「そんな……士琉さまが謝ることではございません。事情はちゃんと説明していただきましたし。わたしより、トメさんは大丈夫ですか?」

「ああ。意識も戻ったし、身体に異常もない。一連の憑魔事件に片がつくまではこちらで保護することになるが、無論、丁重に扱うと約束する。心配しないでくれ」

 よかった、と絃は胸を撫で下ろす。
 トメの身柄はしばらく継叉特務隊が預かる形になる──と士琉から説明は受けていたものの、やはり気がかりだったのだ。
 会えなくなるのは淋しいけれど、士琉のところならば絃も安心できる。

「……士琉さまは、ご無理をなさっていませんか」

「俺か?」

「はい。毎日遅くまでお仕事をされていますし、朝も早いでしょう? お節介かもしれませんが、ちゃんとお休みになれているのか心配です」

 抱擁される温もりに、頭がぼうっとしてきたせいだろうか。いつもなら鬱陶しく思われないよう口にしないことを、つい訊いてしまう。
 すると士琉は、絃の頭を撫でていた手を下ろし、少しだけ強く絃を抱きしめた。

「俺は、大丈夫だ。絃がいれば」

「わたし、ですか?」

「ああ。絃がいるから頑張れる。いつだって、ずっと」

 髪越しに落とされた、優しい感触。
 その正体がなにか──までは、残念ながらもう頭が働かなかった。
 ただ、すぐそばで紡がれる士琉の低い声はとても心地がよくて、いつまでもこのまま聞いていたいと思う。できれば、抱きしめられたまま。
 そんなふうに思うことが、また、不思議で。
 けれど、自分のような者が思ってしまってはいけないような気もして。

(最近のわたしは、おかしい……)

 耐えがたいほど重くなってきた瞼を必死に開けようと身じろぐと、士琉が宥めるように絃の背中を軽くぽんぽんと叩きながら「絃」と名を呼んだ。

「眠れそうなら、眠っていいんだぞ」

「嫌、なんです……眠りたく、ない」

「……なにか理由が?」

 問われ、絃はこくんと頷く。

「怖い、から」

 夜になると毎日、月を見ていた。
 あの離れで、お守りの弓を腕に抱えながら、窓辺で月を見上げていた。
 結界に護られながら、手の届かない月を見つめていた。

(いつも……ひとりで)

 月代の──千桔梗の夜は、ともすれば昼間よりも喧騒に包まれる。
 灯が点り、音が生まれ、千桔梗の花々が闇を弾く。そこには決して静寂などない。
 まるで死者が息を吹き返すかのごとく、世界が動き出すのだ。

 なにしろ月代一族は、夜に生きる者たちだから。

 だけれど、絃は。
 絃だけは、違った。そうではなかった。
 味方であるはずの夜は、しかし絃を、絃だけを拒絶する。
 世界から、絃という異物を取り除く。

「わたしは、夜が怖いのです」

 ──〝夜〟。

 絃にとってそれはいつだって〝孤独〟と読むものだった。



 腕のなかで眠ってしまった絃は、まるで幼子のようなあどけなさがあった。
 もともと年のわりに童顔であることもあるのだろう。小さな寝息を立てて士琉の胸に擦り寄ってくるのが愛しくて、思わずふっと笑みが零れる。
 ようやく絃が眠っている姿を見られて士琉は安堵していた。どれほど夜が更け切った頃に帰宅しても絃は起きていたから、ずっと心配していたのだ。

(しかし、そうか。眠りたくない理由があるんだな)

 起こさぬよう慎重に立ち上がり、敷かれていた褥に絃をそっと横たえる。
 あのまま朝まで抱いていてもよかったが、すでに夜も深い。
 士琉とて仮眠をしておかねば、明日に響いてしまう。
 絃もあの体勢よりは、褥の方が深く眠れるだろう。

「おやすみ。絃」