朱蘭(ヂュラン)先生』の手による小説は、思っていた以上に人々に楽しまれていたようだ。今回は戦記ものと言うことで、後宮の女たちのみならず、宦官を経由して男たちの目にも届いたらしい。ほんの二日ほどで。
(ジン)総督が国にとってどれほど必要な人物であるかを再確認させられたな」
 泰然(タイラン)将軍を(ジン)総督の姿に重ねて読んだ人間の間では、井総督を擁護する気持ちが高まって行った。

翠蘭(スイラン)!」
 皇帝が私をまたも正殿へ呼びつけたのは、幽閉を翌日に控えた日のことだった。
「これはどういうつもりだ!」
 皇帝は、私の前にぐしゃぐしゃになった書を叩きつける。件の戦記だ。
「まるで俺が(ジン)のやつと特別な間柄であったかのような嘘を並べたておって!」
「……」
 私が黙っていると、皇帝は居並ぶ官吏たちに向かって怒鳴る。
「よいか! これを読んで本気にし、井のやつに同情する者まで出てきておるらしいが、こんなもの所詮は皇后の作り話! いくら登場人物が実在の人間と似ておっても、このような事実はない! 現実と創作をごっちゃにするのは愚か者のすることだ!」
 その言葉を待っていた。
「その通りです、陛下」
 私は顔を上げ、言葉を発した。
「この物語は私の作り話でございます! そして以前書いた恋物語も空想を書き連ねたもの! 峰風(フォンファン)は陛下ではありませんし、泰然(タイラン)(ジン)総督じゃありません!」
「ぬっ!」
「なのに陛下は、あんな作り話を現実と勘違いして、忠実で有能な部下を斬ろうとしているんですよ? そんな真似をすれば、きっと民は帝のことをこう評価するでしょうね」
 私は大きく息を吸い、叫ぶ。
「現実と創作の区別もつかない皇帝だと!」
「無礼者!」
 皇帝が腰の剣を抜き、段を下りてくる。やがて冷たい刃が私の首に触れた。
「俺が、皇后であるお前を斬れぬと思っているなら大間違いだぞ」
「……」
 私は黙って皇帝を見返す。
 ほんの僅か、彼がこの刃を引けば私の命は終わるだろう。
 震えながらも私は彼から目を逸らさない。それが、人の命を奪うような作品を書いてしまった私に出来る最後のことだと思って。
 そのままどれほどの時が流れただろうか。
「……チッ」
 舌打ちと共に、刃が私から離れる。
(え?)
 皇帝はしばらくの間、鋭い目で私を見下ろしていた。やがてついと背を向け、荒々しく足を踏み鳴らしつつ、玉座へと戻っていく。
 そして勢いよくこちらをふり返ると、通る声でこう言った。
(ジン)を牢から出せ。処刑は取り消しだ! 皇后の幽閉もだ!」
「!」
「勘違いするなよ、翠蘭」
 ぎりっと歯噛みしながら彼は続ける。
「俺は貴様らの間に何もなかったと信じたわけではない。だが、お前のつまらん創作物に踊らされて評判を落とすのも馬鹿らしい。そう思っただけだ」
「陛下……。ありがとう!」
「くだらん。さっさと下がれ!」
 私は一礼して正殿から出ていく。まだ震えている足を、何とか動かして。

■□■

「くそ、翠蘭(スイラン)の奴め」
 翠蘭が姿を消すと、勝峰は額に手をやった。
「あんな目をする女だったとは……」
 微かに高鳴る鼓動に戸惑いつつ、勝峰(ションフォン)は独り言ちる。
「これほどまでに、俺の心を掻きまわす女だったとは……」

■□■

『皇后陛下、このたびは私のために尽力くださり感謝いたします』
 後日、私は井総督からの手紙を受け取った。そこには、彼が再び総督として北方へ戻ることが感謝の言葉とともに綴られていた。
 そして手紙の最後に書かれていたのは。
『陛下と同様の忠誠をあなたに誓います』
(うはぁ……)
 顔は違うが、やはり性格はオークウッド中尉に似ている気がする。彼の声を脳内で再生させつつ、私はちょっとときめいていた。
(まさか私が3次元にドキドキする日が来るなんて)
 2.5次元や『中の人』止まりだと思っていたのに。
(北方か。もう会うことはないんだろうな)
 少し寂しい気もするが、推しは遠くにありて拝むもの、だ。
「さて、久々に夢小説書こうかな。次はどんな恋の相手にしよう」
「あっ、あの、翠蘭様」
 紅花(ホンファ)がもじもじと手を上げる。
「幼い頃仲の良かった男の子が、大きくなって目の前に現れて、と言うのはいかがでしょう」
「おおーっ、いいね! 幼馴染もの! 性格はどんな感じで行こうか? 紅花は具体的にどういうのが好きか教えてくれる?」
「はっ、はい!」
 新たなモチベーションを得て、私の筆は軽やかに滑りだした。

――終――