なんで誘ってくれたのかはわからないままクリスマスイブを迎えた。
吐いた息が、白くほどけて夜の空気に溶けていく。
指先の感覚が薄れて、スマホを持つ手がわずかに震えた。
手袋、してくればよかった。
「こんにちは」
「こんにちは! まってたよ」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ痛む。
いつもと変わらない笑顔。
それだけで、安心してしまう自分がいた。
頭の中はまだ整理できていないのに。
それでも、せっかくなら、たのしみたい。
石畳の道に、抹茶の甘い香りがふわりと漂う。
同じ場所のはずなのに、隣にいる人が違うだけで、見える世界がまるで違った。
こんなにも、世界は変わるんだと知る。
「じゃあ、いこか」
一歩、踏み出そうとして止まった。
あれ。
視線を落とすと、右手が握られていた。
「え、あ、うん……?」
遅れて素っ頓狂な声を出してしまった。
彼の左手は、思っていたよりもあたたかくて。
それだけで、期待してしまいそうになる。
ーー意味なんかあるわけないのに。
そう言い聞かせながらも、気づけば口元が少し緩んでいた。
「なにこれ、おいしい!」
「それな!」
濃い抹茶のアイスは、ほんの少し苦くて、でも甘かった。
湯気の立つ抹茶ラテ、串に刺さった団子、見慣れない抹茶のたこ焼き。
どれもはじめてで。
どれも、ふたりで笑いながら半分こした。
石畳を歩く足音と、人のざわめき。
その中で交わす何気ない会話が、やけに愛おしかった。
――デートじゃないのに。
旅館に入ると、空気がすっと静かに変わった。
畳の匂い。
障子越しのやわらかい光。
窓の外では、水面がゆらゆらと揺れている。
遠くでは、鳥が羽ばたく気配がした。
落ち着く空間だった。
だからこそ、胸のざわめきだけが、やけに浮き上がる。
露天風呂に入ってる間、ずっと考えていた。
なんで誘ってくれたのか。
この時間に、意味はあるのか。
少し長く入りすぎたのか、足元がふわついた。
視界の端が白く滲む。
「らん? 聞いてる?」
声が届いたとき、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
いつの間にか部屋にいて、そこまでの記憶が曖昧だった。
「大丈夫? のぼせた?」
その優しい声に、なにか言おうとして。
言葉より先に、涙が落ちた。
落ちた瞬間、もう止まらなかった。
「どうした?」
近くなる声。
あたたかい気配。
この人はいつだって優しい。
でも、それはわたしだけじゃない。
「……やだった」
喉がうまく動かない。
「ほんとは……ずっと、別れたくなんか……なかった」
言った瞬間、自分でも驚いた。
こんなふうに気持ちを言葉にしたのは、はじめてだった。
「言ってくれてありがとう。……ごめんな」
その言葉で、余計に涙は溢れる。
優しいから、苦しい。
期待なんて、したくないのに。
気づけば、彼の腕の中で泣いていた。
背中を撫でる手は、変わらずあたたかくて。
それが余計に、離れられなくなる。
「……ずっと一緒にいてよ」
言ったしまったあと、すぐに後悔した。
彼はなにも言わなかった。
ただ、静かに背中を撫で続けていた。
次の日。
神社の空気は、冷たくて澄んでいた。
砂利を踏む音が、やけに響く。
遠くで鳴る鈴の音が、ゆっくりと揺れている。
手を合わせて、目を閉じる。
忘れられますように。
そう願いかけて、やめた。
目を開けて、横を見ると、彼はまだ目を閉じていた。
「なにを願ったの?」
「言ったら叶わなくなるんやで」
少しだけ笑って、教えてくれなかった。
「それもそうだね」
これ以上、踏み込むのはやめた。
わたしに関係ある願いじゃないことくらい、わかっていたから。
「最近は他の男子と話してる?」
不意に投げられた言葉に、足が一瞬止まる。
「あ、うん。太陽くんっていう子と……」
話しているうちに、彼の表情が少しずつ曇っていくのがわかった。
「……そっか」
それ以上、なにも言わなかった。
昨日は繋いがれていた手も、今日はなかった。
「らん。あのさ……」
改札の前で、呼び止められる。
その声を聞いた瞬間、わかってしまった。
――あ、これ、終わっていく。
「あー昨日はなんかごめんね! 迷惑かけちゃって」
あはは、と先に笑って誤魔化す。
言われる前に、終わらせたかった。
「俺のほうこそ、ごめ……」
「ちがうよ!」
かぶせるように言う。
「誘ってくれてうれしかった。ありがとう、たのしかったよ」
一言、息を吸う。
「わたしはいまでもいっくんのこと想ってるけど、復縁したいとか言わないよ。安心してね」
彼は、なにも言えないような表情で見入っていた。
「じゃあ、また!」
それだけ言って、背を向ける。
「まって!」
腕を掴まれる。
「ゆらんの気持ちは正直言ってめちゃくちゃうれしいよ」
少し間が空いて。
「でも……クリスマス誘ったのは、好きの感情関係なく、だれかと過ごすならゆらんがいいなと思ったから」
やっぱり。わかってたのに。
特別じゃない。
ただ、ちょうどよかっただけ。
「でも、昨日のことはごめん」
「ううん」
精一杯愛想笑いをした。
「じゃあ、また」
振り返らずに歩き出す。
新幹線の中。
イヤホンはつけたまま、音楽は流さなかった。
走る音も、人の声も、なにも入ってこない。
ただ、静かだった。
もう戻れないことだけは、ちゃんとわかっていた。



