参幕 昏冥の月華


 屋敷の朝は、まだ世界が夜の色を残している黎明(れいめい)と共に始まる。
 朝まだき、宵が薄れゆく群青と青白磁(せいはくじ)の境。外気に触れれば、思わず(たもと)を引き寄せたくなるくらいの冷え込みのなか、絃は玄関先で出勤する士琉を見送っていた。

「そう毎日起きてこなくていいと言っているのに。ゆっくり休んでいていいんだぞ」

「わ、わたしがお見送りしたいのです。どうか気になさらないでください」

 月華に到着してから、早半月。
 ようやく生活の流れが見えてきたこの頃、とりわけ日の出と同時に屋敷を出る士琉の見送りは、絃の日課になりつつあった。
 正式な婚姻はまだ結んでいないとはいえ、いずれ旦那さまになる相手。すでに同じ屋根の下に住んでいるのだし、妻としてできることには手を尽くしていきたい。

(士琉さまは『ただそばにいてくれるだけでいい』と仰ったけど……。こうして、わたしがなにかをすることが嫌なわけではなさそうなのよね)

 士琉は出勤時、口布と外套を纏わず、月白の標準軍服のみを身につけている。
 なんでも、あの暗黒色の恰好は、一見軍士だとわからないようにするための変装仕様らしい。動きやすさと実用性を兼ねながらも、繊細な装飾が施された軍服は、まるで士琉のために作られたようでよく似合っていた。
 ちなみに、戦闘用の霊刀はそれぞれ特注しているものらしい。
 士琉が太刀を用いるのは、水を操る力に上手く調和させられるからだそうだ。

「いってらっしゃいませ、士琉さま」

「ん、ああ……」

 絃が小さく微笑みながら告げると、士琉は歯切れ悪く返事をして頷いた。
 だが、一向に扉の方へ向かう気配がない。どうしたのかと不思議に思っていれば、士琉はひとつ息を吐いて、眉間を揉み解しだした。

「……だめだな俺は。君を前にすると、とんでもなく腑抜けになる」

「ふ、腑抜け?」

「最近、痛感しているんだ。仕事に行きたくない、と思う気持ちを」