「おや、こんな時間に人がいるとは」

不意打ちのその声に、情けない悲鳴を上げる。

「急に声を掛けてすまない」

振り返ると、50代後半くらいの男性が立っていた。

今すぐにでも布団に入れるような僕のスウェット姿に対して、しゃきっと
アイロンをかけた白いズボンに、グレーのジャケットの紳士的な姿。
あまりに対極的な姿に、少し恥ずかしくなる。

「す、すみません」

悲鳴を上げてすみません。心の中で呟いた。

男性は砂に汚れる事も気にしない様子でどさりと胡坐をかく。

そんな彼が傍らに置いたものに目を疑った。

杖だ。目が見えない人が、歩く時に使う白杖だった。

「それって……」

「あぁ、僕はあまり目が見えていなくてね。あまり、だから全くでは無いんだよ。夜に出歩くのは危ないんだけど、たまにはそういう気分の日もある。君にはわかるだろう?」

勿論わかる。

色々と納得いかなくてモヤモヤしたり、考えが纏まらない時もそうだ。

夜風に当たりたい。外に出て、静謐な空気を感じたい。体の中にたまったどす黒い毒を洗い流したい。

そう思うと、決まって僕は散歩に出る。

「服、汚れちゃいますよ」

僕のよれよれスウェットならまだしも、彼のきちんとした服は汚れて良いとは思えなかった。

「あぁ。服はいずれ汚れるものさ。君のような優しい青年に、こうして隣に座らせて貰える幸せに比べたら大した問題じゃないよ。寧ろ、ズボンの汚れすら、君とこうして並んで海を眺めた事を思い出すきっかけになる」