを打って送受信する機械。ショートメールみたいなもんやね」


「意味が分からん。数字だけでどうやって会話できるん?」


「数字をそのまま読まんと、解読して読むんよ。語呂合わせ。って言うた方が分かりやすいなぁ。例えば、4649=よろしく。っていう風に読むんよ」


「ぇ、暗号⁉」
 聖花は目を丸くさせる。


「そうかもしれへんね。ポケベル暗号。って言葉もあったくらいやさかい」
 響子はクスクスと穏やかに笑いながら聖花の問いに答える。


「でも、それやったらあんまり言葉を伝えられへんやん。他に何かあるん?」
 響子は止まることを知らない聖花の質問に答えるため、リビングにある白のL字型カウチソファに座る。聖花は響子の左隣に浅く腰を下ろした。


「例えば、4510で仕事。4=し。5=ご。10=と。10は‹とう›とも読むやろ?」


「なるほど。他には?」
 聖花は納得したようにコクコクと頷き、他の暗号はあるのかと話を促す。


「0840=おはよう。14106=愛してる。とかやね」

 人差し指を頬に当てながら響子は答えていく。


「ちょ、ちょっと待って。なんで0=お。14106=愛してる。になるん?」
 聖花は響子の言葉に、ちょっと待った! をかけるかのように手の平を突き出した。


「数字を英語にも変換するんよ。0は英語のOに見えるやろ? せやけど、40の時の0はとうの‹う›だけを使う。合わせて0840=おはよう。になるんよ」


「じゃぁ、愛してるはどうなるん?」

「1=英語のⅠに変換。10=英語のten‹テン›に変換。強引やけど、6は基本、ら行で変換。合わせて、14106=愛してる」


「上二つは納得できるけど、6が‹る›になるのんは納得でけへん。なんでなん?」


「う~ん」
 響子は娘の問いに答えようと、難しい顔をしながら答えを絞る。が、その知識はなく、インスピレーションも湧いてこないため、それらしい答えは出てこない。


「ちょっとごめんやけど、それは私にも分からへんわぁ。ポケベルの数字読みの多くは若者が作り出していたみたいやから、コレ! っていう決まりはないんよ。だから時々なんでな~ん? って思うものも出てくるんとちゃうかなぁ」

 微苦笑を浮かべる響子に聖花は不服そうにした。一八歳と言えども、まだまだ幼さが残る聖花である。


「そんな適当な感じでちゃんと会話成立してたん?」


「ううん。たまに会話が可笑しくなる時があるんよ。そういえば……ふふふふッ」


「ちょ、なに一人で思い出し笑いしてるん?」

 右の手の指先を口元に当てながら思い出し笑いをする響子に対し、聖花は少し引き気味に問う。


「ごめんごめん。ポケベルって数字の使い回しが多いやろ? 濁点アリも数字やしね。それやさかいに、お母さんが高校受験受けたとき、お父さんと意思疎通できんかったんよ」


「何があったん?」
「お父さんに《89》をバッチグーのつもりで送ったんよ」
「ば、バッチグーって……古い!」
 聖花は話の腰を折って一驚する。


「そんなん言わんといてぇな。そんな時代やったんやさかい。それに聖花ちゃんが使っている若者言葉やって、十年後には古い~。ウケる~。とか言われるんやから。お互い様やで」


「それは失礼しました」
 聖花はソファに座ったままペコリと頭を下げた。かと思えば、「で、おじいちゃんはなんて返事してきたん?」と、キラキラした瞳で話の続きをせがむ。


「それがお父さんったら、89=吐く。と受け取ったみたいで。11946=救急車しろ。って送ってきたんよ。家帰って話を聞いてみたら、あまりの緊張で私が吐くほど体調悪なったんやと思ったんやって。おもろいやろ?」


「おもろいと言うか……大変な時代やね」
 楽しそうな響子に対し、聖花は苦笑いを浮かべる。今の時代に生まれて良かったと、心底感謝したのだろう。


  †

 二〇××年 十二月 十五日――。
 深夜二時。


「せや! ポケベル!」
 意識を過去の記憶から現在に戻す聖花は左掌に右拳をポンとのせる。


「4649=よろしく。って解読するって言っとった。たしか数字符って言うんやったっけ? それで考えていくと……」


‹9=ギ・キ・キュ・ク・グ›
‹1=ア・イチ・ワン・イ›
‹0=オ(ローマ字)・ノ(0=ない=NO)・マ(丸)・レ(澪)›
‹10=ト・ド›


「これで、九壱〇は終わり。次は弐九六やね」
 聖花はメモアプリを使い、次々文字を打ち込んでいった。


‹2=二・ツ・ヅ›
‹9=ギ・キ・キュ・ク・グ›
‹6=ム・ラ行・ハ(ガラケー表記)›
 全て打ち終えた聖花は一度息を吐く。

 ここからが本番だ。夜明け前に正確な答えを導き出さねばならない。



「まずは、九壱〇から解読していきますか。えーっと、素直に読むと、くとう・ぐとう・くいし――くらいか。ん~……くとう。ってなんか聞いたことあるんよねぇ」
 聖花は首を傾げ過去の記憶を高速再生させていく。


「せや! よく配達に来てくれる担当さんが九東(くとう)さん! もしかしてコレって人の名前を示してるんかもしれへん。取り合えず九壱〇=くとう。って書いとこ」
 解読に近づいてきた聖花に笑みが零れる。


