「まー大きなあくびだこと」
朝、リビングに行くと呆れ顔の母親が私を出迎える。「おはよー」と挨拶を交わしつつ、食パンをトースターに放り込んだ。タイマーを三分でセットしてから、水道でコップ一杯の水を飲み干す。
「ぷはー、水が染みる―」
しみじみ言うと、母は「おおげさねぇ」と笑った。
「何時までやってたの?」
「んー……十二時過ぎくらい?」
ホントは二時だけど。本当の事を言えば小言が飛んでくるのは目に見えているので、正直には言わない。
「よく飽きずにやってるわねぇ」
「面白いんだもん」
「まぁ、勉強さえしっかりやってるなら文句は言わないけど」
「はいはい、お母さま、その辺はご心配なく」
適当に返事をしているとトースターがチンッと甲高い音を鳴らした。こんがりと焼けた食パンを皿に取って席に着く。テーブルに用意されていたマーガリンを塗りたくってから口に運んだ。
相変わらずの寝不足で、鉛のようにずっしりと重たい瞼をどうにか維持しながら食パンを頬張る。
ざくざく、という小気味いい歯触りを堪能するも、気分は瞼以上に重たい。
(また、一日が始まる……)
退屈で無意味な一日が始まったと思うと憂鬱で仕方ない。時間を早送りする不思議なアイテムを出してくれるロボットが私の勉強机から現れてくれないだろうか。
非現実的な思想を巡らせながら、ぼうっと朝食を食べていると、「やだ怖い」という母の悲鳴に似た叫びが耳に飛び込んできた。何事かと視線をやれば、母は手で口を押さえながらリビングにあるテレビを見ていた。
『――……では、VR機器を使用してのゲームプレイ中に突然意識不明に陥る事例が頻発しています。被害にあった方たちは未だ意識が戻っていないとのことです。原因は解明されておらず、VR機器との関係性も立証されていないことから、国は利用者に対して注意喚起を促すことしかできず、対策を講じることができないでいるようです』
「意識不明だってぇ……、このユートピアってゲームたしか真樹もやってるわよね……?」
母が隣で、聞きなれた単語を呟いた。
「ユートピア……?」
言われて、私はまじまじとテレビを見た。テレビの中のディスプレイに映っていたゲームの映像を見て、「あ、ホントだ」と口から声がこぼれた。それは、ユートピアのタイトルに使われている映像で、中心にユグドラシルが聳え立つユートピアの世界を俯瞰して描かれた美しいデザインのものだ。それは、昨夜、猫太と一緒に眼下に眺めていた世界でもある。
この、現代のCG技術を駆使して作りこまれた映像美もまたユートピアの人気の一つと言っていいだろう。
『このユートピアというゲーム、最近よく聞きますよね――……』
テレビの中では、話を振られたコメンテーターが、自分の知りうる知識を披露していた。それをなんとなく耳にしながら私は、めんどくさいことになったなと内心で舌打ちする。
「やだ、怖い。ちょっと真樹、大丈夫? お母さん心配よ」
私の予想通り、母の意識はその矛先を私へと向ける。心底不安そうな顔を見て、私はバレない様にため息を吐いた。一人娘と言うこともあり、親の過保護には日ごろからうんざりしている。
「やめた方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だって」
なんの根拠もない返事をして、さっさと朝食を食べ終える。「でも」と畳み掛けてくる母に「最近は違うゲームやってるから」と口から出まかせを言って席を立った。
「それ本当? 真樹!」
母の声を振り切って、私は朝の支度をするべくリビングを後にした。
登校すると、教室は朝のニュースで話題が持ちきりだった。
「あ、真樹ちゃん、おはよう」
私が席に着くなり、由香ともう一人の友人・桜井千尋がやってくる。クラスメイトの二人は、啓子に振られて一人で弁当を食べる嵌めになった私に声をかけてくれた友人だ。それ以来、休み時間も移動教室も行動を共にするようになったが、放課後や休日に遊びに誘われることはあっても、それに応じたことは一度もなかった。
「おはよう、二人とも」
「朝のニュース見た?」
「ゲーム中に意識不明になるってやつ」
