駐屯地(ちゅうとんち)の他、さらに一本外れた小通りも含めて、生活拠点の軍士寮や鍛錬場などが集まっている。最北部の高所には王家の宮殿が繋がるため、実質ここは王族を護るための砦区域なのだろう。
 そして、中通りからさらに一本外れた小通りには、居宅が並ぶ。
 東南は質素で慎ましやかな長屋が連なり、それほど貧窮(ひんきゅう)していない庶民たちがのんびりと生活を送っている。十五夜の際に開催される十五夜市のときは、軍士たちも興味本位で立ち寄るため賑わうが、基本的には閑静(かんせい)な通りだ。

 ちなみに、今向かっている西の小通りは冷泉本家が()めているため、他家は一軒も存在しない。実際は通りと呼べるかどうかも曖昧なうえ、大門から石垣に囲まれた敷地内は冷泉家が所有する領地なので、厳密には月華でもない。
 なにはともあれ、これが不夜城と名高い軍都〝月華〟の全容だ。

 裏道を抜けて西の小通りまで出た士琉は、内心ほっと安堵していた。
 昔から、どうにも大通りのような喧喧囂囂(けんけんごうごう)とした空気は苦手なのだ。活動拠点ゆえに受け入れているが、本来の士琉は閑寂とした場所の方が好みであったりする。

(いや、むしろここからだな。何事もなく挨拶(、、)が済むといいが)

 軍都は、国内外問わず、よくも悪くも知恵と情報が流入する地。他州と比べても栄えやすいのは道理で、とりわけ閉鎖的な千桔梗とは真逆の様相である。
 人の質も、月代一族とはまったく異なるだろう。
 このような俗世で絃が暮らしていけるのか、正直不安を覚えずにはいられない。

「士琉さま、お帰りなさいませ!」

「お戻りを我ら一同お待ちしておりました!」

 冷泉本家。
 四、五歳のときに拾われてから我が家となった広大な屋敷を前に、士琉は改めて己が背負うものの重さを実感する。あれからとうに二十年以上が経過しているにもかかわらず、いまだこの重圧には慣れそうにない。
 大門の前で軽やかに愛馬を降り、門番たちにひとまず会釈して返すと、彼らはばたばたと出迎えの準備をし始めた。
 後に続いて地に降ろされた二台の姫駕籠を振り返り、士琉は息を吐く。

(この婚姻が、灯翆国の柱石(ちゅうせき)である冷泉の名を守るか否かはわからんが……。たとえどうなったとしても、彼女だけは護らねば)

 このあとに待ち受ける関門を思い、士琉はひそかに気を引きしめた。



 ようやく到着した冷泉州の軍都は、予想の何倍も喧騒に包まれた場所だった。
 聞き取れぬほどの人々の声がこだまし、自然が(もたら)す風音や鳥の声はいっさい聞こえてこない。かき消されてしまっているのか、あるいは存在しないのか。

(わたしの知る世界とは、まったく違う……)

 月華に入ってからずっと、両手を重ねて握りしめていたせいだろう。
 目的地に辿り着いたときには指先が氷のように冷え切っており、絃は軽い眩暈を引き起こしていた。自然と呼吸が浅くなり、ひどく気分が悪い。

「絃嬢、着い──大丈夫か? 顔色がよくないな」

 姫駕籠の引き戸を開けてなかを覗き込んできた士琉は、瞬時に絃の異常に気がついたらしい。眉間に皺を寄せ、心配そうに手を伸ばしてきた。

「…………っ」

 一瞬びくりと肩を跳ね上げてしまったが、頬に触れた革手袋のひんやりとした冷たさはむしろ心地がよくて、すぐに全身の力が抜ける。
 上手く答えられないままおずおずと視線だけ返せば、士琉の表情がさらに険しいものへと変わった。

「吐き気はあるか? なにがいちばんつらい?」