*
翌朝、いつものように重たい気持ちと体に鞭打って登校した私は、教室に入るなりいつもと雰囲気が違うことに気づく。試験明けなのだからもっとみんな晴れやかでもいいのに、どことなく不穏な空気が漂っていた。
「真樹ちゃん! こっちこっち!」
由香が挨拶も無しに慌てた様子で私を手招きするので、鞄も置かずに彼女の机まで小走りに駆け寄る。隣には千尋が神妙な面持ちで立っていた。
「おはよう、どうしたの」
「ねぇ、とうとううちの学校から出たんだって!」
「ユートピアの意識不明者が!」
二人で代わりばんこに言葉を補い合って放たれた言葉に、私は心臓が飛び跳ねた。
「うそ」
「うそじゃないって。しかも私らと同じ一年だって!」
どくどくと心臓がうるさいほど拍動しているのに、手足からは血の気が引いていったかのように冷たくなっていく。
テレビでしか聞かなかったそれは、他人事だった。
それが、テレビのスクリーンを飛び出した瞬間、とても他人事には感じられなくなり、恐怖となって私に襲い掛かる。カバンの持ち手を無駄に持ち変えてぎゅっと握りしめた。
「何組の誰なの?」
啓子以外に知り合いがいない私が聞いたって、顔と名前が一致するわけないのだけど、好奇心から訊ねてしまう。
「えっと、誰だっけ。ねぇ、橘くん、さっき言ってた意識不明になった人の名前なんだっけ?」
斜め後ろの橘くんは、スマホから目を離さずに「あー」と口を開く。そして、衝撃の名を口にした。
「岩田啓子って人」
「――っ、うそでしょ⁉」
私の叫び声で、それまでざわついていた教室内が静まり返った。何事かとみんなの視線が私に集中する。橘くんは、突然の私の大声に口をぽかんと開けて目をぱちくりさせていた。
「って、俺に言われても……俺は一組のやつから聞いただけで……」
「ご、ごめん」
「真樹ちゃん、その子のこと知ってるの?」
(知ってるも何も、ずっと親友で……)
と考えてハッとする。啓子と最後に喋ったのはいつだっただろうか。
記憶をさかのぼらなければ、思い出せない程、関わりがなかった私と啓子の関係は、はたして親友と呼べるのだろうかと疑問が浮かんだ。
そんなこと、今はどうでもいい。それよりも、意識不明になったのが本当に啓子なのかどうか、私は自分で確かめなければ納得できない。
困惑する頭で、私は鞄を自分の机に放り投げると、走って教室を出て一組へと向かった。そうすれば、教室内は私のクラスよりもずっとどんよりとしていて、本当にこのクラスからそれが出たのだと知らされた気になる。
ざっと中を見渡したが、啓子の姿はなくて鼓動が早さを増す。でも、まだ登校していないだけかもしれないし、今日は休んでるだけかもしれない、と事実を認めたくない私の頭が否定材料を必死で探しては私に言い聞かせるように現れた。
「――ごめん、ちょっと通してー?」
そう言って私の横を通った名前も知らない女子生徒の腕を、私はとっさに掴んでいた。驚いてこちらを見た彼女に謝ってから、「い、岩田啓子が意識不明になったってホント⁉」とど直球を投げる。彼女は、一瞬目を泳がせてから、口を開いた。
「あー……うん、そうらしいよ。昨日の夜にクラスのLINEに流れてきたんだよね。で、さっき担任が来て、朝のHRでちゃんと説明するって言ってた」
「そ、そうなんだ……、ありがとう……」
決定打を打たれた私は、自然と彼女の腕を離していた。力が、入らなかった。がくがくと笑う膝をなんとか動かして後ずさると、私は踵を返して来た道を戻る。
けれども、自分のクラスより手前の階段を下って行った。とてもじゃないけど、授業を受けられる状態じゃなくて、私の足はそのまま保健室に向かっていた。本当はこのまま帰ってしまいたいくらいだ。
でも今は、こんな状態のまま由香や千尋がいる教室に戻りたくなかった。
やっとの思いで辿りついた保健室のドアノブには「不在」の札がかかっていた。もしかしたら、先生たちも対応に追われているのかもしれない。
私は、かまわずドアを開けて中に入るとそのままベッドに横になった。LINEで啓子にメッセージを送ろうと、ポケットからスマホを取り出した。
啓子のアイコンをタップして、メッセージ画面を出したはいいが、文字が打てなかった。
その画面は、私が既読スルーをした、あの時のままだったから。
「なんて送ればいいのよ……」
それに、啓子は意識不明で、スマホなんか見れるはずがないのだ。私の指は文字を打つのではなく電源ボタンを押した。
「なんで、啓子が……」
――意識不明になった人はみんな自殺願望があった人たちだって話。
真っ暗になったスマホの画面を呆然と眺める私の頭に頭に浮かんでくるのは、メンバーから聞いた噂話。
(もし、それが本当なら……啓子も、死にたいと思っていたの? だから、ユートピアで生きることを選んだ……?)
