けれど、そうだ。この『結婚』が上手くいかなければ──与えられたお役目を果たすことができなければ、もう両親のもとへ逝こうとは思っていた。

「ねえ、燈矢。……わたし、本当はね? 本当はずっと、淋しかったの」

「さみ、しい? 結界から出られないから?」

 絃はゆっくりと首を横に振る。

「月代一族は、みんな家族のようなものでしょう? でも、わたしは違った。あの日よりもずっと前から、わたしだけが違った。月代は夜に生きる者なのに、わたしは仲間に入れてもらえなかった。それがずっと淋しくて、哀しくて」

 けれど、言い出せなかった。
 夜が怖いのは……苦手なのは、あの日がきっかけではないのだ。
 その前から──生まれたときからずっと、絃は夜が苦手だった。
 自分を受け入れてくれない夜が、怖くて、苦手だった。

「……わたし、夜に生きたかった。兄さまや燈矢、お鈴──月代のみんなと一緒の世界を見たかった。ひとりにしないでほしかった」

 当然、誰にも言ったことはない。
 月代を名乗る資格もないような存在が〝夜に生きたい〟と願うなど、あまりに傲慢なことだと幼心にわかっていたから。

「だけど、不思議ね。すべてを護ってくれる結界を出て、月華で昼に生きるようになったら、夜の怖さが和らいだの。眠れないときでも孤独を感じなくなったのよ」

「……でも、こっちではみんな寝るでしょ。なのに、淋しくないの?」

「淋しくない。だって朝になれば、みんなが起きてくれるもの」

 朝になると、より孤独が増す千桔梗の方が、ずっとずっと淋しかった。

「士琉さまをお見送りしたあとは、街の活気を感じながらお洗濯物を干して、お掃除をするの。士琉さまのお帰りを待つ時間はそわそわするけれど、とても幸せで。夜が待ち遠しく感じるくらい。そんなの、千桔梗では一度もなかったのに」

 思いの丈をそのまま口にするうち、しっくりときた。
 絃は自覚しているよりもずっと、こちらでの生活が気に入っているのだろう。
 今、毎日が楽しいのだ。失敗も多いけれど、それでも明日を待ち望んでいる。
 心が生きたいと、ここで、士琉のそばで生きたいと望んでいる。

「だから、ごめんなさい。燈矢がわたしを想ってくれる気持ちはすごく嬉しいのだけれど、わたしはやっぱり千桔梗へは帰れない」

「姉上……」

「政略結婚かどうかなんて関係なく、わたしが士琉さまのおそばで生きたいから」

 絃ははっきり告げると、燈矢の近くに転がっていた弓を屈んで拾い上げた。

「燈矢の弓、借りてもいい?」

「いいけど……まさか、また鳴弦をやるつもり!? やめてよ、倒れるよ!」

 憑魔は妖魔よりも厄介なもの。その正体も、まだ明確ではない。
 だが、絃は確信していた。

(わたしなら、きっとできる)

 決着のつかない攻防戦を繰り広げる士琉たちを振り返る。
 これはきっと、終わらせようと思えば、今すぐにでも終わらせられる戦闘だ。
 だが士琉は、あえて桂樹を泳がせている。
 なぜなら、その〝可能性〟を見据えているから。お鈴のときのように、絃ならば桂樹を救うことができるかもしれないと、希望を見出してくれているから。
 絃を、信じてくれているから。

(そうですよね、士琉さま)

 絃の心の声が聞こえたかのように、桂樹を一度大きく弾き返した士琉がこちらを振り返った。
 自分で降らせた雨の雫を浴びたことで、全身はずぶ濡れ。
 だが、これだけ長い時間打ち合っていても、息ひとつ乱れてはいなかった。