「あぁ、見た見た、怖いよね」
支度をしながら答えれば、二人の間で話題は勝手に進み始めたので適当に相槌を打つ役に徹する。
二人が自分の事をどういう風に思っているのか、私にはわからなかったし、わかろうとも思わなかった。なんとなく、啓子との一件があり二人と深く関わりたいと、思えなくなっていた。
(早く学校終わらないかな……、帰ってユートピアやりたい)
まだ授業すら始まってもいないというのに、私の心はここにあらず。目の前で景色が通り過ぎていくのを眺めているだけというのは、時間の流れも遅く酷く憂鬱だった。それでも我慢しなければならないこの世界に、私はどうしても意味が見出せない。
「ユートピアやってる人ってクラスでどのくらいいるんだろうね?」
千尋の疑問に、由香が「さぁ、どうだろ」と首をかしげる。
「真樹ちゃんは、やってる?」
「えっと……、やったことはあるよ、少しだけ」
やっていないと嘘をつくのは気が引けて、私はそう答える。
(少しどころじゃないけど)
「えーっ! 意外!」
「真樹ちゃんゲームとかやらなさそうなのに」
「そんなことないよ」
いつもの決めつけた物言いに、笑顔でそう答えた。
由香のことも千尋の事も、嫌いじゃない。こんな自分も仲間に入れてくれて、ありがたいとも思っている。それでもやっぱり、勝手に決めつけられて話を進められるのは好きじゃない。
「二人はゲームやるの?」
好奇心から聞いた質問に、二人が声を揃えて「やらないよ~」と笑って首を振るのを見て、やっぱり本当の事を言わなくてよかったと思った。その言葉の裏には、「ネットゲームなんて」という見下したニュアンスが含まれているように感じられたから。
「それよりさ、これ見て見て。この前雑誌に載ってた新作のリップ買ってみたの」
「わ、綺麗な色~! 由香それずっと欲しいって言ってたもんね」
(そんなこと言ってたっけ……)
二人の会話を聞きながら、私は記憶を辿るもそれらしき会話は思い出せない。それくらい、自分は二人の話を聞き流しているのかもしれない、と思った。
「真樹ちゃんてメイクしないよね?」
「え、うん、してない」
「なんでしないの?」
そんなの、興味がないだけだ。
そう思ったままを正直に言うのは躊躇われた。これまでも、二人はよくメイクについて盛り上がることも多く、私はその都度話を合わせていたから。ここで興味がないと言うのは、これまでの私が全て嘘だったことを認めることになってしまう。
「な、なんか、難しいっていうか……。朝も早く起きれなくて時間ないし」
「えぇ~、メイクすればもっと可愛くなるのに!」
「もったいないよ!」
私からすれば、メイク道具にお小遣いを使う方がもったいないし、そんなお金があったらユートピアや他のゲームに課金するほうがよほど有意義。朝もメイクするために早く起きて時間を作るくらいなら、その分寝ていたい。
どうしてこうも自分の価値観を押し付けてくるんだろうか。高校生になったらメイクは常識、可愛いは正義、雑誌は買って当たり前だとか、まるでそこから外れている人はおかしいと言わんばかりに。悪気がないと言うことは私にもわかっているけれど、だからいいという理由にはならない。
人は、それぞれに感情や価値観があって、何が好きで嫌いかはその人の自由なのに。
言いたいことも言えないような関係は、友だちなんかじゃない。かと言って、それを断ち切ることは、今の私にはできない。
この状況が、とても煩わしい。
「あ、そういえばさ、友だちが言ってたんだけど、一組でいじめがあるとかないとか」
千尋のはっきりしない言い方に、由香が「何それどっちよ」と突っ込みを入れる。
一組は、啓子のクラスだ。
興味のないメイクの会話が終わったことにほっとしつつも、私は千尋の話に意識を向けた。
「んー、その友だちも人づてだからはっきりとは知らないらしいんだけど、女子の間でもめてるらしいーって」
「ふーん、高校入ってもいじめとかあるんだね。――あ、でさぁ……」
由香によって、話は次の話題へと流れていく。それを耳に流しながら、私はざわつく胸を手でそっと押さえた。
(いじめって、まさか啓子じゃないよね……?)
