士琉が自覚なく『今日も』と言ったことを悟った絃は、じわじわと恥じらいに襲われた。己の頬が赤らむのを感じながら、忙しなく視線を彷徨わせる。
(綺麗、だなんて……)
胸中を支配するのは、引きこもり生活のなかでは知り得なかった感情。どう処理すべきかわからず混乱していると、かたわらでお鈴が感嘆にも似た息を吐いた。
「いやあ、旦那さまはわかっておられますねえ。まあ、お嬢さまのお美しさは誰が見ても天下一品ですけど。お鈴はやっと世界にお披露目できて嬉しいです!」
なぜか両手で頬を押さえながら愉悦に浸るお鈴を見て、士琉は苦笑した。
「お鈴は絃嬢が好きなんだな」
「そりゃあ、お嬢さまはお鈴のすべてですからっ。──というか、旦那さま。いつまでお嬢さまを『絃嬢』って呼ぶおつもりですか? 奥さまになられる方なのに」
「っ、いやそれは」
「まったく、じれじれですねえ。お鈴はむずむずして仕方がないですよ」
「…………。お鈴は、俺の知る侍女によく似ているな……」
やりづらい、と士琉は苦々しく呟いて前髪をかき上げた。
ついそれを凝視してしまった絃は、またも変な動悸に襲われて不自然に目線を行ったり来たりさせてしまう。
「ああ、このような場所で立ち話をしている暇はないか」
それをどう勘違いしたのか、ふたたび近くに寄った士琉に右手を掬い取られる。
こちらを見下ろす眼差しは至極穏やかだ。
「早く父上に挨拶を済ませて家に帰ろう。冷泉の本家では気も抜けないだろうから、これから生活する家はべつに用意してあるんだ」
そうして大門に向かい歩き出した士琉に、絃は面食らいながらついていく。どうして手を繋ぐ必要があるのかはわからないけれど、それを訊ねる勇気はなかった。
(でも、士琉さま、とても優しく握ってくれている……?)
そういえば、弓彦や燈矢も、よく手を繋いでくれた。
されど士琉の手は、彼らとはまた違う感触がする。
手袋越しでもわかる、無骨で硬い、戦う者の手だ。
(……すごく安心するのは、どうしてかしら)
慣れないはずなのに、どこか結界に似た安心感があった。
ああ大丈夫だ、と心が勝手に油断してしまう。
それがまた不思議で、歩きながら悶々と理由を考えていた絃は知らなかった。
「……折れてしまいそうだな」
耳の淵をほんのりと赤く染めた士琉が、ぽつりとそう呟いていたことを。
◇
絃が通されたのは客間ではなく、冷泉家の現当主──冷泉桂樹の私室だった。
最初こそ驚いたものの、部屋に入ってすぐその理由を察した。
桂樹は、部屋の中心に敷かれた褥で横になったまま、こちらを出迎えたからだ。
頬骨や手首の筋がはっきりと浮き出るほど痩せ細った体躯。血の気が窺えない土気色の顔。縁が黒く落ち窪んだ目。ひび割れた唇の間から漏れる隙間風に似た呼吸音。
どこからどう見ても、彼がなにか重い病を患っているのは明白だった。
(とても、つらそう……。冷泉家のご当主がご病気だなんて知らなかった)
「──お初にお目にかかります。月代十七代当主の妹、絃と申します」
動揺をどうにか呑み込みながら、絃は市松の畳に座して丁寧に頭を下げる。すると桂樹は、こちらが心配になるほどよろつきながら上背を起こした。
「ああ、当主の冷泉桂樹だ。……こんな見苦しい状態ですまないね。遠路はるばるよく来てくれた。月代のお嬢さん」
「あの、どうかそのままで……。こちらのことは気にせず、休まれていてください」