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 帰りの牛車では、弧月は当然のように美鶴を背中から抱くような形で座り支えていた。
 少々照れるが、赤子も抱いている状態なので支えてもらえるのは助かる。

「……良かったのか?」

 牛車が動き出し暫くして、弧月がぽつりと零した。
 問いの意図が分からずただ見上げると、寂し気な表情が見える。

「そなたは俺といて幸せだと言ってくれるが、本当に良かったのか?……俺が番の印をつけなければ普通の平民として幸せになれただろうに……」

 碧雲が語っていた番の話。
 美鶴は特に伝えていなかったが、誰かから聞いたのかもしれない。

「小夜から聞いた。……無意識とはいえ俺の番の印のせいで異能が現れたのだろう? そなたはそのせいで家族から蔑ろにされていたのだろう?……俺のせいで――」
「弧月様」

 無礼ではあるが、弧月の言葉を途中で止めた。
 だが仕方ないだろう。それ以上を口にさせるわけにはいかぬのだから。

「確かに、異能があったから家族からは(いと)われておりました。異能がなければと何度も思いました」

 その恨みは未だ美鶴の中にある。
 おそらく完全に消え去ることはないだろう。
 だが。

「でも、弧月様はちゃんと見つけて下さったではありませんか。無意識につけた印で、どこの誰が番になっているのかなど分からないというのに」

 しかも弧月は番の印の存在を知らなかったのだ。
 異能がその印の証と知らぬのに、ちゃんと見つけてくれた。

「私を見つけ、愛を教えてくださいました。そして、家族まで与えて下さったではありませんか」

 紅玉の瞳から赤子の寝顔へと視線を移す。
 安らかに眠る子の目は鬼の証である金だ。だが、髪は父親譲りなのか弧月と同じ白金である。
 柔らかな、口づけをしたくなるような頬を指先でちょいとつつき、幸せから自然と笑みが零れる。

「私を幸せにしてくださったのは弧月様です。“弧月様のせい”ではありません“弧月様のおかげ”で私は今幸せなのです」

 大事なのは今とこれからの未来なのだと美鶴は告げる。
 だから気に病まないで欲しい。
 気にせず、これからも自分と子を愛して欲しい。
 そんな願いを込めてまた美しい紅玉の目に視線を戻した。

 赤い瞳を縁取る睫毛が震え、喜びが込められた柔らかな表情が浮かぶ。
 眩しそうに細められた目の奥に映るのは憧憬の思い。

「美鶴は、強いな。……愛らしいとばかり思っていたが、強いそなたも愛おしい」

 弧月の大きな手が美鶴の髪を撫で、頬を包む。

「番の印を刻んだのが無意識だったとしても、きっとそなたの魂に惹かれ選んでいたのだろう。愛しい運命の相手を……」

 愛を囁きながら、白磁の肌がゆっくりと近付く。
 目を閉じると、唇に柔らかいものが触れた。

 愛しさと幸福を胸に宿しながら、そういえば口づけの仕方も弧月に教わったのだったなと思い出す。

 唇が離れ目を開くと、弧月は微笑みながら「口づけも上手くなったな」と呟いた。
 自分と同じように初めてした口づけを思い出していたのだろう。

「そ、そうですか?」

 言葉を返しながらなにやら恥ずかしくなった美鶴は、照れ隠しのように赤子にまた視線を移した。
 すると美鶴の頬にあった手が移動し、赤子の頭を壊れ物を扱うように優しく撫でる。
 その指先が小さな角に触れた。

「それにそなたはこんなに立派な(おのこ)を産んでくれた。かわいい我が子……鬼の血を強く受け継いだこの子が生まれたことで、小うるさい者達も静かになった。本当に喜びしかない」

 襲撃してきたような過激派はあのとき捕えることが出来たが、まだ不満をくすぶらせている輩はいたらしい。
 だが、生まれた子が鬼だったことで弧月には確かに鬼の血が入っているのだと本当の意味で理解し大人しくなったのだとか。
 小夜や時雨から伝え聞いた話を思い出して、凄いなと思った。

 泣くか眠るかしか出来ない赤子だというのに、生まれてきただけで父を助けるとは。
 自慢の我が子である。

 だが、美鶴にとっては種族の問題など大した意味はない。

「ですが私は妖狐の子でも嬉しいですよ? もふもふの耳としっぽのある赤子も可愛らしいでしょうし」
「……では二人目も作るか? 次は妖狐の子が生まれるかも知れぬ」
「え?」

 どんな子でも可愛いという話をしたのに、斜め上の言葉が返って来て少々驚く。
 だが見上げた顔は子供のように無邪気で幸せそうで……。

(この方の子ならばまた産みたい)

 そう素直に思えた。

「次は娘でもいいな。もちろん息子でも嬉しいが」
「ふふっ」

 楽し気に語る弧月は本当に嬉しそうで、美鶴は思わず笑ってしまう。

「そうですね、弧月様が望まれるなら何人でも。あなたの子を産めるのは私だけなのですから」

 産みの苦しみや、その後の体の回復など辛いことはある。
 だが、その後の幸せが辛さを上回るのだ。
 そう思わせてくれる弧月の子ならば、何人でも産みたいと思った。

「……それは、凄い殺し文句だな?」

 意表を突かれた様に軽く驚いた弧月は、また美鶴の髪を撫で流れるように顎を捕らえる。

「可愛い我が妻……愛している、美鶴」
「私も愛しております、弧月様」

 愛の言葉を紡いだ唇が触れ合う。
 その口づけは、未来の幸せを守るための誓いの様であった。


【妖帝と結ぶは最愛の契り】 了