そもそも、啓子がネットゲームをやってるなんて知らなかったから、驚いた。そんな話題が出たことは一度もない。
と考えたところで、そもそも啓子とはここ最近ろくに顔も見てなければ会話も交わしていないのだから知らなくて当然だと思い直す。
一緒に登校したいと私を待っていた時も、教科書を借りに来た時も、やっぱり私に何か相談しようとしてたのだ。
(なのに、私は……)
全身から、血の気が引いていくのがわかった。視界が狭まり、横になっているのにめまいがして目をつぶる。ぐわんぐわんと頭を誰かに掴まれて揺らされているようだった。
(啓子のSOSに気づけなかった)
違う、と私は頭を横に振る。
私は、気づいていたのに、気づかない振りをしたのだ。そして酷いあしらい方をしてしまった。
(私は……、なんてことをしてしまったんだろう)
回る視界の中、私の頭の中を埋め尽くしたのは、後悔だった。
翌朝、いつものように重たい気持ちと体に鞭打って登校した私は、教室に入るなりいつもと雰囲気が違うことに気づく。試験明けなのだからもっとみんな晴れやかでもいいのに、どことなく不穏な空気が漂っていた。
「真樹ちゃん! こっちこっち!」
由香が挨拶も無しに慌てた様子で私を手招きするので、鞄も置かずに彼女の机まで小走りに駆け寄る。隣には千尋が神妙な面持ちで立っていた。
「おはよう、どうしたの」
「ねぇ、とうとううちの学校から出たんだって!」
「ユートピアの意識不明者が!」
二人で代わりばんこに言葉を補い合って放たれた言葉に、私は心臓が飛び跳ねた。
「うそ」
「うそじゃないって。しかも私らと同じ一年だって!」
どくどくと心臓がうるさいほど拍動しているのに、手足からは血の気が引いていったかのように冷たくなっていく。
テレビでしか聞かなかったそれは、他人事だった。
それが、テレビのスクリーンを飛び出した瞬間、とても他人事には感じられなくなり、恐怖となって私に襲い掛かる。カバンの持ち手を無駄に持ち変えてぎゅっと握りしめた。
「何組の誰なの?」
啓子以外に知り合いがいない私が聞いたって、顔と名前が一致するわけないのだけど、好奇心から訊ねてしまう。
「えっと、誰だっけ。ねぇ、橘くん、さっき言ってた意識不明になった人の名前なんだっけ?」
斜め後ろの橘くんは、スマホから目を離さずに「あー」と口を開く。そして、衝撃の名を口にした。
「岩田啓子って人」
「――っ、うそでしょ⁉」
私の叫び声で、それまでざわついていた教室内が静まり返った。何事かとみんなの視線が私に集中する。橘くんは、突然の私の大声に口をぽかんと開けて目をぱちくりさせていた。
「って、俺に言われても……俺は一組のやつから聞いただけで……」
「ご、ごめん」
「真樹ちゃん、その子のこと知ってるの?」
(知ってるも何も、ずっと親友で……)
と考えてハッとする。啓子と最後に喋ったのはいつだっただろうか。
記憶をさかのぼらなければ、思い出せない程、関わりがなかった私と啓子の関係は、はたして親友と呼べるのだろうかと疑問が浮かんだ。
そんなこと、今はどうでもいい。それよりも、意識不明になったのが本当に啓子なのかどうか、私は自分で確かめなければ納得できない。
