「ここは……?」
次に目を開けると、私たちは辺り一面白一色の場所に居た。影もなくて、遠近感覚がつかめなくて目がちかちかする。
音もなかった。
(神様とか出てきそう)
死んだ後に神様と出会う場所みたいで、死んでしまったのではないかと不安になるくらい何もない。
見渡してすぐ、私と同じように座り込む猫太と大福の姿を見つけてほっとした。
『ここが、ユグドラシルの中……?』
『そうなんだろうな』
「ゆっぴいは、大丈夫かな」
暴れん坊と言っていたのは、きっとマリスのことだろう。ユグドラシルの手に負えないほど強力な相手に、ゆっぴい一人で無事なはずがない。そう思うと、じわりと苦味が広がった。
『今は他人の心配してる場合じゃないよ漱石。早く深部に向かってシステムを破壊しないと、それこそ僕らも道連れだよ』
『って言っても、深部ってどこだよ。真っ白で何にもないじゃんか』
「私、わかるかも……。多分、向こうの方」と、指をさす。自分でも不思議だけど、何かを感じる。そうとしか言い表せない感覚だ。
『よし、じゃぁ急ぐぞ』
「うん」
そして、私たちは真っ白で平坦な空間をひたすら走っていった。
『ねぇ、これちゃんと進めてるのかな……』
『俺もそれ思った。真っ白過ぎて、ぜんっぜん距離感がわからねぇな』と猫太が同意する。
私はそんな二人に「大丈夫、近づいてるよ」と伝える。
さっきから、ひしひしと感じるそれに、私は息苦しくなってくる。
(ユグドラシルが、苦しんでるんだ)
ここに来た時から感じていた胸の痛みが、どんどん強くなっていた。心臓を鷲づかみにされたような、首を絞められているような苦しさに耐えながら私は走る。
これが、ユグドラシルとシンクロしている証拠なんだろう。色んなことを自在に操れても、ユグドラシルとシンクロしているなんて全然実感が湧かなかったけど、ここに来てようやくそれを私は体感できた。
自分のものではない感情が流れ込んでくる不思議な感覚。ユグドラシルの痛みは、涙が出そうになるくらいに、苦しかった。
『よく来てくれた、選ばれし者とその友よ』
突然聞こえてきた声に、私たち三人は足を止め顔を見合わせる。きっと、ゆっぴいが言っていた深部に辿りついたのだ。
「ユグドラシル! 今、ゆっぴいが、」
『わかっている。しかし、私にはどうすることもできないのだ。おぬしにも伝わっているであろう、私の苦痛が』
「そう、だけど……。でも、ユートピアを破壊しないで済む方法はないの?」
『マリスの奴は、もともとは私の体のほんの一部だったが、あまりの苦しみから同じ気持ちを持つプレイヤーを次々とこちらに引き込んで、その悲しみを餌に力を増していってしまった。もはや私の手には負えん』
もしかしたら他に手立てがあるかもしれない、という淡い期待はバッサリと切り捨てられてしまう。やはり、ユートピアを破壊する他に道はないのだと、改めて思い知らされる。
「その引き込まれたプレイヤーのデータはあなたが守ってるのよね? 彼らが今どこにいるか知ってる?」
『あぁ、まだ私の中にある。彼らプレイヤーたちは、この世界のどこかにいるだろう。マリスは、私を消し去り、悲しみに暮れたプレイヤーにつけ込んでこの世界に引き入れ、すべてが統制されたディストピアを造ろうと企んでいる。データがマリスの手に渡れば彼らの意思も危ういかもしれん』
「そんな……」
『娘よ、時が迫っているようだ……、最後に見せてやろう……』
ユグドラシルが言う「最後」という言葉が、私の胸に刺さった。
終わりが、すぐそこまで来ている。
そして、真っ白だったその空間が、突如、空に変わり、眼下にはユートピアが悠然と浮かんでいた。
何度も見た、大好きな景色。
でも、ユートピアの様子がおかしいことに私たちはすぐ気づく。
『嘘、だろ……』
『いつの間にこんな……』
空に浮く、ユートピアのむき出しになった岩肌が所々ぼろぼろと崩れ、落ちていっているではないか。そして、更に酷いことに、ユグドラシルの浸食が進み根元の部分は既に真っ黒に染まっていた。
そのあまりの凄惨さに、私は絶句した。
『不甲斐ないことに、マリスの悪意によって私の根が侵され、この島を保てなくなってしまった……。このままでは、島にいるプレイヤーを道連れにしてしまいかねない。さぁ、娘よ、私に力を貸してくれ』
私は、何かに引き寄せられるように、前へ進んだ。すると、目の前に丸いクリスタルが嵌った台が突如として現れる。それは、さっき遺跡で見た石板の横にあったものと似ていた。
『それに手を添えるだけでよい。後はおぬしの中で育った私の欠片がやってくれる』
私は自分の手と手をぎゅっと胸の前で握りしめた。
これに触れたら、ユートピアはこの世から消え去ってしまうと思うと、手も足もぶるぶると震え出した。
心臓が早鐘を打ち、鼓膜を圧迫する。
耳鳴りがして、立っているのも辛くて、目をぎゅっと閉じた。
(怖い……、怖いよ……)
この世界は、私の中で確かに生きていた。
村人も、動物たちも、生える草木も何もかも。
それを、私の手で壊すのは、殺してしまうも同然だから、怖くて仕方がない。
『恐れることはない。どの道滅びる運命だ』
そう言われて気が楽になるはずもなく、私は足踏みする。
ほぼ同時に、両肩にトンと重みが置かれて顔をあげた私は、両側に立つ二人の顔を順番に見やる。
『お前がやらなきゃ、みんなはこの世界でだけじゃなくて現実世界でも死ぬかもしれないんだ』
『そうだよ、壊すんじゃない。漱石が救うんだよ。僕も手伝うから、大丈夫』
そう諭すように言われて、少しずつ震えが治まっていく。大福の手が私の背中を優しく撫でてくれる。その温かさにどこか懐かしさを感じながら、二人と目を合わせて頷いてから私は握りしめていた手を緩めた。