私は、隣の席の深谷駈君が気になる。
黒々とした睫が長い、駈君が気になっている。
放課後の教室の中で、黙々とパソコンを弄っている駈君。
そんな駈君の眼はパソコンの画面に向かって伏せていた。長い睫で瞳が覆われる。
パソコンで何かしている時、端正な駈君の顔立ちは、引き締まって一層端正になる。
この、放課後の一時間は、私にとって至福の時間だ。
私は絵を描くふりをして、駈君との時間を楽しんでいる。
「………。」
駈君は、少し長めの前髪を掻き分けながら、私の方を無言で見つめてきた。
私は、何でもないよと柔らかに微笑み返す。
駈君がフッと軽やかに笑う。
そしてまた、駈君はパソコンのキーボードをカタカタと打つのである。
友達とも言えない距離の私達。近いけど遠い私達。
嗚呼、何時になったら、歯痒い距離を縮められるだろう。もどかしい。
でも、私は今まさに青春を味わってる感じがする。
駈君を眺めつつ描いたラフな絵は、何枚も溜まってきた。
段々と放課後の教室は、人が疎らになってきた。
カタッ。人影の少ない教室に、音が響く。
駈君は、いつの間にかパソコンを片付けていた。彼は私の方を振り返らずに、やっぱり無言で教室を後にした。
駈君が帰るのを見届けた私は、急いで教室を後にした。
*
私は直ぐ様、自宅に帰宅する。
「ねーちゃん、遅いよ~。早く早く!」
深緑色のエプロンに帽子を被った妹・夏恋が催促してくる。
私はそそくさとエプロン姿に着替えて、カウンターに着いた。
私の家は、「花園」という老舗の御茶屋さんなのだ。
創業は昭和三年と比較的若い御茶屋だけど、ありがたいことに、今でも繁盛している。
「おうおう、帰ってきたか春子。これ、置いとくからな。」
大きなダンボールを抱えて、幼馴染みの大江大和が現れる。
なんだかんだ言いながらも、お店を手伝ってくれている善き幼馴染みだ。
「大和君、何時もありがとうね。」
妹は、息を吸うように大和の仕事に気がついて、優しく労った。
夏恋と大和の仲好いやり取りを眺めて、私の心は毎日和んでいる。
私達の楽しげな声につられたのか、母がカウンターの奥の部屋からやって来た。
「あんた達、今日はもう休んでいいわよ。」
今日は比較的お客さんが少ないので、母が店番を変わってくれるらしい。
母からのありがたいお言葉に甘えて、私達は奥の部屋で休むことにした。
卓袱台の上にあった、お煎餅を齧りながら、座布団の上に座して、だらだらとくだらない話をする。
私が他愛もない時間の中をふやけていると、妹が突然に鋭く切り出した。
「いっつも放課後学校で絵を描いてるみたいだけどさ、ねーちゃん早く帰ってきなよ。」
「家の仕事手伝って欲しいんだけど。」
美容の専門学生の妹は、コーラルピンクのネイルを煌めかせながら、お煎餅を手に持っている。
言い返す言葉が無い。
私は言葉に詰まったけれども、ふと、良い案が浮かんだ。
「絵が、さ。少しでもお金になればいいなー。って、描いてるんだよね。」
何て。其らしい話をする。
妹は、たじろぐ私の顔を見ながら、片手で器用にスマートフォンを弄り始めた。
「SNSに絵、投稿してみれば?」
私の眼前に、妹の手に収まってないデカいスマートフォンが、かざされる。
「絵が欲しいって人からお金を貰えるかもよ?」
「へ、え?」
SNSのアカウントなんて、公式アカウントの情報を見るためのアカウントしかない。
「絵を出してよ。写真撮るからさ。」
これは面白いと思われたな。
妹は上機嫌で、私のユルすぎる動物や人間の絵をスマホで撮ってゆく。
「私の絵下手くそだから、売れるわけないよぉ。」
妹の方が絵が上手いのだから、尚更撮られるのは恥ずかしい。
いつの間にか妹は、私のスマートフォンを盗っていた。
私のアカウントに絵を投稿され。その投稿を妹のアカウントが拡散する。
「なんか面白そうだな。俺も拡散するよ。」
大和までもが、面白がって私の絵を拡散した。
「ゆるキャラ系の挿絵イラストなんかの仕事が来るかもね。」
ケタケタ笑う妹は、私に意地が悪い。
微妙に、SNSで拡散される私の絵。
私を笑い者にしたがる二人に呆れつつ、エプロンを再び着けて、私はカウンターに戻った。
日は明けて、翌日。
なんとなく私は、昨日のアカウントを覗く。
一件のメッセージが届いていた。英語の長文だ。
思わぬ事態に、心臓が飛び出しそうになった。
*
メッセージをくれたアメリカの芸術家ジョージさんは、日本語も流暢だった。
気がつくと私は個展を開く為に、ニューヨークへ来ていた。
ニューヨークの個展といっても、小さなギャラリーでの個展だった。
小さなギャラリーなのに、人が次々と来る。
私のユルい絵が、ドル札で買われてゆく。
慣れない個展に、私は縮こまっていた。
無事に三日間の個展が済んだ。
けれども、個展へ来ていたカップルを思い出すと悲しくなる。
華々しい体験を出来たのに、惨めだった。
私はただ、駈君と付き合いたい。それだけ。
ニューヨークの雑踏の中を、宿泊先のホテルへ向かって歩く。
鞄の中にあるはずの、財布が、無い。
ジョージさんから受け取った売上金も無い。
財布を無くして途方にくれた私は、SNSに「財布無くした。○○ホテルに泊まれない。」と、悲しみを訴えた。
誰かに慰めて欲しい。
家族に連絡したところで、とてつもなく怒られそうだ。
お金を稼ぐために来たのに、お金を無くしてるなんて。激怒だろう。
唯々、ホテルの前で途方に暮れるしかなかった。
「春子さん。無事で良かった…!」
耳元に、ドキッとするような優しい声をかけられる。
駈君だった。システムの仕事でニューヨークに来ていたという。
私達二人は、宿泊先のホテルでとても仲好くなった。
駈君はプログラマーの仕事が決まって、東京に住むらしい。
「人見知りの激しい俺だからさ…。」
私は駈君から、あることをお願いされた。
*
イラストレーターとして精力的に活動するために、私は東京へ住むことに。
なんと、駈君と一緒に住むのだ。
私はSNSに上機嫌で、東京で彼氏の駈君と住むことを投稿した。
その投稿は何千人の人にお気に入りされて、そして、お祝いもしてもらえた。
未知の世界なSNSだったけれども、世界が広がるって最高だね。
私は幸福に包まれていた。
駈君はシンガポールへ出張している。
距離は遠いけれども、SNSでは近い私達。
シャイな駈君から、SNSでメッセージが届いた。
「俺と一緒に住んでくれて、ありがとう。」
喜ぶ私。SNSで私達の関係を見せびらかすなんて、駈君も策士である。
今では遠くにいても、お互いを近く感じる。
私は一足先に、東京駅に着いた。
「さあ、一緒に帰ろうか。」
私の後ろには、大和君が「何故か」いた。
大和は、頑なに妹とは結婚せずに、私と家を継ぐ気だったのだ。
「近くの君が、ずっと前から、気になっていたんだ。」