魔物は最初、大きな犬かと思ったけど、その口からは見るからに狂暴な鋭い牙が生えていた。シルエットは、さながらサーベルタイガーだ。
 ガルルルッと喉を唸らせて、今か今かとこちらを威嚇していた。

 そして、何か合図があったかのように、魔物たちは一斉に飛びかかってきた。
 予想通りの早いスピードに、私たちは盾と剣で立ち向かう。
 その間も、私の違和感は顕著だった。
 剣を振るう度に風を切る感覚、一歩踏み出す石の固さ、吸い込む空気の埃っぽさ、振り乱した髪が顔に張り付く不快感、そのどれもがまるでリアルに起きているかのように鮮明だった。

 その感覚に戸惑っている暇もなく、私は次々に向かってくる魔物を切り倒していった。

『――いっ』
「大福!」

 声に振り向くと、大福の腕に魔物がしっかりと噛みついていた。数が多すぎて、二人の方にまで気が回らなかった私は、剣をその魔物めがけて投げつけた。命中して魔物が地面に倒れる。大福の腕は血まみれで、私に『ありがとう』と言った彼の顔は、痛みに歪んでいた。

『漱石、後ろ後ろ!』
「わかってる!」

 インベントリから新しい武器を取り出すと、目の前まで迫っていた魔物に突き刺す。

「大福、今のうちにエイドキット使って」
『ごめん、ありがと!』

 だいぶ数が減ってきたところで、大福を私と猫太の背中で挟み、傷の手当を促す。止血処置をしないとHPがどんどん減っていってしまうため、早期の治療が必要だった。

 ふと、猫太の剣捌きが視界に入り、いつ見ても無駄がないなと感心する。
 私と同時期にスタートしたのに、ゲームセンスは猫太の方が確実に上だった。

『漱石!』

 私が一匹を剣で食い止めている所に、もう一匹が飛びつこうと地を蹴るのが視界の端に見えた。剣にがっちりと嚙みついた魔物の力が強くて、押しやれないし手が離せない。
 ぐぐぐ、と押される感覚を手と腕にひしひしと感じながら、私はどうすることもできなかった。

(あー、だめだ、来るー! 壁が欲しい!)

 ゲームの世界なんだから、にょきっと地面から壁が現れてガードにできるとか、魔法使いが来て助けてくれるとか、そういうの有ってもいいんじゃないのか、とやけくそになった時、

 ブォンッ!

 音と同時に『ギャンッ』と魔物が鳴いた。
 目を瞑っていた私が目を開けると、地面に体を打ち付けて悶絶する魔物が視界に入った。

(え、何がどうなったの?)

 猫太か大福が助けてくれたのだろうか、さっきの音はなんだったんだろうか、疑問が浮かんで視線をずらした私のすぐ右隣に、大きな「壁」があることに気づいた。私の背丈をゆうに超える高さのそれを見上げた。

「か、壁……?」
『なんだぁ?』
『え、壁?』

(いや、壁が欲しいって確かに思ったけども……)

 まさかそんな、本当に出てくるなんて……。予想外の出来事に私もみんなも動きが止まる。でもその間も魔物の手は怯まないので、私はとりあえず力を振り絞って剣に噛みついていた魔物を振り切った。

(じゃぁ、もしかしてこんなこともできたりして……)

 私は頭の中で、つい最近読んだ漫画のワンシーンを思い浮かべる。
 すると……、

 ズドンズドンズドドドーンッ!

 とけたたましい振動と音と共に、岩の棘が複数個地面から突き出して魔物を次々と倒していった。

『おおおぉー!』
『す、すごい……!』
「やっば……」

 生き残った二匹を猫太が倒して、場に静寂が訪れた。ハッとして大福を見ると、治療を終えて血まみれだった腕は元通りになっていてほっと胸をなでおろす。

『今の……もしかしてお前?』
「あはは……、そうみたい」
『何がどうなってるの、漱石……』
「私にもさっぱり……、なんか念じたらなった……」
『まじで⁉ 魔法じゃん! え、じゃぁさ、この飛び出たトゲトゲなくせたりすんの?』
「え、どうだろ……やってみる……?」

