どれくらいの間こうしていただろう。
それからは何を話すでもなく、二人並んでざぶんざぶんと打ち寄せる波音を聞いていた。
「さ、私はそろそろ帰ろうかな」
何の切っ掛けも無く、男性が白杖を手に立ち上がった。
「ご迷惑でなければお送りしますよ」
「いや、大丈夫だ。自分の面倒は自分で見たい質でね。まぁヘルパーさんに手伝ってもらう事も多いけど、こんな性格だから、出来る限り時間が掛かってもやりたいんだよ。その代わり、何でも早めに動きださないと間に合わないんだけどね。君に会えて良かった。いつもなら珈琲を飲んだらまっすぐ帰るんだけど、今日はここに来て良かったよ」
「珈琲?」
もしかして、と思ったらやはりそうだ。
男性は黒猫と月の方を指して「行きつけの喫茶店があるんだ」と教えてくれた。
丁度僕が店の前に着いた時間が閉店時間だったらしい。
彼は、夕方から夜にかけてあの店に良く行くのだと教えてくれた。
「じゃあね。君も気を付けて帰りなさい」
「はい。ありがとうございました」
名前聞きそびれたな。
白杖を手に歩いて行く男性の背中は、やがて夜の闇の中へと溶け込み、見えなくなった。