捌幕 火中の覚悟


 ひと時の逢瀬から月華に舞い戻った絃たちを待ち受けていたのは、あまりに信じがたい光景だった。それを視認した瞬間、絃は思わず口に手を当て、声にならない悲鳴を上げてしまう。

「嘘……っ!」

「まさか、うちだとは……」

 火の手が上がっていたのは、あろうことか冷泉本家の屋敷だったのだ。
 それも小火程度の話ではない。屋敷の東側を中心に、生活居住区である部分は燃え盛る炎が覆い始めている。離れや別棟、蔵は無事なようだ。
 だが、玄関先で丁寧に管理されていた盆栽や主木として庭園を彩っていた松は、すでに火が移っていた。
 深夜とは思えぬ喧騒であるのは、群衆のせいであろう。
 集まった月華の民たちが、口々に心配の声を上げているのだ。
 軍士たちが二次被害にならないよう規制を敷いているようだが、どうも手が回っていないのか、全体的に抑えきれていないように見受けられる。

「なるほど、やたら人が多いのは十五夜市があったせいか」

(十五夜市?)

 士琉の苦い呟きに、はっとする。
 そういえば以前、十五夜の際には十五夜市という名の祭りが催されるのだと士琉が零していたのを今さら思い出した。

 今日は満月。そして十五夜だ。月華を出る際もやたら通りが賑わっていることは感じていたけれど、祭りが開催されていたらしい。

 ようするにこの群衆は、そこから流れてきている人々なのだろう。
 見る限り、継叉特務隊だけでなく各署の軍士が出動しているようだった。
 明らかに軍士の数は多い。だが、なぜだろう。これだけいるのに、必要箇所に人手が足りていない。全体的に纏まりがなく、散在した印象を受ける。まるで個人が目についたことに手を出しているようで、各隊の統率感がいっさいないのだ。
 群衆を飛び越えた先、敷かれた規制の内側かつ火の手が及ばないぎりぎりの場所に降ろされた絃は、あらゆる懸念に逡巡しながらも、周囲へ目を走らせる。

(お鈴、燈矢……どこ? 桂樹さまも、もう避難してるわよね?)

 見回して必死に姿を捜すも、だめだ。見知った顔の屋敷の女中や奉公人はちらほら発見するけれど、肝心の彼らの姿が見つけられない。少なくとも桂樹は最優先で避難させられるはずだが、すでにべつの場所に移動しているのだろうか。

「絃、悪いがここにいてくれ。俺は状況の確認を──」

「隊長!」

 形容しがたい不安を募らせていると、絃たちに誰かが駆け寄ってきた。
 ふたり揃ってそちらを向けば、血相を変えて走ってくる者がひとり。
 海成だった。

「よかった、ご無事でしたか。おふたりの安否が確認できていなかったので、まだなかに残っているのかと……」

「すまない、少し外に出ていた。状況は」

「報告いたします。半刻ほど前、冷泉本家から火の手が上がっていると民から通報がありました。その時点で前例より被害規模は拡大するだろうと判断し、我々継特の常駐組、夜半討伐組をはじめ、通常部隊からは第二、第三、他署からは手の空いている軍士総員で出動。現在、鎮火作業と民の誘導を優先しています」

 海成はそこまでひと息に述べると、一呼吸置いて、人だかりの方を見遣る。

「しかし見てわかる通り、十五夜市の影響で規制が敷かれているために、群衆の避難まで追いついていません。軍士も総数を優先したせいで全体を把握できておらず、仮部隊を構成する間もなかったので統率は皆無。通常部隊の方は居合わせた氣仙さんがどうにか纏めておりますが、それでも全体がばらばらなせいで大変非効率です」

 海成の口調は冷静だが、どこか苛立ちが垣間見えた。