「次は弐九六。名前になりそうなやつやね。ニクム・ニグリ・ツクル・ツグル。ツグルって人名ぽいけど――【ものない世に“も”を使ふとき】って言葉を無視したらあかんよね。多分これもヒントの一つやろうし。粒子で数字符を飛ばすから、たぶんポケベルでは使えない音。こんな時間にお母さんに質問できひんし。そもそも黙って家出てきたし――調べよか」


 一度メモアプリを閉じた聖花はブラウザを開ける。分らぬことは大抵調べれば分かる時代だ。ヒントを得るには容易いだろう。


「ふむふむ。へ・め・も・ゆ・ら。が使わらへんのか――ぁ! “も”がおるやん! ということは、ものない世に“も”を使ふとき=6を“も”と読め。ってことでええんやろか?」
 ブラウザを閉じた聖花は先程のメモ帳を開ける。


「ニクモ・ニグモ・ツクモ・ツグモ。この中で人名ぽいのは、ツクモとツグモか。ん~どっちやろ? はよせな満月が太陽になってしまうわ。ん~ツクモなら九十九と表記してもいいよな? そんなお店や姫もおりはるし。いや、それを言うたらツグモも同じや。うん。どっちも試してみたらええか。別に間違えたら一生試せへんくなるわけでも、命が奪われるわけでもあらへん」


 どうにか二つの鍵を見つけ出した聖花は、[tukumokutou185]と[tukumo.kutou185]を検索にかける。誰一人浮上してこなかった。


「これやなかった。ってことはツグモか」
 次に聖花は、[tugumokutou185]と検索をかける。
 誰一人として出てこない。


 聖花は間髪入れずに“.”ピリオドをつけた[tugumo.kutou185]と検索にかける。

 ありがたいことにこのアプリは、小文字の英語と半角数字しかIDには出来ない。故に人名だとしても漢字まで理解しなくていい。


「はぁ~。ちゃうかった」
 聖花の口から盛大な溜息が零れ落ちる。スマホの画面には『ユーザーは存在しません』という文字が表示されていた。


「ゔぅ~ん」
 聖花は唸り声のような低い声を溢しながら頭を抱える。


「ん~、ぁ! もしかして、ここが違ごたんやろか?」
 眉間に皺を寄せていた聖花の顔に希望の色が戻る。


「あぁ~コレでアカンかったらまた考え直しや。そんなん嫌や~。お願いやから――」


 聖花はぶつぶつ言いながら、tugumo.kutouの真ん中の記号だけを『_』に変更する。 


「繋がりますようにッ」

 聖花は小さく叫ぶような祈りを込め、[tugumo_kutou185]と打ち込み、探索ボタンを親指でタップした。



 検索中。という文字が表示され、時計マークの長針がくるくると回転する。



 しばしの検索を終えたのちに、一人のユーザーが浮上した。アイコンは闇夜に光る満月だった。



「きたーッ」


 思わず悲鳴にも似た声をあげた聖花は、慌てて右手で口元を抑える。ここで人に見つかったらここまでの苦労が水の泡だ。



「危ない危ない」


 聖花は気を取り直すとばかりに小さく息を吐く。
 冷静さを取り戻した聖花はチャット機能を使い、間接的要件と名前を送信してみる。いきなりリモートを繋ぐのは失礼だと思ったのだろう。すぐに既読マークがつき、リモートを求める表示がでる。



「いよいよや」

 緊張を吐き出すように大きく息を吐き終えた聖花は、OKボタンを押す。


 ブツッ。と言う小さな機械音と共に、闇夜の背景と人物が映し出された。




 本革と天然木が融合される高級感溢れるダークブラウン色のレザーチェアに持て余すように長い足を組み、余裕のある作りをした背もたれに深く背を預ける二十代後半程の青年が一人。


 粉雪のようにキメ細い色白の肌。右目の下にある黒子が印象的な切れ長のアーモンドアイ。額縁に収められているのは、深い紫に高い透明度を閉じ込めたバイオレット・サファイアを彷彿とさせる瞳。


 スッと鼻筋が通った綺麗な鼻。形の良い薄い唇。全てを収められたパレットは女性が羨むほどに小さい。


 標準より長めの丈で縦ラインを強調したつくりのスタイリッシュなスリムスーツは、細身で高身長のモデルスタイルを活かしていた。ジレよりワントーン落としたようなネクタイ。皺ヨレ一つないYシャツが洗練された大人の雰囲気を漂わせる。 


 脇下まで伸ばされたハイレイヤーのウルフをベースに、耳前を前下がりにカットすることでシャープ感を出しながら、バックトップは根元からボリュームをだしているヘアスタイルも印象的だ。


 特に目を惹くのは、一片の濁りも痛みもない光沢溢れる白髪(はくはつ)だ。青年が持ち合わせている高貴さをより一層と漂わせていた。


 青年を造作する全てが美しく、高貴と威厳に満ち溢れ、独特の色香がまとわりつく。
 とてもこの世の者とは思えぬ美しさを持つ青年に聖花の心がドクリと跳ねる。



『ようこそ、恭稲探偵事務所へ。
 私の名前は()(とう)(つぐも)、人非ざるもの。
 さぁ、碧海聖花。
 君が望む真実の扉を教えてくれないか?
 私がその扉の鍵を開こう――』


 蠱惑的な微笑を浮かべた白は聖花を招き入れる。