(前代は溢れた妖魔を対応するために、妖魔境へひとり身を投じた。そして絃の母は裏山で発見した子どもたちを護るためにその場に残り……──)

 考えただけで吐き気を催しそうになるほど、悪夢の連続だった。

「前代も奥方も、郷では群を抜いてお強かったはずです。でも、引き寄せられた妖魔の数は尋常ではなく……単独で相手をするには分が悪かったのだろう、と弓彦さまが以前仰られていました。まあ、お鈴は途中から意識を失っていて、最後はいったいどうなったのか覚えていないんですけど」

 ──前代は、翌朝になっても帰らなかったらしい。
 (むくろ)すらも見つかっていないことから、妖魔に喰い尽くされたのだろうと判断されたと聞いている。
 奥方の方は、その場で死亡が確認された。最終的に郷は妖魔から護られたわけだが、その損失は極めて大きなものとなってしまった。

「……絃が夜を怖いと感じているのは、やはり千桔梗の悪夢が原因か」

「お鈴も直接聞いたことはないですけど、そうだと思います。その日を境に、お嬢さまは夜に眠ることができなくなってしまったので」

「朝も昼も夜も、ずっと起きているのか?」

「昼に少しだけ仮眠を取ったり、恐れと戦いながら微睡むくらいです。わずかな時間の睡眠を繋ぎ合わせて、どうにか……」

 自らの身体を抱きしめるように震えたお鈴は、ゆっくりと士琉の方を向いた。
 そこに浮かぶ恐怖を感じ取った士琉は、両目を(すが)めて見つめ返す。

「旦那さま。お鈴は、もうずっと心配なんです。お嬢さまがふとした瞬間に消えてしまいそうで、不安なんです」

「……そうだな。俺もそれはずっと感じている」

「お鈴のせいであんなことになってしまって……。だから、お嬢さまのことを護りたいんです。心も身体も全部。お鈴にとって、お嬢さまはすべてだから」

 そうか、と士琉は零れそうになったため息を呑み込んだ。
 お鈴がなぜ絃にそれほどまで心身を捧げているのか不思議だったが、そういう背景があるなら納得できる。きっと、そうならざるを得なかったのだ。

(その気持ちが嫌というほどわかってしまうのは、存外つらいものだな)

 しかし、士琉はともかく、十五の少女が背負うには無慈悲な現実だ。
 彼女もまた、絃と同じように自分を責めて生きてきたのだろう。お鈴の献身がそうした過去から生まれたのだと思うと、かける言葉も出てこない。
 (いびつ)だ。あまりにも。こちらが悲しくなるくらいに。されど、そうして寄り添えているから保たれるものもあるのかもしれないと、士琉は思う。

「でも、あの悪夢の当事者であるお鈴では、どうしようもないこともあって」

「ん?」

「どんなにお嬢さまを愛していても、お嬢さまは受け入れてくださらないんです。愛される資格なんてないのだと、お鈴たちから距離を取ってしまう。だけど、旦那さまの前では、少しだけお心を開かれているような気がして」

 思いもよらない言葉に士琉が目を見開くと、お鈴はふにゃりと泣き笑う。

「本当は、お鈴が救いたかったけど……お嬢さまが幸せになってくれるなら手段は問いません。旦那さま、どうかお嬢さまを救ってください」

「っ、お鈴……」

「お嬢さまは、絶対に幸せにならなきゃいけない方なんです。だって、もう十分でしょう? 罪があるとすればお鈴たちの方なのに、お嬢さまは十年もこもって、罪を一身に引き受けて……全部、自分が悪いって。お鈴たちを、愛してくれた」

 ぽろ、ぽろ、と。お鈴の瞳からとめどなく涙が流れ出す。あまりにも哀しさが満ちた笑みに胸が締めつけられた。