だが、おそらく今の話を聞いていたのだろう。ちょうど厨から朝食を運んできたお鈴が、きらきらと目を輝かせていた。絃に気を遣っているのか、なにかを言うわけではないけれど、そこには月華への興味が爛々と渦巻いている。
(わたしに付き合って、お鈴もずっと家にいるものね……)
絃はたっぷりと数十秒ほど黙り込んだあと、おずおずと遠慮がちに士琉を見つめた。
「あの……お鈴も、一緒に行ってもよろしいでしょうか」
「もとよりそのつもりだ」
お鈴は「えっ!?」と驚愕と歓喜が入り混じったような声を上げ、しかしすぐにはっとしたのか、ぶんぶんと首を横に振る。
「お、お鈴はお留守番してます! おふたりの邪魔をしたくないですし!」
「いや、絃は外の世界に慣れていないからな。お鈴がいた方が安心できるだろう」
「ううぅ、そうかも、ですけど……」
行きたい気持ちと邪魔をしたくない気持ちがせめぎ合っているのか、忙しなく左右上下に視線を泳がせるお鈴を見て、絃は覚悟を決めた。
「お鈴が一緒なら心強いし、大丈夫な気がするの。だめ、かしら」
「だめじゃないです! 行きますっ!!」
なかば反射的に答えてしまったらしいお鈴は、唸りながら「でもっ」と続けた。
「お鈴は隠れてついていきますから。これは絶対です!」
よほど士琉と絃の邪魔をしたくないのだろう。あまりにも鬼気迫る勢いで言い募られ、思わず士琉と顔を見合わせながら苦笑する。
「ありがとう、お鈴」
「では朝餉を終え、準備ができたら出立しよう。急いでいるわけではないから、ふたりともゆっくり支度をするといい」
そう言って穏やかな笑みを浮かべた士琉に、絃とお鈴は揃って頷く。
こういうところが仲間内からも慕われる理由なのだろうと感じ入りながら、絃はふたたび朝餉の用意に取り掛かる。
胸中はそわそわと落ち着かなかったが、久しぶりに士琉と共に過ごす朝の時間はとても平和で、不思議と外への恐怖は和らいでいた。
◇
観音開きの三面鏡の前に座した絃は、零れそうになったため息を呑み込んだ。
鏡に映る自分は、ひどく憂いをまぶした表情に染まっていた。
お鈴には外で待っていてもらっているため部屋には絃ひとりだが、それが余計に名状し難い不安を加速させているのだろう。さきほどまでは大丈夫かもしれないと思っていたのに、直前になってまた怖じ気づいてしまっている。
(でも、お忙しい士琉さまと一緒に外出できるなんて、めったにない機会だもの。せっかく誘っていただいたのだし、暗い顔はしてちゃだめよね)
ただ、どうしてもあの日のことが脳裏を過ってしまう。
十年前も、まさかあんなことになるとは思っていなかった。子どものちょっとした悪戯同然に、軽い気持ちで言いつけを破り屋敷を抜け出したのだ。
今はあのときとは違って〝悪いことをする〟わけではないし、己の身がどれほど危険なのかも理解しているけれど。
だからこそ、結界を出るのは勇気が必要だった。
「大丈夫、きっと」
衣服の上から胸に手を当てて、自分に言い聞かせるように呟く。
身体に貼った護符が剥がれていないか再度確認してから私室を後にし、絃はお鈴のもとへ向かった。
お鈴は、すでに準備を終え玄関先でそわそわと待ってくれていた、廊下を歩いてきた絃に気づくと、わかりやすく顔を華やがせて駆け寄ってくる。
「お嬢さま、お綺麗です! そのお着物、とっても似合ってます」
「そ、そう? ありがとう」