苦々しく答えた士琉は、しかしどこか熱をはらんだ瞳で絃を見つめてくる。白銅色の髪の隙間から覗く耳の先は、ほんのわずかに赤みを帯びていた。
はたしてそれがなにを示しているのかわからないまま首を傾げると、士琉は苦笑して肩を竦めた。伸ばされた彼の手が頬に触れ、絃は身を硬くする。
「なんて言われても、絃は困ってしまうな。すまない」
「い、いえ、そんな」
「早朝出勤であるうえ、帰宅も遅い。夜間に急な出動も多いし、休みという休みもほぼないような職だ。……こんな男が旦那など、嫌にならないか?」
「嫌……!? そんなことはございません」
どこか不安を織り交ぜた口調で問われ、絃は驚きながらもすぐに首を横に振る。
総司令官でもある彼は、確かに日々多忙を極めている身であろう。
一応日勤の扱いにはなっているが、軍全体を把握して司令を出さなければならないため、事件が発生すれば、たとえ夜中だろうが出動せねばならない現場だ。
士琉の睡眠時間などわずかなもので、明らかに自宅よりも職場にいる時間の方が多かった。そういう意味では、確かに絃と過ごす時間は少ないのだけれど。
(でも、それは士琉さまが民のために頑張ってくださっているからだもの。嫌だなんて思うはずもないのに)
そもそも、そんな傲慢なことを思える立場でもない。
なにより最近の絃は、そんな士琉に尊敬の念を抱くようになっていた。
「士琉さまのお仕事は、とてもご立派だと思っています。灯翆月華軍の方々がいるからこそ、灯翆国の民は妖魔に怯えず暮らしていけるのですし……」
どう答えるべきか逡巡しながら、慎重に言葉を選んで返す。
ここは、常日頃から妖魔の脅威が蔓延る世だ。
昼夜問わず彼らと対峙し、力なき民を護るために命を賭けて戦ってくれる軍士がいなければ、この月華だってここまで繁栄しなかっただろう。
みなが安心して生活できるのは、そこに〝なにかあっても必ず彼らが護ってくれる〟という信頼があってこそ。
しかしながら、その信頼を得るまでには、途方もないほどの歳月をかけて軍士たちが地道に積み重ねてきた日頃の献身があるに違いないのだ。
実際、国のため、民のためにと身を粉にして奔走する軍士の存在は、とても眩しくて格好いい。士琉を見ていると、なおのことそう感じられる。
「たとえ朝が早くとも、お帰りが遅くとも……お休みがなくとも。士琉さまが無事に帰ってきてくださるなら、わたしはそれで十分です」
「っ……そうか」
「はい」
返した言葉が間違っていなかったか不安を覚えていると、士琉は数拍置いて軍帽を被り直しながら、なんとも神妙な顔をした。けれど、やや眉尻の垂れた複雑そうな表情のなかにはどこか嬉色も混ざっていて、絃はほっとする。
「軍士は命懸けの仕事ゆえ、絃には今後もなにかと心配をかけてしまうことがあるだろうが……。それでも、約束しよう」
「約束、ですか?」
「ああ。──必ず、君のもとへ帰ると」
深く沁み入るような声で言い、士琉は伏し目がちに絃を見つめてくる。
玄関土間に立つ士琉と、上がり框に立つ絃は、いつもより身長差が少ない。
そのせいだろうか。ずいぶん近い距離に士琉の存在があるように感じられて、ついどきりとしてしまう。
「絃が俺を待ってくれていると思えば、それだけで頑張れる。君を置いて行きたくない気持ちは変わらないのに、人の恋心とはなんとも難儀なものだな」
「あ……えっと、ではあの……お、お帰りをお待ちしております」