子猫をぎゅっと抱きしめた直後、辺りに吹き荒れた激風に絃の髪が勢いよく舞い上がった。着物の裾がはためき、目を開けていることもできず、絃は悲鳴を呑み込む。
周囲も異常事態が起こっていることに気がついたのだろう。なんだなんだと通りが騒然とし始めるなか、人々を掻き分けて絃の方へ走ってきた者がいた。
「ああああ! 若旦那の奥方……い、絃さまだっけか!」
「えっ? く、九折さん!」
「大丈夫か!? なにが起きてんだ、こりゃあ!」
九折の姿に、そういえば団子屋の近くまで来ていたことを思い出す。見知った存在に思わず泣きそうになるけれど、悠長にしている場合ではない。
「九折さま! 申し訳ありませんが、周囲の方々を避難させてください! お鈴はどうも自我を失っているようなので、近くにいては危険です……っ!」
「ひ、避難はわかったが、あんたはどうする!?」
「わたしはお鈴を引きつけます。あと、すみませんがこの子をお願いします!」
抱えていた子猫を押しつける形で九折へと託し、絃は自分を引き留める声に「大丈夫です!」とだけ答えて駆け出した。草履の紐が足指のあいだに強く擦れて皮が剥がれるような痛みが走るけれど、構っている余裕はない。
向かうは士琉の屋敷の方向だ。
この通りでもとくに外れた角地なら、ここよりは人も障害物も少ない。被害を最小限で済ませるには、とにかくここから離れなければ。
(どうして……どうして……っ!)
お鈴が自分を攻撃してきたことの衝撃は、確かに大きい。だが、それよりももっと絃の心を苦しめたのは、自分のせいかもしれないという疑念だった。
(わたしが子猫に触れた瞬間、憑魔が子猫の陰から這い出てきた。それに、あの静電気に弾かれるような感じは、トメさんのときと同じよね)
そこから導き出される可能性は、ある程度絞られる。
なかでも、もっとも有力なのは、絃がなにかしらの力を発揮して憑魔を体から弾き出した説だ。この場合の力は、おそらく絃が有する〝霊力〟だろう。
しかしながら、安易にそうだと考えるにはあまりに早計だった。なにせ絃は、生まれてこの方、この〝霊力〟というものを使ったことがないのだから。
(わからない……。点と点が、うまく繋がらない)
それでも必死に思考を巡らせるうちに、いつかの過去、兄の弓彦から告げられたとある言葉を思い出した。
『絃も私たちと同じように霊力を持っているんだよ。継叉ではなくても、月代の血を継いでいる証拠になるほどにはね』
祓魔師に必要不可欠な力──ただし、妖魔を引きつけてしまう体質から祓魔師にはなれない絃には、持て余す力。
一度たりとも行使する機会はないまま、身体の奥底に眠らせているものだ。それを自分が有しているという事実こそ知っていても、むしろこれがあるせいで余計に己が惨めに感じられることすらあって、正直、目を向けないようにしていた。
けれども。
(霊力は、陰に属するモノを祓う力がある)
だとすれば、憑魔が妖魔に似たなにか──関連種だと仮定したとき、絃の霊力に触れたことで身体から追い出すことができた、と考えられはしないだろうか。
(だけど、祓えはしなかったのよね……。祓魔師が用いる祓札を介していないから、というよりは、憑魔自体が霊力にある程度の耐性があると考える方が自然? ううん、そもそもわたしが霊力をうまく扱えていないからかもしれないけど)
触れたのが霊力の扱いに長けた弓彦や燈矢だったら、あの瞬間に憑魔を祓うことができていた、という可能性はおおいにある。
ある、のだが。