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 思いもよらない出来事に、まぬけ面を晒しているだろう私をまっすぐ見つめて、ゆっぴいは『そうだ』と力強く言い放つ。

『この石板は、いわゆる試練でもあった。これまで数々のプレイヤーが石板に触れたがパズルを解くだけで修復できた者は一人もいない』
「こ、ここに来た人たちはどうなったのっ⁉」

 私はここに来た本来の目的を思い出し、口にする。噂が本当なら、啓子もここに来たはずだ。もしかしたらゆっぴいは啓子のことを覚えているかもしれない、行方を知っているかもしれない、と期待に胸が膨らむ。

『石板を修復できなかった者たちは強制的に遺跡の外に戻されて終わりだ』
『終わりって?』
『ミッション失敗というだけの話だ』
「そんなはずは! 現実世界では、このミッションに挑んだ人達が次々に意識を失って倒れて今も目を覚ましてないのに!」

 期待外れの話に思わず責めるような口調になる。すると、ゆっぴいは『なんだって⁉』と瞠目した。

『それは本当か⁉ たまたまではなく?』
『いや、俺たちだって人聞きだから確証はないんだけどよ……。で、そいつらは今もユートピアで生きてるって噂なんだよ』
『ここで生きてる……? ふむ、ずっと不思議に思っていたんだ。このミッションの発動条件はそもそも欠片を手に入れること。なのに、これまで来たプレイヤーは誰一人として持っていなかった……。となると考えられるのは、システムが書き換えられた可能性があるということだな」
「私、欠片をゲットしても何も起こらなかった」

 光っただけで終わったから、何かのバグかと思って気にもしていなかったのだ。

『……ならお前たち、どうやってここに来たのだ?』
「意識不明になった子のパソコンの画面に表示されてた『Farewell to the real-world』って言葉を唱えたら来れたのよ」
『なるほど……どうりで……』

 ゆっぴいは、うーん、と唸った。そしてしばし黙り込んだ後、ゆっくりと口を開く。

『だとすると、このミッションも我々が気づかない間に一部が書き換えられてしまった可能性が考えられる』
『ということは、その合言葉も、ミッションクリア後の永住権も意識不明も全部そのマリスの仕業ってこと?』
『まずそれしか考えられんな』

(じゃぁ……どうすればいいの?)

 足がすくむ感覚に囚われて、みぞおちのあたりがもやもやして気持ち悪い。
 ゴールが、どんどん遠ざかってしまった。
 やっと……やっと手が届きそうだと思ったのに、遠ざかるどころか、そこへ辿りつく道すら失ってしまった。

『漱石⁉』

 焦燥感と虚しさに、私は脱力してその場にくずおれてしまった。

『大丈夫かよ』
「あはは……、ごめん、ちょっと気が抜けて……」

 どうにか足に力を入れて立ち上がった私は、ふと浮かんできた疑問を口にする。

「このミッションは選ばれし者を見つけるためのもので……それが私だったっていうとこまではわかったけど、その後は?」

 ゆっぴいの口ぶりからして、このミッションがマリスに関係していることは明白だったから、本来の目的はなんなのだろうかと気になった。とにかく今は目の前のことを一つ一つこなして、マリスに関する情報を集めるしか道はないのかもしれないと思い始めていた。

『うむ、よい質問だ小娘』

(こんな猫に小娘って呼ばれるの、なんだか複雑……)

 私はじっとゆっぴいの金色の猫目を見つめた。

『ユグドラシルの願いは、ユートピアの破壊だ』

 三人から言葉にならない驚嘆の声が上がった。一体どういうことなのか、とゆっぴいの話の続きを待つ。

『マリスの暴走で浸食は進むばかりで、メインシステムを守るユグドラシルの体力も限界を迎えつつある。お前たちの話が本当だとすれば、プレイヤーがこの世界に引き込まれてしまったのも全てマリスのせいだろう。ユグドラシルはマリスにユートピアの全てを取られてしまえば、大変なことが起こると考え、マリスもろともこの世界を破壊しようとしているんだ』
「そんな……」

 ユグドラシルがユートピアの破壊を望んでいるなんて、寝耳に水だ。だって、ユグドラシルはユートピアそのもので、ユートピアのすべてだから。

『さっき、マリスにシステムを乗っ取られたと言ったが、それは全て(・・)ではない。核となるメインシステムはユグドラシルが今もどうにか死守しているから、アイツができることと言えば、魔物を増やすことくらいだろう。しかし、マリスの侵入を防ぐのに手一杯で、こちらから手を加えたりマリスを攻撃したりする余力はユグドラシルには残っていない。だから、ユグドラシルとリンクできるお前には、メインシステムにアクセスしてユートピアの破壊を手伝ってもらいたい」

 ガツンと頭を殴られたように、何も考えられなくなる。

(私が、ユートピアを破壊する?)

 どう考えたって非現実的な話に、私の胸はざわつきを押さえられない。そもそも、そんなことが可能なのかどうかさえもわからないのに、やれと言われても……。しかも、大好きなユートピアを壊すだなんて。

『断わるっていう選択肢は?』
『おい大福、決めるのは漱石だぞ』

 間髪入れずに言い放った猫太に大福が『わかってる。僕はただ選択肢として知っておくべきだと思っただけだよ』と返す。

『もちろん可能だ。その時には、ユグドラシルの欠片は回収させてもらうがな』
「もし、ユートピアを破壊したら、今プレイしている人達や意識不明になった人達はどうなるの?」
『まさにマリスが欲しがっているのがそのプレイヤーなんだ。奴は、この世界を自分に同調するプレイヤーだけにするべく、プレイヤーのデータベースを手に入れようと攻撃を仕掛けてきている。データベースは今もユグドラシルが守っているから問題ないが、それも時間の問題だ』
『時間の問題って……、もしマリスってヤツにデータベース取られたらどうなるんだよ⁉』

 その問いかけに、ゆっぴいは腕を組んで唸った。すごく深刻な話をしているのに、ゆっぴいの可愛らしい見た目とのギャップが激しくて、違和感しかない。

『どうなるのかは、正直なところ俺さまにもわからない。何ごともなくログアウトするかもしれないが……、お前たちの話を聞いた限り、最悪この世界に閉じ込められたプレイヤーは現実世界で意識不明になるかもしれないな』
「そんな……」

 もしも、その「最悪」が起きたら……。

『一体どれだけの人がプレイしてると思ってるんだよ!』

 登録ユーザー数が六千万人超だから、少なく見積もっても数百万人はリアルタイムでプレイしている可能性が高い。
 その人たちがみんな意識不明になったらなんて、想像もできないし、想像したくもない。考えただけでも鳥肌が立ち、私は腕をさすった。

『マリスになぜそんなことができるのかは不明だが……。このままではそれが起こる可能性が高いのが現実だ。最悪の事態を避けるために俺さまとユグドラシルは、選ばれし者をずっと待っていた』

(その選ばれし者が、私……)

 ゆっぴいの金色の猫目が私をまっすぐ捉える。
 猫太と大福も私の方を向いて、複雑な表情を浮かべていた。

「本当に、私にできるのかな……」
『お前にしかできない』

(私にしか……できない……)

 それなら、選ぶ道は一つしかない。