 頭で「なくなれ」と念じてみれば、突き出ていた棘がズズズ、と引っ込んで床が元通りになった。

「できちゃうんだ……」
『うっわ、ガチなやつじゃん……えっぐ!』

 確かにこれはえぐいなと自分でも思った。戦闘中に感じた風や感触は今も健在で、どこからか隙間風のようなものが吹いて足元を流れているのがわかった。
 私は一体どうしてしまったのか、と不安になる。
 まるでこのユートピアが本当に存在して、私もこの世界の人間になってしまったかのような、シンクロ率がどんどん高くなっていくような、不思議な感覚だった。

『ね、ねぇっ、やっぱりなんか変だよ、漱石……。今からでも遅くないから、戻った方がいいんじゃ……、』

 言いかけて、大福はハッと何かに気づいて口をつぐんだ。手をぎゅっと握りしめて、『ごめん、やっぱり何でもない……。先に進もう』と振り絞るように言う。

「大福……心配してくれてありがとう。でもごめん、ここまできたら最後まで進みたい」
『まぁ、そうだな……、でもよ、漱石のこの力があればなんとかなりそうな気がしてきたぜ、俺は』
「ったく、猫太はお気楽なんだから」
『うっせーな! 俺はな、この微妙な雰囲気をだなぁ、』
「あーはいはい、わかってます、どうもお気遣いありがとうございます」
『うっわ、心こもってねー!』
『……ふっ、……あはははは!』

 (こら)えきれず噴き出した大福に、私と猫太は目を見合わせて笑った。

『やっと笑ったな、大福』
『え? 僕、そんな暗い顔してた?』
「うん、今日ずっとね……」

 後悔してるんじゃないか、と思っていた。
 だとしても、誰も大福を責めることなんてできないし、後悔して当然だ。
 だって、もしかしたら自分たちまで意識不明になって現実世界に帰れなくなるかもしれないのだから。

『ごめん。漱石の、友達を救いたいっていう気持ちは理解できるんだけど、どうしてもこの先に進むのは危ない気がして……。僕は、二人にまで危険な道を選んでほしくなかったっていうのが正直な気持ちだったんだ。でも、もう……――から、あとは先に進むしかない』
「あ、大福、またボイチャが、もう一回言――っ⁉」

 急に視界が真っ白になった。
 眩しくて目を閉じる。

『どこだここ⁉』
『な、なんで……』

 二人の声に目を開けると、私たちはさっきまでとは違う場所に居た。同じ遺跡の中だと思うけど、四方を囲まれた広間のような四角い部屋だった。

「もしかして、ここが最奥の間……?」

 部屋の中心には、何か台のようなものが置かれていて、私は吸い寄せられるように歩を進める。

『なんだこれ、パズルか?』

 猫太が隣で首をかしげる。正方形の石板がいくつも並んでいて、確かにパズルみたいだ。四×四の計十六枚の石板があり、刻まれた文字のような不思議な絵柄はちぐはぐで繋がっていない。

『これを、解けってことなんじゃないかな』

 大福の提案を耳で聞きながらも、私はそのパズルの隣に埋め込まれた、丸い透き通る綺麗な石に目が惹かれる。傷一つないそれは、ふわーん、ふわーんと途切れ途切れに鈍い光を放っていた。

 私は、それにそっと右手を重ねてみた。なんとなく、そうすべきだとと感じて、気づけば体が勝手に動いていたのだ。

 包み込むように触れれば、ほんのりとあたたかいそれが光を増す。そして、石板が、すーっと勝手に動き始め、刻まれた絵柄が繋がっていく。そしてあっという間に全てが綺麗に揃い、それまで十六枚のパーツだったものが全てくっついて一枚の絵となった。

 すると、またしても視界が真っ白になる。

 今度はどこに飛ばされるんだろうか、と考えていたら、目を開けたらさっきと同じ場所で一安心、したのもつかの間、

『――待ちくたびれたぞ!』
「ぎゃぁっ!」
『うわぁっ』

 突然聞こえた声と共に、いつの間にか目の前に何かが現れ、私たちは一様に驚きの声を上げる。

「ゆ、ゆっぴい⁉」