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『あ、漱石!』
『久しぶりじゃん!』

 その日の夜、ユートピアのホームにログインするなり、ナオミとつかさから歓迎を受けた。

『ホント~! あんまり来ないからテストで赤点取ってゲーム禁止令でもくらってんじゃないかって今つかさと話してたとこだよ~』

 私がこんなにログインしないのは、初めてといってもいいくらいの出来事だったから、二人とも驚いたようだ。

「あはは、そういうわけじゃないんだけどさ、ちょっと色々あって……。あれ、猫太と大福は?」
『あぁ、そのうち来ると思うよ』
「そっか」

 みんなは、通常運転だったんだ。
 そりゃそうか、私だって啓子のことがなければ今までと変わらずにプレイしていたはずだ。私にとってニュースは他人事で、所詮テレビの中の出来事でしかなかった。――ついこの間までは。

 今日も、ユートピアにログインするのが怖くなかったと言えばうそになる。VRヘッドセットを付けるのに私は一瞬尻込みした。
 ログインした今だって、正直怖い。
 裏ミッションをクリアした人だけがそうなるって話はあくまでも噂であって、今この瞬間だって意識不明にならないという保証は何一つないのだ。

『――せき、漱石、ねぇちょっと聞いてる⁉』
「あ、ごめん、考え事してた」
『ネットがラグいのかと思ったわ』

 ナオミがあっけらかんと笑う。そう言えば、プレイヤーのスキンが幼女から黒髪メガネの知的少女に変わっていた。それを可愛いと褒めれば嬉しそうにその場でくるりと回ってみせる。シックな黒のワンピースがふわりと広がるのを見ながら、胸の奥底から湧き上がる気持ちに戸惑っていた。

(あぁ、やっぱりいいな、ユートピアは)

 学校でのわずらわしさや例の事故の恐怖さえも忘れさせてくれる楽しさがある。啓子がこうなったにも関わらずそんな風に感じてしまう自分に、罪悪感を感じて気持ちを引き締めた。

「あのさ、ちょっとみんなに話したいことがあって……」
『話したいこと? なになにー?』
『――お前、なんでいんだよ』

 ぶっきらぼうな声が後ろからぶつけられた。振り向かなくても分かるその声に、イラっとして、「はぁ?」と声を荒げたその時、

 ――カチャ、スタスタ……

 スピーカーからではない物音に気づいた私は、慌ててヘッドセットを外してモニターの後ろに投げるように隠した。

「――真樹? まだ起きてるの?」

 声と同時にドアが開けられ、母親が顔を覗かせた。必ずノックして返事を待ってから入ってくるのに、いつもと違う突然のことに、私の心臓はバクバクと早鐘を打っている。

「話し声したけど……まさかあんた例のユートピアとかってやつやってるんじゃないわよね?」と早口でまくしたてて、私の背後にあるパソコンのモニターを覗き込んだ。さっき、スイッチを切ったから画面は真っ暗だ。

「友だちと電話してただけだよ、やるわけないじゃん」と慌てて手にしていたスマホを水戸黄門の印籠よろしく母親に見せつけるように掲げた。

「それもそうよね……啓子ちゃんがあんなことになったんだし……。啓子ちゃん、まだ目覚めないそうじゃない……。お願いだから、やめてよ……あんたまで……」

 母親はそこで言葉を切り、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
 最後まで言わなくてもその後に続く言葉は自ずと導かれる。

 ――あんたまで、意識不明になったら……。

 啓子の意識不明のことを知って以来、母親は前にも増して神経質になっていた。もしかしたら、昨日まで夜に聞き耳を立てていたのかもしれない。今日になって私の話し声がしたから偵察に来たのだと分かり、みぞおちの辺りがむかむかとする。

「もう、わかったから、ノックもしないで勝手に入ってこないでよ!」

 心配する母親の気持ちも分かるけど、試すようなその行為が気に入らなくて私はキツい口調で返していた。怒鳴るまではいかないにしても、私にしては珍しく声を荒げてしまった。母親も悪かったと思ったのか、「そうね、それはお母さんが悪かった」と謝ってくれた。

「もう寝なさいよ、おやすみ」
「……おやすみ」

 ドアが閉められて、遠ざかる足音が消えるのを確認して、私はもう一度ユートピアにログインし直す。てっきりみんなでもうミッションに出ているものだと思ったのに、みんなはまだホームにいた。

「あれ、どうしたの」
『――どうしたのじゃねぇよ。お前のこと待ってたんだよ』

 猫太が怒り気味に言う。イラっとしたけど、待っててもらった手前強くは出れなくて、私はごめんと謝った。

『さっき、漱石が話したいことがあるって言ってたから待ってたんだ』

 相変わらず落ち着いた口調のつかさに、苛立ちが鎮められるようだった。

『急にログオフするからさー、何事かと思った』
「ごめん、親が急に来て……、見つかるとうるさいから」
『うわ、漱石の親うっざ』
「はは、だよね」

 思ったことをそのまま口から出せるナオミが、私は羨ましかった。私は、いつも頭の中であーだこーだと考えて、結局口に出せないで終わることが多いから。

『それで漱石、話したいことってなんだった?』

 私がログオフしていた時に来たのか、いつの間にか大福もいた。私は、どこから話すべきか少し迷いつつも、ことの経緯(いきさつ)を最初からみんなに打ち明けることにした。

『――マジで⁉』
『それは怖いね……、ニュースでは聞いてたけど、こんな身近に出るなんて……』
「それで、私、その子を探したいの」
『探すって、お前どうやって……って、まさかここで?』