数日前、私に会いに来た啓子。あの時の何か言いたげな啓子の顔が頭に浮かんた。
朝、リビングに行くと呆れ顔の母親が私を出迎える。「おはよー」と挨拶を交わしつつ、食パンをトースターに放り込んだ。タイマーを三分でセットしてから、水道でコップ一杯の水を飲み干す。
「ぷはー、水が染みる―」
しみじみ言うと、母は「おおげさねぇ」と笑った。
「何時までやってたの?」
「んー……十二時過ぎくらい?」
ホントは二時だけど。本当の事を言えば小言が飛んでくるのは目に見えているので、正直には言わない。
「よく飽きずにやってるわねぇ」
「面白いんだもん」
「まぁ、勉強さえしっかりやってるなら文句は言わないけど」
「はいはい、お母さま、その辺はご心配なく」
適当に返事をしているとトースターがチンッと甲高い音を鳴らした。こんがりと焼けた食パンを皿に取って席に着く。テーブルに用意されていたマーガリンを塗りたくってから口に運んだ。
相変わらずの寝不足で、鉛のようにずっしりと重たい瞼をどうにか維持しながら食パンを頬張る。
ざくざく、という小気味いい歯触りを堪能するも、気分は瞼以上に重たい。
(また、一日が始まる……)
退屈で無意味な一日が始まったと思うと憂鬱で仕方ない。時間を早送りする不思議なアイテムを出してくれるロボットが私の勉強机から現れてくれないだろうか。
非現実的な思想を巡らせながら、ぼうっと朝食を食べていると、「やだ怖い」という母の悲鳴に似た叫びが耳に飛び込んできた。何事かと視線をやれば、母は手で口を押さえながらリビングにあるテレビを見ていた。
『――……では、VR機器を使用してのゲームプレイ中に突然意識不明に陥る事例が頻発しています。被害にあった方たちは未だ意識が戻っていないとのことです。原因は解明されておらず、VR機器との関係性も立証されていないことから、国は利用者に対して注意喚起を促すことしかできず、対策を講じることができないでいるようです』
「意識不明だってぇ……、このユートピアってゲームたしか真樹もやってるわよね……?」
母が隣で、聞きなれた単語を呟いた。
「ユートピア……?」
言われて、私はまじまじとテレビを見た。テレビの中のディスプレイに映っていたゲームの映像を見て、「あ、ホントだ」と口から声がこぼれた。それは、ユートピアのタイトルに使われている映像で、中心にユグドラシルが聳え立つユートピアの世界を俯瞰して描かれた美しいデザインのものだ。それは、昨夜、猫太と一緒に眼下に眺めていた世界でもある。
この、現代のCG技術を駆使して作りこまれた映像美もまたユートピアの人気の一つと言っていいだろう。
『このユートピアというゲーム、最近よく聞きますよね――……』
テレビの中では、話を振られたコメンテーターが、自分の知りうる知識を披露していた。それをなんとなく耳にしながら私は、めんどくさいことになったなと内心で舌打ちする。
「やだ、怖い。ちょっと真樹、大丈夫? お母さん心配よ」
私の予想通り、母の意識はその矛先を私へと向ける。心底不安そうな顔を見て、私はバレない様にため息を吐いた。一人娘と言うこともあり、親の過保護には日ごろからうんざりしている。
「やめた方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だって」
なんの根拠もない返事をして、さっさと朝食を食べ終える。「でも」と畳み掛けてくる母に「最近は違うゲームやってるから」と口から出まかせを言って席を立った。
「それ本当? 真樹!」
母の声を振り切って、私は朝の支度をするべくリビングを後にした。
登校すると、教室は朝のニュースで話題が持ちきりだった。
「あ、真樹ちゃん、おはよう」
私が席に着くなり、由香ともう一人の友人・桜井千尋がやってくる。クラスメイトの二人は、啓子に振られて一人で弁当を食べる嵌めになった私に声をかけてくれた友人だ。それ以来、休み時間も移動教室も行動を共にするようになったが、放課後や休日に遊びに誘われることはあっても、それに応じたことは一度もなかった。
「おはよう、二人とも」
「朝のニュース見た?」
「ゲーム中に意識不明になるってやつ」
「あぁ、見た見た、怖いよね」
