ありすは突然視線が向けられた事に驚いたのか、「わっ」と声をもらしてお茶を入れようとしていた急須を落とす。
「わ、わわわっ。こぼしちゃいましたっ。ごめんなさいっ。えっ、えっと。ぞうきんっ。ぞうきんもってこないと」
慌てた様子でばたばたと隅の方へと向かっていく。それからタオルなどをいくつかもってきて、床を拭き始める。
『うん。誰か他にいるのか。女の子の声みたいだったが、まさか彼女と一緒だったのか』
ありすの声が聞こえたのか、兄が驚いた様子で訪ね返してくる。
「そういうんじゃないよ。村の子だよ。いまちょっと彼女の家に厄介になっているんだ」
『そうか。それは失礼のないよ……いや。ちょっとまて。村の子だって!?』
兄が不意に大きな声を上げていた。
「ど、どうしたの。急に大きな声を上げて」
『猫鳴村にいるって言ってたよな!? 間違い無いのか!?』
「う、うん。村の人が猫鳴村って言っていたから、間違いはないと思うけど」
正確には言っていたのは村の人ではなく村の猫なのだけれど、変にそんな事を言っても兄を混乱させるだけで意味はないので告げないでおく。
それよりも兄は何を驚いているのだろうか。村の子と一緒にいるのがそんなに珍しい事だっただろうか。
『そんな事は……。いやでも、もしかして誰か戻ってきているのか。だったら無いとも言い切れないか。でも、いや聞いてはないが』
いつもはどちらかというと落ち着いた兄が、何か混乱したかのように、一人で話し始めていた。電話口の僕の事なんて忘れてしまったかのようだ。
「兄さん、どうしたの?」
『あ。ああ。悪い。その、村の人の家にお世話になっているんだよな』
「そうだけど」
『猫鳴村は何年か前に廃村になっている。だからもうそこには誰もいないはずなんだよ』
今度は僕の方が兄の言葉を理解出来なかった。
廃村になっている。この村には人がいない。だとしたら目の前にいるありすは。僕を迎えにきてくれたかなたは。さきほど出迎えてくれたこずえは。彼女達は何だと言うのだろう。
僕をからかってきたあかねや、健さんや奈々子さんや。他の村の人々は。いったい何だというのだろうか。
『確かたちの悪い病気が蔓延したか何かで、何人も死んだって話だ。それで病気にかからなかった人達もいろいろな理由で離散してしまって、もう村には誰も人は残っていないって聞いている』
「そんなはずは。だって今日だって村の人達と話して、みんな普通に暮らしていて。そりゃあ人は少なくなっているのかもしれないけど、確かにここにいるよ」
僕はそう答えるしか出来なかった。
兄の言う事が本当だとしても、これだけの村の人達がいて、みんな普通に暮らしている。もしかして兄の言うような事情で一時的には村を離れたのかもしけれないけど、また戻ってきて暮らしているんじゃないだろうか。
人の手が入らない木造の建物はすぐに朽ちてぼろぼろになってしまう。だけどこの村の家々にはそんな様子は見られなかった。途中の畑やたんぼだって、綺麗に整えられていた。はっきりと人が暮らしている様子がある。
ひまわり畑だって人が育てなければ、もっと荒れ果てているだろう。人がいない村ではこうはいかないはずだ。
『そうか。まぁそうだよな。俺も話をきいただけで実際に見た事がある訳じゃ無いし。人がいなくなったのは病気の検査などで少しの間いなくなったのを大げさに聴いたのかもしれない。おじいちゃんはもうその頃には亡くなっていたから、その後に村に行く事も無くなっていたしな』
兄はどこか曖昧な口調で告げると、電話の向こうでうなずくような声を漏らしていた。
『悪い。変な話をしてしまったな。俺の勘違いだと思う。とにかく謙人が無事でいてくれるならいいんだ。じゃあそろそろ切るよ。彼女にもよろしく伝えといてくれ』
「だから彼女じゃないってば」
『ははは。出来れば今度うちに連れてきてくれ。じゃあな』
笑いながら兄は通話を終了していた。
兄の言う事はあり得ないはずだ。ここには皆がいるし、それに電気だって普通に通っている。
いくらなんでも突拍子もなさすぎて、信憑性にかける話だった。
もしも兄の言うことが正しいとしたなら、ここにいるありすは何者だというのだろう。
言った兄自身にしても自分の間違いだと思っているようだ。それもそうだろう。だってありすは確かにここにいるのだから。
「お電話終わりました? 何のお話をされていたんです?」
ありすは電話が終わるのを待っていたのだろう。
こぼしたお茶はもう拭き取ってあって、すでに片付けられていた。
「それが兄さんが言うにはこの村はもう廃村になっていて、この村には人がいないはずだって」
「あはは。なんですか。それ。じゃあここにいる私は何者なんでしょう。狐か狸が化けてでてきたんでしょうか」
なんだかむしろ楽しげにありすは答える。
たぶん冗談を言われたのだと思っているのだろう。それもそうだろう。村にはたくさんの人がいるのだから。
「狐か狸なら私はどっちかというと狸でしょうか。ころころ丸いイメージありますよね、たぬき。私、ちょっとお腹でてるからなぁ」
言いながらお腹をぽんと叩いてみせる。タヌキの真似のつもりなのだろうか。
ちなみにありすのお腹は全くでてないと思う。
「あ、きつねさんも可愛いのでいいですけど。こんこん」
胸の前でこぶしをにぎって、招き猫のように手を曲げていた。ありすの中でのキツネはそういうイメージなのかもしれない。
