絃が手に取ったのは、壁に仰々しく飾り掛けてあった〝破魔の弓〟だ。
 月代家から持ってきたそれは、絃にとってはお守りにも等しいものである。弓なのに揃いの弓矢はないが、そもそもこれは、はじめから本体しかない代物だった。

(この弓は、兄さまがわたしのために作ってくださったものだから……きっと)

 両手にずっしりとかかる重みに、一瞬、迷いと躊躇いが生じた。
 だがすぐにそれを振り払い、絃は駆け足で士琉のもとへ戻る。
 さきほど脱ぎ捨てた草履など目もくれず裸足のまま外に飛び出せば、結界の効果が及ばない大門の外で、士琉とお鈴が激しい攻防を繰り広げていた。
 しかし、攻撃できない士琉はやはり受け止めるばかりだ。決着のつきようがない。

(っ、わたしにできるかはわからないけれど)

 大門の外に踏み出したとき、お鈴が絃の存在に気がついた。
 やはり狙いは絃なのだろうか。絶えず振りかざしていた士琉への攻撃をやめ、またも絃に向かってこようとする。
 だが、すぐに士琉がお鈴の前に立ち塞がった。

「こら。君の相手は俺だ、お鈴」

 掬い上げるように片腕をお鈴の腹に回した士琉は、そのまま思いきり宙にお鈴を放り投げた。絃はぎょっとして目を剥いたが、今のお鈴なら問題なく着地すると踏んでのことだろう。実際にお鈴は、着地前に空中で体勢を立て直そうとする。
 その一瞬の隙を、絃は見逃さなかった。

(──わたしの〝いと〟は、破魔の〝いと〟)

 矢はつがえないまま、布帛(ふはく)を巻いた弓柄(ゆづか)を握り、弦を引く。目には見えない、しかし絃には見えている矢先を、宙でわずかに目を見開いたお鈴へ向けた。
 大切な者を射るような感覚に、胸が痛くなる。

 けれども、迷いはしない。
 自分に向けられている光のない瞳のずっと奥に、絃の知るお鈴がいるから。
 一本の矢を己の霊力で精製するように意識する。体内を巡る溢れんばかりの霊力を両手に集め定めれば、不思議と視界からはわずかの曇りもなくなっていた。

 力は均等に、ぶれは禁物。
 対象へ照準を定める。放つのは、一瞬。

 ビィィィィィン!

 弦が強く弾かれる音が鳴り響いた。透明な矢として精製された絃の霊力が、貫通した空気を震撼させ、一直線に光線を描いて飛んでいく。
 実体はない。
 だが、それがお鈴の身体を貫いたのを、絃は確かに見届ける。
 そして同時に、お鈴のなかに蔓延っていた陰の気が、絃の霊力によって浄化されたのも肌で感じていた。
 暗黙知ではあれど、それを証明するようにお鈴は気を失い、がくんと脱力する。そのまま空中から落ちてきたお鈴を、下方で士琉が受け止めた。
 ──絃が立っていることができたのは、そこまでだった。

(ごめんなさい、士琉さま……)

 ほっとしたのもつかの間、全身から力が抜け落ち、急激に意識が彼方へ遠のいた。
 視界が深淵に染まる。深く、深く、落ちていく。
 そのまま抗いきれない闇の底へどっぷりと沈みながら、絃は思う。

 ああ、これが自分の本当の〝宿命〟なのかもしれない、と。