絃が身につけているのは月代家から持参した着物ではなく、さきほど士琉が贈ってくれたものだ。なんでも、魔除けとされる特別な糸で紡がれたものだという。
青から紫色に変化する美しい織り方で、控えめに咲く桔梗柄がよく映えている。
合わせる羽織りも透かしが慎み深い。まるで滑らかな肌触りからしても、繊細かつ高尚な意匠であることは間違いなかった。
「旦那さまって、こういう色選びはお上手ですよね」
「本当に。士琉さま自身も、いつも素敵なお召し物だものね」
「まあ、あの漆黒尽くしの格好はどうかと思いますけど」
「──あれも一応、仕事着なんだがな」
ふいに割り込んできた声に驚いて、絃は振り向く。
「し、士琉さま」
苦笑を滲ませた士琉が、こちらに歩いてきていた。
おそらく気づいていたのだろう。お鈴は士琉を一瞥するだけに留め、すぐに絃に向き直る。しかしその顔は、にまにまとだらしなく緩んでいた。
「我らの軍服は白くて目立つからな。軍士であることを隠したいときや、身を忍ばせたい夜間はあの黒い外套を纏うんだ。好きで着ているんじゃないぞ」
「だそうですよ、お嬢さま。今日は真っ黒けじゃなくてよかったですね」
「わ、わたしはあの格好でも大丈夫だけれど……」
外出用に着替えたのだろう。朝に会ったときとは士琉の装いが異なっていた。
当然、いつも仕事へ向かう際に着ていく軍服でもない。
(どうしてかしら……。士琉さまが、なんだか光り輝いて見える)
士琉が身につけていたのは、青紺と白の絶妙な色合いが美麗な着物だった。
流水柄が涼やかな一方、腰を締める帯は金箔が張られている。寒さ対策のための羽織も白地だが、裾の辺りだけ波打ち際のような青に染まっていた。
軍服姿のときもよく思うけれど、士琉は白地の服装がとても似合う。白銅色の髪と瑠璃色の瞳がよく映えるうえ、彼の泰然とした雅な雰囲気に調和するのだろう。
それにしても眩しくて、絃はつい直視できずに俯く。
「絃」
だが、士琉の手が頬に添えられ、上向きに顔を導かれた。
(あ、あれ……なにかいつもと)
宙で視線が絡み合い、鼓動が脈打つ。まるで声を奪われてしまったかのように言葉を紡げずにいると、士琉は端麗な相貌を柔らげ微笑んだ。
「やはり絃は、桔梗柄がよく似合うな。綺麗だ」
ふ、と空気が緩む。
「っ……そ、れは士琉さまです……」
「俺?」
「その、とても、素敵です。軍服姿とはまた違って……あの、素敵です」
士琉の清艶な色香に呑まれてしまい、大した言葉が出てこない。しどろもどろに視線を逸らして彷徨わせると、士琉は困ったように眦(まなじり)を下げる。
「俺は君と並ぶ男として相応しくなるようにと足掻いただけだ。どうしたって君の方に華がある。正直、あまり人目に晒したくないと思ってしまうほどにはな」
絃の頬に触れていた手を下ろした士琉は、そのまま絃が胸の前で握りしめていた指先をやんわり解く。大きな手に包み込まれたところで、気づいた。
(あ……そういえば、ちゃんと体温がわかる)
さきほど頬に触れられたときに感じた違和感は、きっとこれだ。
いつもは革手袋に阻まれて無機質な感触と冷たさが伝わるが、今日はそれがない。
絃よりも、ふたまわりは大きな手。ほんのりと温かいそれは、男性らしく無骨ながらしなやかさもあり、しかし手のひらの表面は硬い。仕事をしている者の手だ。
そして、気づく。
「士琉さま、この傷……」