私は、隣の席の深谷駈君が気になる。
 黒々とした睫が長い、駈君が気になっている。

 放課後の教室の中で、黙々とパソコンを弄っている駈君。
 そんな駈君の眼はパソコンの画面に向かって伏せていた。長い睫で瞳が覆われる。
 パソコンで何かしている時、端正な駈君の顔立ちは、引き締まって一層端正になる。
 この、放課後の一時間は、私にとって至福の時間だ。
 私は絵を描くふりをして、駈君との時間を楽しんでいる。
 「………。」
 駈君は、少し長めの前髪を掻き分けながら、私の方を無言で見つめてきた。
 私は、何でもないよと柔らかに微笑み返す。
 駈君がフッと軽やかに笑う。
 そしてまた、駈君はパソコンのキーボードをカタカタと打つのである。
 友達とも言えない距離の私達。近いけど遠い私達。
 嗚呼、何時になったら、歯痒い距離を縮められるだろう。もどかしい。
 でも、私は今まさに青春を味わってる感じがする。
 駈君を眺めつつ描いたラフな絵は、何枚も溜まってきた。
 段々と放課後の教室は、人が疎らになってきた。
 カタッ。人影の少ない教室に、音が響く。
 駈君は、いつの間にかパソコンを片付けていた。彼は私の方を振り返らずに、やっぱり無言で教室を後にした。
 駈君が帰るのを見届けた私は、急いで教室を後にした。



 私は直ぐ様、自宅に帰宅する。
 「ねーちゃん、遅いよ~。早く早く!」
 深緑色のエプロンに帽子を被った妹・夏恋が催促してくる。
 私はそそくさとエプロン姿に着替えて、カウンターに着いた。
 私の家は、「花園」という老舗の御茶屋さんなのだ。
 創業は昭和三年と比較的若い御茶屋だけど、ありがたいことに、今でも繁盛している。
 「おうおう、帰ってきたか春子。これ、置いとくからな。」
 大きなダンボールを抱えて、幼馴染みの大江大和が現れる。
 なんだかんだ言いながらも、お店を手伝ってくれている善き幼馴染みだ。
 「大和君、何時もありがとうね。」
 妹は、息を吸うように大和の仕事に気がついて、優しく労った。
 夏恋と大和の仲好いやり取りを眺めて、私の心は毎日和んでいる。
 私達の楽しげな声につられたのか、母がカウンターの奥の部屋からやって来た。
 「あんた達、今日はもう休んでいいわよ。」
 今日は比較的お客さんが少ないので、母が店番を変わってくれるらしい。
 母からのありがたいお言葉に甘えて、私達は奥の部屋で休むことにした。

 卓袱台の上にあった、お煎餅を齧りながら、座布団の上に座して、だらだらとくだらない話をする。
 私が他愛もない時間の中をふやけていると、妹が突然に鋭く切り出した。
 「いっつも放課後学校で絵を描いてるみたいだけどさ、ねーちゃん早く帰ってきなよ。」
 「家の仕事手伝って欲しいんだけど。」
 美容の専門学生の妹は、コーラルピンクのネイルを煌めかせながら、お煎餅を手に持っている。
 言い返す言葉が無い。
 私は言葉に詰まったけれども、ふと、良い案が浮かんだ。
 「絵が、さ。少しでもお金になればいいなー。って、描いてるんだよね。」
 何て。其らしい話をする。
 妹は、たじろぐ私の顔を見ながら、片手で器用にスマートフォンを弄り始めた。
 
 「SNSに絵、投稿してみれば?」
 
 私の眼前に、妹の手に収まってないデカいスマートフォンが、かざされる。
 「絵が欲しいって人からお金を貰えるかもよ?」
 「へ、え?」
 SNSのアカウントなんて、公式アカウントの情報を見るためのアカウントしかない。
 「絵を出してよ。写真撮るからさ。」
 これは面白いと思われたな。
 妹は上機嫌で、私のユルすぎる動物や人間の絵をスマホで撮ってゆく。
 「私の絵下手くそだから、売れるわけないよぉ。」
 妹の方が絵が上手いのだから、尚更撮られるのは恥ずかしい。
 いつの間にか妹は、私のスマートフォンを盗っていた。
 私のアカウントに絵を投稿され。その投稿を妹のアカウントが拡散する。
 「なんか面白そうだな。俺も拡散するよ。」
 大和までもが、面白がって私の絵を拡散した。
 「ゆるキャラ系の挿絵イラストなんかの仕事が来るかもね。」
 ケタケタ笑う妹は、私に意地が悪い。
 微妙に、SNSで拡散される私の絵。
 私を笑い者にしたがる二人に呆れつつ、エプロンを再び着けて、私はカウンターに戻った。
 
 日は明けて、翌日。
 なんとなく私は、昨日のアカウントを覗く。
 一件のメッセージが届いていた。英語の長文だ。
 思わぬ事態に、心臓が飛び出しそうになった。



 メッセージをくれたアメリカの芸術家ジョージさんは、日本語も流暢だった。
 気がつくと私は個展を開く為に、ニューヨークへ来ていた。
 ニューヨークの個展といっても、小さなギャラリーでの個展だった。
 小さなギャラリーなのに、人が次々と来る。
 私のユルい絵が、ドル札で買われてゆく。
 慣れない個展に、私は縮こまっていた。
 無事に三日間の個展が済んだ。
 けれども、個展へ来ていたカップルを思い出すと悲しくなる。
 華々しい体験を出来たのに、惨めだった。
 私はただ、駈君と付き合いたい。それだけ。
 ニューヨークの雑踏の中を、宿泊先のホテルへ向かって歩く。
 鞄の中にあるはずの、財布が、無い。
 ジョージさんから受け取った売上金も無い。
 財布を無くして途方にくれた私は、SNSに「財布無くした。○○ホテルに泊まれない。」と、悲しみを訴えた。
 誰かに慰めて欲しい。
 家族に連絡したところで、とてつもなく怒られそうだ。
 お金を稼ぐために来たのに、お金を無くしてるなんて。激怒だろう。
 唯々、ホテルの前で途方に暮れるしかなかった。

 「春子さん。無事で良かった…!」
 耳元に、ドキッとするような優しい声をかけられる。
 駈君だった。システムの仕事でニューヨークに来ていたという。

 私達二人は、宿泊先のホテルでとても仲好くなった。
 駈君はプログラマーの仕事が決まって、東京に住むらしい。
 「人見知りの激しい俺だからさ…。」
 私は駈君から、あることをお願いされた。



 イラストレーターとして精力的に活動するために、私は東京へ住むことに。
 なんと、駈君と一緒に住むのだ。
 私はSNSに上機嫌で、東京で彼氏の駈君と住むことを投稿した。
 その投稿は何千人の人にお気に入りされて、そして、お祝いもしてもらえた。
 未知の世界なSNSだったけれども、世界が広がるって最高だね。
 私は幸福に包まれていた。

 駈君はシンガポールへ出張している。
 距離は遠いけれども、SNSでは近い私達。
シャイな駈君から、SNSでメッセージが届いた。
 「俺と一緒に住んでくれて、ありがとう。」
 喜ぶ私。SNSで私達の関係を見せびらかすなんて、駈君も策士である。
 今では遠くにいても、お互いを近く感じる。
 私は一足先に、東京駅に着いた。

「さあ、一緒に帰ろうか。」

 私の後ろには、大和君が「何故か」いた。
 大和は、頑なに妹とは結婚せずに、私と家を継ぐ気だったのだ。

 「近くの君が、ずっと前から、気になっていたんだ。」