放火などするはずのないトメに逮捕状が出たように、操られた人間は犠牲者でありながら加害者にもなってしまう。いくら憑魔に操られているとはいえ、実行犯である以上は多少なりとも責任が問われるのだ。現在はまだ憑魔関連の事件で死者は出ていないというが、きっとそれも時間の問題だろう。

 そこまで考えた絃は、一度無理やり思考を打ち切って立ち上がる。
 箪笥(たんす)のいちばん下の引き出しを開け、奥に仕舞ってある桐箱をそっと取り出した。
 このなかには、絃が大事に保管している文が入っている。
 千桔梗にいた頃、毎月匿名で送られてきていたあの文だ。こちらに来てからも、ときおり心がざわついて仕方のないときに読み返して元気をもらっていた。

『ようやく約束を果たせる』

 やはりこの最後の文に綴られた内容だけはわからないけれど、わからなくともいいのだ。自分に宛てられた文。絃に向けて、絃のためにわざわざ文を送ってくれる相手がいるというその事実に心を救われていた。
 たとえ差出人が不明でも、この文だけは不思議と素直に受け入れられたのだ。

(この文を送ってくださっていた方が、どうか幸福でありますように)

 最後の文に挟まれていた千桔梗の花びらを優しく手のひらに握りしめ、絃は静かに祈りを捧げる。
 千桔梗の別名は、願いの花。
 千年という果てしなく長い歳月を超えて想いが届くとされる花だ。強く願えば、心から祈れば、もしかしたら届くかもしれない。
 たとえ会えなくともいいから、せめて感謝だけは伝えたかった。文の数だけ救われてきたのだと、文があったから夜を乗り越えられてきたのだと伝えたかった。
 そうしてひとしきり願い終えた、そのとき。

「──絃?」

 ふいに廊下側の戸襖の向こうから聞こえてきた声に、油断していた絃はびくっと肩を跳ね上げた。控えめで押さえた声だが、夜の静寂のなかではよく響く。
 絃は慌てて立ち上がり、急ぎ戸襖を開けた。そこには声の主である士琉が心配そうな面持ちで立っており、瞬く間に顔面から血の気が引いていく。
 よほど集中していたのだろうか。帰宅していたことにまったく気づけなかった。

「し、士琉さま、おかえりなさいませ。申し訳ございません、お出迎えもせず……」

「気にするな。それより、まだ起きていたのか」

「ええと、はい。あまり眠たくなくて」

 眉尻を下げて微笑を浮かべれば、士琉は困ったように片眉を上げた。
 そしてちらりと部屋のなかへ目を遣り、不思議そうに首を傾げる。
 そういえば文を床に散らかしたままであったことを思い出した絃は、一瞬迷いながらも「あの」と切り出した。

「よかったら、少しだけわたしの部屋で休んでいかれませんか?」

「っ……いや、悪いだろう」

「大丈夫ですよ。少々散らかってますけど、すぐに片づけますので」

 今日はもう帰ってこないとばかり思っていたからだろうか。士琉の顔を見たら、不安に覆い尽くされていた心が少しだけ和らいだ気がした。

「どうぞお入りになってください」

 遠慮する士琉をなかへ招き、まずは燭台に火を灯す。それから畳に並べていた文を順に拾って桐箱へ戻していると、絃の手元を覗き込んだ士琉が問うてきた。

「……それは、文、か?」

「あ、はい。千桔梗にいた頃、毎月わたし宛てに届いていて。匿名だったので差出人はわからないのですけど。……でも、わたしの、宝物なんです」

 はにかむと、士琉は一瞬ぎちりと固まって目を見開いた。その反応を不思議に思いつつ、絃は千桔梗の花弁もしっかりと文に挟んで仕舞っておく。

(これも、大切な宝物)