困惑する頭で、私は鞄を自分の机に放り投げると、走って教室を出て一組へと向かった。そうすれば、教室内は私のクラスよりもずっとどんよりとしていて、本当にこのクラスからそれが出たのだと知らされた気になる。
ざっと中を見渡したが、啓子の姿はなくて鼓動が早さを増す。でも、まだ登校していないだけかもしれないし、今日は休んでるだけかもしれない、と事実を認めたくない私の頭が否定材料を必死で探しては私に言い聞かせるように現れた。
「――ごめん、ちょっと通してー?」
そう言って私の横を通った名前も知らない女子生徒の腕を、私はとっさに掴んでいた。驚いてこちらを見た彼女に謝ってから、「い、岩田啓子が意識不明になったってホント⁉」とど直球を投げる。彼女は、一瞬目を泳がせてから、口を開いた。
「あー……うん、そうらしいよ。昨日の夜にクラスのLINEに流れてきたんだよね。で、さっき担任が来て、朝のHRでちゃんと説明するって言ってた」
「そ、そうなんだ……、ありがとう……」
決定打を打たれた私は、自然と彼女の腕を離していた。力が、入らなかった。がくがくと笑う膝をなんとか動かして後ずさると、私は踵を返して来た道を戻る。
けれども、自分のクラスより手前の階段を下って行った。とてもじゃないけど、授業を受けられる状態じゃなくて、私の足はそのまま保健室に向かっていた。本当はこのまま帰ってしまいたいくらいだ。
でも今は、こんな状態のまま由香や千尋がいる教室に戻りたくなかった。
やっとの思いで辿りついた保健室のドアノブには「不在」の札がかかっていた。もしかしたら、先生たちも対応に追われているのかもしれない。
私は、かまわずドアを開けて中に入るとそのままベッドに横になった。LINEで啓子にメッセージを送ろうと、ポケットからスマホを取り出した。
啓子のアイコンをタップして、メッセージ画面を出したはいいが、文字が打てなかった。
その画面は、私が既読スルーをした、あの時のままだったから。
「なんて送ればいいのよ……」
それに、啓子は意識不明で、スマホなんか見れるはずがないのだ。私の指は文字を打つのではなく電源ボタンを押した。
「なんで、啓子が……」
――意識不明になった人はみんな自殺願望があった人たちだって話。
真っ暗になったスマホの画面を呆然と眺める私の頭に頭に浮かんでくるのは、メンバーから聞いた噂話。
(もし、それが本当なら……啓子も、死にたいと思っていたの? だから、ユートピアで生きることを選んだ……?)
そもそも、啓子がネットゲームをやってるなんて知らなかったから、驚いた。そんな話題が出たことは一度もない。
と考えたところで、そもそも啓子とはここ最近ろくに顔も見てなければ会話も交わしていないのだから知らなくて当然だと思い直す。
一緒に登校したいと私を待っていた時も、教科書を借りに来た時も、やっぱり私に何か相談しようとしてたのだ。
(なのに、私は……)
全身から、血の気が引いていくのがわかった。視界が狭まり、横になっているのにめまいがして目をつぶる。ぐわんぐわんと頭を誰かに掴まれて揺らされているようだった。
(啓子のSOSに気づけなかった)
違う、と私は頭を横に振る。
私は、気づいていたのに、気づかない振りをしたのだ。そして酷いあしらい方をしてしまった。
(私は……、なんてことをしてしまったんだろう)
回る視界の中、私の頭の中を埋め尽くしたのは、後悔だった。