けれど、必要以上に話しかけてくることも、過度に(かしこ)まることもない。士琉と絃を比べ見たあとは、なんとも微笑ましそうに見守ってくれている気がした。

「士琉さま、なんだかみなさんの視線が……」

「おっ、冷泉の若旦那じゃねえか!」

 そのとき、〝だんご屋九折〟と書かれた暖簾を上げ、中年の男が顔を出した。ふくよかな体躯で下膨れの頬と糸目が印象的な彼は、士琉を見てへらっと笑う。

「九折殿。繁盛しているか」

 士琉は戸惑う絃の手を引きながら、九折と呼んだ男へ歩み寄った。語り口からして知り合いなのだろう。九折の方も砕けた態度で応じる。

「へえ、それがあんまりでなあ」

「というと?」

「ちょいと前に、あっちの繁盛店で小火騒ぎがあったろう? それからここらの人がみんな大通りに流れちまってよお。見ての通り、だーれも来てくれやしねえ。たまに通りの子どもが食ってくくらいだな」

 なるほど、と士琉は納得を示す。

「いつにも増して人数が少ないのはそれが理由か」

「世知辛いったらありゃしねえよ。まあ、それは置いといて──若旦那? もしやもなにもねえだろうが、お隣のお嬢さんは噂の奥方かい?」

 にやにやと口端を緩めながら尋ねてきた九折と、ばっちり目が合った。
 無意識に士琉の影に隠れていた絃は、はっとして前へ進み出る。その際に士琉と繋いでいた手は離れたが、ひとまず構わずに姿勢を正した。

「お、お初にお目にかかります。絃、と申します」

 正式に婚姻を結んでいない以上、月代と冷泉のどちらの性を名乗るべきか判断がつかなかった。とっさに名だけ伝えたものの、不安になって横目で士琉を見ると、大丈夫だと言わんばかりに頷きが返ってくる。

(よかった……大丈夫そう)

 ほっと胸を撫で下ろして、絃は小さく微笑んだ。

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。九折さん」

「はは、そんなご丁寧にされちゃあ新鮮ですね。このへんのもんは、みんな若旦那が子どもの頃から知ってましてね。本来はこんな口きいちゃあいけない相手だが、気軽にやらせてもらってんです。むしろ、そっちの方がいいって言うんだ」

「身分差など益体(やくたい)もないことだからな。それに、よく来るだんご屋に仰々しく接せられても堅苦しくて美味く食えなくなるだろう」

 なにかと高貴な肩書きを持つ士琉だ。
 冷泉の者としても、軍士としても、身分的にはかなり上の方に位置する。本来なら庶民が気軽に口をきけるような相手ではない。
 しかし、なんとも士琉らしい理由だと絃は思う。
 士琉が誰にでも分け隔てなく接するのは、きっと普段からこうして民と距離を縮めているから。近づき、寄り添い、彼らの立場で物事を感受したうえでの言動はやはり信頼に繋がるのだ。

(士琉さまは、それが当たり前にできてしまうからすごい)

 さきほどから感じていた、すれ違う民より向けられる温かい視線からも、どれだけ士琉がここで受け入れられているかが伝わってくる。
 胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、絃は緊張を解いた。

「……にしても、たまげるほどべっぴんさんだなあ。若旦那も隅に置けねえ」

「そうだろう。絃ほど美しい娘は早々いない」

「ははっ、さっそく惚気(のろけ)てやらあ」

 九折は底抜けに明るく笑うと、店先の長椅子に目を遣った。

「で、見ての通り席は空いてるが。いつもの食ってくか?」

「せっかくだから立ち寄らせてもらおう。絃、団子は好きか?」

「えっ」

「嫌いか?」