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 静かになった空の中、ふと視線を足元に移すとユートピアの三分の一ほどが消えてなくなっていた。ユグドラシルから飛んでいた光の玉は、もう見当たらない。
 きっともう現実世界に無事に帰ったのだろう。
 私がもし断ったり失敗したりしていたら、と思うとゾッとして鳥肌が立ったと同時に、大役を無事に全うできたことに心底ほっとした。

「このまま、眠り続けるつもりなの? ――啓子」

 振り返ってそう言うと、大福が黒い瞳を丸くさせてこちらを見ていた。

『な……、なんで……』
「さっき、突然見えた(・・・)の。ユグドラシルの言ってたお礼(・・)のおかげかな」

 不思議なことに、突然大福のアバターが透けて、その先に啓子が見えたのだ。

『……騙しててごめん』
「ホントだよ、知ってたらこんなとこまで来なくて済んだかもなのにさー」

 笑って極力軽く言ったつもりだったけど、啓子にはまた『ごめん』と深々謝られてしまった。

『途中、何度か言おうとしたんだけどことごとく声が届かなくなるし。それに、諦めて欲しくて合言葉の話をしたのに、まさか真樹が合言葉を知ってるなんて思わなくて……って、何言っても言い訳にしかならないよね……ごめん』

 そう言えば、何度かボイチャの調子が悪くて聞こえなくなったことがあったなと思い出す。素性を明かして止めようとしていたのは、事実なんだろう。
 とてもすまなそうに体を小さくする啓子を見て、私は自分を責めた。そもそもこうなったのは、私のせいなのだからと。

 それに、私は自分で啓子を探すことを選んだのだから、啓子を責めるのは間違ってる。
 頭とは裏腹に、心の奥からせり上がってきた感情が私の口をついて出てきた。

「私ね、高校つまらなくて、行くのも辛くて、でも行かないって選択はできなくて、友達とも全然楽しくなくて保健室に逃げたりしてたんだけど……、その理由がずっとわからなかったの……。でも、やっと気づいた。こうなったのは、啓子と一緒に居られなくなってからだってことに……」

 どうして無気力になってしまったのか、と思い返した時、もともと、女子のくだらないうわさ話や流行りなどに興味はなかったけど、それに拍車がかかったのは、啓子と疎遠になってからだと気づいた。

「ううん、本当はもっと前に気づいてたんだと思う。でも、それを認めるのが悔しくて気づかない振りしてた」

 啓子が意識を失って眠りについて探すと決めてからも、私の頭の片隅で問いかける声があった。
 一度は切れた関係に、どうしてこれほどまでに執着するのかって。
 たとえ、見つけて呼び戻せたとしても、前みたいな関係には戻れないかもしれないのに。
 自分でもやけくそになってるんじゃないか、啓子だってこんな私に探されても嬉しくもなんともないんじゃないかって。

 でもその度に、私はこれは啓子のためじゃなくて自分のためにやっているんだと、それらを跳ねのけてきた。
 そうして何度も自問自答を繰り返してようやく辿りついた本当の気持ち。

 無気力の底にあるのは、確かに怒りだった。

「私、心のどこかで、啓子に裏切られたって思ってた……。高校まで一緒にしたのに意味なかったじゃんって」

 本当なら、啓子の楽しい高校生活のためなのだからと受け入れるべきだったのに、心の狭い私は割り切れなくて、恩を仇で返されたような気持ちになった。
 湧き起こる怒りの感情に、困惑もした。

 自分ばかりが一方的に求めていることが、恥ずかしくて悔しくて惨めで悲しかった。

 その感情をぶつける当てがなくて、かと言って自分の中で処理できなかった私は、つまらない学校やクラスメイトにそれをぶつけていたのかもしれない。
 それが結果として私を無気力にさせていたのだと、今になって思う。
 それほど、私にとって啓子という存在が大きかったと、失いかけて初めて思い知ったのだ。

「私、怒ってたんだからね! 突然『もう要らない』って捨てられて! あんまりじゃない!」

 結果的に後に助けを求めてきた啓子に冷たい態度を取って突き放してしまった。

「……悲しかったんだよ、私。お昼も登下校も別々で全然会えなくて寂しかった!」

 ずっと溜め込んでいた怒りを、私は今さら吐き出して啓子にぶつける。

(啓子に会ったら、思いの丈を全部ぶつけようって決めてたんだから)

『真樹……』

 啓子が目を見開いて私を見る。
 頬に冷たいものが流れていることに気づいて、手で拭った。

『真樹……ごめん……、私、そんなつもりじゃなかったの……』
「違う、謝るのは私の方。私、気づいてたの。啓子が私に何か伝えようとしてたことも、悩んでることも。なのに……冷たくあしらって、気づかない振りをした……。本当にごめん……、謝って済むことじゃないのはわかってる。だけど、ごめん。あの時私が啓子の話をちゃんと聞いていれば今こんなことにはなってなかったはずなのに」

 ――Farewell to the real-world《現実世界にさよならを》

 合言葉に使われていた言葉は、言わば遺書のようなもので、今回の啓子の意識不明は事故ではなく、自殺未遂も同然だと私は重く受け止めていた。

 今こうして、ここに残ると言う啓子を見る限り、やっぱり彼女は現実世界から避難してきたのだと思う。

 これまで何度も、彼女が逃げた先がもし現実世界での「死」だったら……と想像し、その度に私は体の震えが止まらなくなった。今も、啓子がこのまま戻らなかったら、と考えただけで鳥肌が立って寒気がする。

『違う! 真樹のせいじゃない! 全部私のせい……私が弱いのがいけないの!』

 叫びとなった啓子の痛みが、私に降りかかる。堰を切ったように、体の中に溜まった怒りを絞りだす様に言葉を吐き出した啓子を見て、胸の奥がキリキリと痛んだ。

『クラスで強いグループの子に昼も登下校も誘われて、断れなかった。本当は、私だって真樹と一緒がよかったけど……中学の時のこともあって……断ったらまたいじめられるかもって思うと怖くて……』

 啓子は何か思い出しているかのように、宙を虚ろに見つめる。その目に映るのは、中学の時のことか、それとも……。

「……何があったのか、聞かせて?」