ただそのおかげでひととき始まりかけていた妙な雰囲気は消えて無くなって、いつものありすが戻ってきていた。
「わ、わわわっ。こぼしちゃいましたっ。ごめんなさいっ。えっ、えっと。ぞうきんっ。ぞうきんもってこないと」
慌てた様子でばたばたと隅の方へと向かっていく。それからタオルなどをいくつかもってきて、床を拭き始める。
『うん。誰か他にいるのか。女の子の声みたいだったが、まさか彼女と一緒だったのか』
ありすの声が聞こえたのか、兄が驚いた様子で訪ね返してくる。
「そういうんじゃないよ。村の子だよ。いまちょっと彼女の家に厄介になっているんだ」
『そうか。それは失礼のないよ……いや。ちょっとまて。村の子だって!?』
兄が不意に大きな声を上げていた。
「ど、どうしたの。急に大きな声を上げて」
『猫鳴村にいるって言ってたよな!? 間違い無いのか!?』
「う、うん。村の人が猫鳴村って言っていたから、間違いはないと思うけど」
正確には言っていたのは村の人ではなく村の猫なのだけれど、変にそんな事を言っても兄を混乱させるだけで意味はないので告げないでおく。
それよりも兄は何を驚いているのだろうか。村の子と一緒にいるのがそんなに珍しい事だっただろうか。
『そんな事は……。いやでも、もしかして誰か戻ってきているのか。だったら無いとも言い切れないか。でも、いや聞いてはないが』
いつもはどちらかというと落ち着いた兄が、何か混乱したかのように、一人で話し始めていた。電話口の僕の事なんて忘れてしまったかのようだ。
「兄さん、どうしたの?」
『あ。ああ。悪い。その、村の人の家にお世話になっているんだよな』
「そうだけど」
『猫鳴村は何年か前に廃村になっている。だからもうそこには誰もいないはずなんだよ』
今度は僕の方が兄の言葉を理解出来なかった。
廃村になっている。この村には人がいない。だとしたら目の前にいるありすは。僕を迎えにきてくれたかなたは。さきほど出迎えてくれたこずえは。彼女達は何だと言うのだろう。
僕をからかってきたあかねや、健さんや奈々子さんや。他の村の人々は。いったい何だというのだろうか。
『確かたちの悪い病気が蔓延したか何かで、何人も死んだって話だ。それで病気にかからなかった人達もいろいろな理由で離散してしまって、もう村には誰も人は残っていないって聞いている』
「そんなはずは。だって今日だって村の人達と話して、みんな普通に暮らしていて。そりゃあ人は少なくなっているのかもしれないけど、確かにここにいるよ」
僕はそう答えるしか出来なかった。
兄の言う事が本当だとしても、これだけの村の人達がいて、みんな普通に暮らしている。もしかして兄の言うような事情で一時的には村を離れたのかもしけれないけど、また戻ってきて暮らしているんじゃないだろうか。
人の手が入らない木造の建物はすぐに朽ちてぼろぼろになってしまう。だけどこの村の家々にはそんな様子は見られなかった。途中の畑やたんぼだって、綺麗に整えられていた。はっきりと人が暮らしている様子がある。
ひまわり畑だって人が育てなければ、もっと荒れ果てているだろう。人がいない村ではこうはいかないはずだ。
『そうか。まぁそうだよな。俺も話をきいただけで実際に見た事がある訳じゃ無いし。人がいなくなったのは病気の検査などで少しの間いなくなったのを大げさに聴いたのかもしれない。おじいちゃんはもうその頃には亡くなっていたから、その後に村に行く事も無くなっていたしな』
兄はどこか曖昧な口調で告げると、電話の向こうでうなずくような声を漏らしていた。
『悪い。変な話をしてしまったな。俺の勘違いだと思う。とにかく謙人が無事でいてくれるならいいんだ。じゃあそろそろ切るよ。彼女にもよろしく伝えといてくれ』
「だから彼女じゃないってば」
『ははは。出来れば今度うちに連れてきてくれ。じゃあな』
笑いながら兄は通話を終了していた。
兄の言う事はあり得ないはずだ。ここには皆がいるし、それに電気だって普通に通っている。
いくらなんでも突拍子もなさすぎて、信憑性にかける話だった。
もしも兄の言うことが正しいとしたなら、ここにいるありすは何者だというのだろう。
言った兄自身にしても自分の間違いだと思っているようだ。それもそうだろう。だってありすは確かにここにいるのだから。
「お電話終わりました? 何のお話をされていたんです?」
ありすは電話が終わるのを待っていたのだろう。
こぼしたお茶はもう拭き取ってあって、すでに片付けられていた。
「それが兄さんが言うにはこの村はもう廃村になっていて、この村には人がいないはずだって」
「あはは。なんですか。それ。じゃあここにいる私は何者なんでしょう。狐か狸が化けてでてきたんでしょうか」
なんだかむしろ楽しげにありすは答える。
たぶん冗談を言われたのだと思っているのだろう。それもそうだろう。村にはたくさんの人がいるのだから。
「狐か狸なら私はどっちかというと狸でしょうか。ころころ丸いイメージありますよね、たぬき。私、ちょっとお腹でてるからなぁ」
言いながらお腹をぽんと叩いてみせる。タヌキの真似のつもりなのだろうか。
ちなみにありすのお腹は全くでてないと思う。
「あ、きつねさんも可愛いのでいいですけど。こんこん」
胸の前でこぶしをにぎって、招き猫のように手を曲げていた。ありすの中でのキツネはそういうイメージなのかもしれない。
ただそのおかげでひととき始まりかけていた妙な雰囲気は消えて無くなって、いつものありすが戻ってきていた。