支度をしながら答えれば、二人の間で話題は勝手に進み始めたので適当に相槌を打つ役に徹する。
二人が自分の事をどういう風に思っているのか、私にはわからなかったし、わかろうとも思わなかった。なんとなく、啓子との一件があり二人と深く関わりたいと、思えなくなっていた。
(早く学校終わらないかな……、帰ってユートピアやりたい)
まだ授業すら始まってもいないというのに、私の心はここにあらず。目の前で景色が通り過ぎていくのを眺めているだけというのは、時間の流れも遅く酷く憂鬱だった。それでも我慢しなければならないこの世界に、私はどうしても意味が見出せない。
「ユートピアやってる人ってクラスでどのくらいいるんだろうね?」
千尋の疑問に、由香が「さぁ、どうだろ」と首をかしげる。
「真樹ちゃんは、やってる?」
「えっと……、やったことはあるよ、少しだけ」
やっていないと嘘をつくのは気が引けて、私はそう答える。
(少しどころじゃないけど)
「えーっ! 意外!」
「真樹ちゃんゲームとかやらなさそうなのに」
「そんなことないよ」
いつもの決めつけた物言いに、笑顔でそう答えた。
由香のことも千尋の事も、嫌いじゃない。こんな自分も仲間に入れてくれて、ありがたいとも思っている。それでもやっぱり、勝手に決めつけられて話を進められるのは好きじゃない。
「二人はゲームやるの?」
好奇心から聞いた質問に、二人が声を揃えて「やらないよ~」と笑って首を振るのを見て、やっぱり本当の事を言わなくてよかったと思った。その言葉の裏には、「ネットゲームなんて」という見下したニュアンスが含まれているように感じられたから。
「それよりさ、これ見て見て。この前雑誌に載ってた新作のリップ買ってみたの」
「わ、綺麗な色~! 由香それずっと欲しいって言ってたもんね」
(そんなこと言ってたっけ……)
二人の会話を聞きながら、私は記憶を辿るもそれらしき会話は思い出せない。それくらい、自分は二人の話を聞き流しているのかもしれない、と思った。
「真樹ちゃんてメイクしないよね?」
「え、うん、してない」
「なんでしないの?」
そんなの、興味がないだけだ。
そう思ったままを正直に言うのは躊躇われた。これまでも、二人はよくメイクについて盛り上がることも多く、私はその都度話を合わせていたから。ここで興味がないと言うのは、これまでの私が全て嘘だったことを認めることになってしまう。
「な、なんか、難しいっていうか……。朝も早く起きれなくて時間ないし」
「えぇ~、メイクすればもっと可愛くなるのに!」
「もったいないよ!」
私からすれば、メイク道具にお小遣いを使う方がもったいないし、そんなお金があったらユートピアや他のゲームに課金するほうがよほど有意義。朝もメイクするために早く起きて時間を作るくらいなら、その分寝ていたい。
どうしてこうも自分の価値観を押し付けてくるんだろうか。高校生になったらメイクは常識、可愛いは正義、雑誌は買って当たり前だとか、まるでそこから外れている人はおかしいと言わんばかりに。悪気がないと言うことは私にもわかっているけれど、だからいいという理由にはならない。
人は、それぞれに感情や価値観があって、何が好きで嫌いかはその人の自由なのに。
言いたいことも言えないような関係は、友だちなんかじゃない。かと言って、それを断ち切ることは、今の私にはできない。
この状況が、とても煩わしい。
「あ、そういえばさ、友だちが言ってたんだけど、一組でいじめがあるとかないとか」
千尋のはっきりしない言い方に、由香が「何それどっちよ」と突っ込みを入れる。
一組は、啓子のクラスだ。
興味のないメイクの会話が終わったことにほっとしつつも、私は千尋の話に意識を向けた。
「んー、その友だちも人づてだからはっきりとは知らないらしいんだけど、女子の間でもめてるらしいーって」
「ふーん、高校入ってもいじめとかあるんだね。――あ、でさぁ……」
由香によって、話は次の話題へと流れていく。それを耳に流しながら、私はざわつく胸を手でそっと押さえた。
(いじめって、まさか啓子じゃないよね……?)
数日前、私に会いに来た啓子。あの時の何か言いたげな啓子の顔が頭に浮かんた。