 猫太は目を見開いて驚いた。他のメンバーも一様に驚いて言葉を失っている様だった。

 意識だけが今もこの世界(ユートピア)で生きてるって――

(もし、それが本当で、啓子がここにいるなら……)

 私は猫太の問いに「そうだよ、ここで探すの」と答える。そうすれば、口々に反対の声が返ってきた。

『――んな、無茶な!』
『そうだよ! そもそも、探すってどうやって⁉ あんたユートピアのユーザー何万人いると思ってんの⁉』
「六千万、だっけ?」
『だっけじゃねぇよ……、馬鹿かお前』

 自分でも、馬鹿げてると思う。
 そんな都市伝説のような根も葉もない噂を信じてるわけじゃない。
 ユートピアで意識不明になった他の人で今のところ目覚めた人はまだいない。できる治療もない。医者もお手上げ状態。

 だけど、眠ったままの啓子に私は何がしてあげられるんだろうって考えた時、現実世界で私ができることなんて何もなくて、行きついた先の答えがこれだった。

 私には、ただ見守るだけなんて我慢できない。
 だから、私は決めた。
 啓子を探す。
 ここ、ユートピアで。

 だって、もしかしたら、あの噂は本当かもしれない。
 そして、ここで生きてる啓子を見つけることができて、現実世界に帰るよう説得できたら目を覚ますかもしれない。
 見つけ出せたとしても、啓子に手を差し伸べなかった私に説得できるとは限らないけど……、私は「やらない後悔」はもうしたくない。

 啓子が一組で上手くやれてると信じて疑わなかった後悔。
 啓子の話を聞かなかった後悔。
 たった一言、言わなかった後悔。
 青白い顔の啓子をちゃんと問い詰めなかった後悔。

 どうせ同じ後悔なら、やった後に後悔したい。
 あの噂が嘘だという証拠もない今、私に出来ることがあるなら、一縷の望みにかけようと決意した。

「だから、しばらくホームの活動には顔出せなくなる。ごめん」

 ナオミとつかさは少し残念そうに『そっか……』とつぶやいた。

『僕は……、漱石と一緒に探すの手伝うよ』

 それまで黙っていた大福が声を発した。すると猫太までもがそれに『俺も手伝う』と賛同した。

「二人とも……、気持ちは嬉しいけど……、そしたらホームはどうするの」
『そうよ、二人まで抜けたらあたしとつかさだけになっちゃうじゃん』
『二人だけだと、できるミッションも限られちゃうしなぁ……』

 そう、みんながホームにこだわるのにはそういう事情があった。ミッションには人数制限があって、一番多いミッションが四人以上のもので、二人以下だと参加できないミッションが出てきてしまう。だからうちのホームも常に五人になるように募集をかけていた。

『つかさとナオミも手伝うって気はないのかよ』
「ちょっと、猫太やめて」

 私は、そもそも誰かに手伝ってもらうなんて考えてもいなかったのだから、猫太の気持ちは嬉しいけど、それをナオミとつかさにまで無理強いするのはちょっと違うと思う。

『んー、悪いけど、あたしはパス。興味ないわ』
『そうだなぁ……俺もそういうのはちょっと……。とてもその噂が本当とは思えないから俺はホームを抜けるよ。ごめんね、漱石』
「ううん、全然いいの! っていうか、私が抜けるから二人は残って!」
『残っても大福と猫太もいないんじゃ、ミッション行けないから意味ないし。あたしも抜ける。今までありがとね、ばいびー』
「えっ、ナオミ⁉」

 ピルン、とログオフの効果音と共にナオミのアバターが姿を消してしまった。

「うっそ……」
『はっや……』
『ナオミらしいね……、じゃぁ、俺も他のホーム探さなくちゃだからもう行くよ。――みんなと一緒にやれて楽しかったよ、また縁があればよろしく』
「つかさごめん、私のせいで……。いいホームが見つかるように祈ってるね……」

 また音が鳴ってつかさも消えた。
 あまりにも突然の、あっけない別れに私と残された猫太と大福もなんとも神妙な空気になる。

『ったく、薄情なやつ等だな』
「ごめん、私のせいで……」
『漱石が気にすることじゃないよ……。嫌になったら簡単に断ち切るのがネットだから』

(そうだ……)

 私だってネット上のつながりなんて、こんなものだと分かり切っていたし、それが心地いいとすら思っていた。
 なのに、いざこうもバッサリとなんの躊躇いもなく関係を切られると、なんだか悲しい気持ちになる。
 仮にも、数か月ほぼ毎日のように顔を合わせて会話していたのに。
 少なくとも私は二人を友だちだと思っていたのに。
 きっと、彼らと会うことはもう二度とないんだろう。

 そう思うと、一緒に過ごしたあの時間はなんだったんだろうか、と嘆かずにはいられない。

(ううん、考えるのはやめよう)

 すでに切れてしまった彼らとのことを考えていてもなんにも進まない。今は、啓子を探すことだけ考えようと、私は頭を横に振って雑念を散らした。

『で、これからどーすんだ? お前の友だちのユーザーネームでひたすらアタックかけてみるとか?』
「いやぁ……それが、ユーザーネームも知らなくて……」

 ははは、と笑う私に、猫太の呆れた眼差しが突き刺さった。