「クロノのバカ! バカバカ!」

 ロゼッタは目に涙をためて俺の胸をポカポカと叩いた。

「痛い。痛いって、ロゼッタ」

「四天王の皆からすべて聞きました。どうして私のところに助けを求めに来なかったんですか!」

 銀色の髪が軽やかに揺れ、蒼の瞳がうるんできらめいていた。

 ロゼッタの外見は人間そのもの。
 どこかの令嬢と言っても通用するくらい、華やかな見た目の少女だ。
 とはいえ、俺と違って完全な魔族であり、秘めた力は人間の及ぶところではない。

「いや、それはお前の承継の儀を邪魔しちゃいけないと思ってさ。……っていうかロゼッタ、魔導回路の承継はどうしたんだよ。俺が城を出てから、まだ一か月も経ってないぞ」

「そんなもの一週間で終わらせました。お父様の埋葬も済んで、死後の手続きは全部完了してます」

 ……マジかよ。

 俺は絶句した。
 先代の魔導回路は、魔王だけあって並外れていた。
 複雑にして多量、普通の魔族の十倍はあったはずだ。
 それを移植するのだから、ロゼッタにもかなりの負担がかかるというのに。

「これで私はお父様の魔法を全部使えるようになりましたが……でも、そんなことはどうでもいいんです! それよりクロノ!」

「いや、どうでもいいって、お前」

「どうしてみすみす魔王軍を出て行ったんですか! 人間だから魔王軍にふさわしくないなんて、どう考えてもおかしいでしょう!?」

「そこはおかしくないこともないと思うが……」

 無用なトラブルを招きたくなかったので、俺は元帥たちに無理に食い下がることをしなかった。
 あの老人たちの性格上、下手に藪をつつけば他の者にも害が及ぶ恐れがある。
 ロゼッタも、魔王になったとはいえ一人で軍を運用できるわけではなく、まずは彼らの協力を仰ぐ必要がある。

 俺の方もさほど地位にこだわりがなかったので、ひとまずは事を荒立てないよう、こうして田舎に引っ込んだのだが……彼女はそんなこと関係ないといわんばかりに激しい感情を向けてきた。

(いつもなら、こんなに怒ることはないんだがなぁ……)

 幼なじみの俺に対しても敬語を使うように、ロゼッタは本来、物腰柔らかな女の子だ。
 配下の者にも丁寧に接し、理知的で聞き分けも良い。

 そんな彼女が、まさか仕事を放り出してこっちにやって来るとは俺としても予想外だった。

「実を言うと、お城を出た後……一度考え直して、水晶玉で元帥たちに連絡を取ったんです。クロノを追放しただなんて、何かの間違いだと思って。仮に本当でも、撤回されれば私はクロノを連れてお城に戻ろうと思っていました。……だというのに、私の言葉を聞いて、彼ら何て言ったと思います!?」

「いや、わからないな」

 ……だいたい予想はできるけど。

「私がクロノにたらしこまれたとか、たぶらかされたとか! 人間がどれだけ狡いかを延々と説いて、挙句の果てにはクロノを重用したお父様まで非難する始末! 本っ当に腹が立ちます! あなたがどれだけ魔王軍に貢献したかも知らずに!」

「そこは過大評価だと思うけどなあ……」

 俺のつぶやきに反応せず、ロゼッタはくるりと背を向けた。
 それからわなわなと震えた後、もう一度こちらに向き直る。

「だから私、決めたんです。クロノのことを評価しない魔王軍なんて、こっちから捨ててやるって。これからはこの村で、私とクロノの二人だけで、新たな魔王軍を作ってやるって!」

「……おいおい」

「そういうことで、しばらくはこのお屋敷に住まわせてもらいますから! 戻るとしても、元帥たちが謝ってきて、あなたといっしょじゃないと帰りません! その点、どうか覚えておいて下さいね!」

 そう言った彼女の瞳には、決意の炎が燃えていた。
 何だかわからないが、これまでにない意思の強さを感じ、今すぐ説き伏せるのは無理だと理解する。

「……まあ、しょうがないよな。君は魔王だし、俺には君の決定を左右できる権限はない。謹んで従わせていただきましょう、魔王陛下」

 俺は冗談めかして彼女にかしこまる。

「それで……えっと、今夜からここに泊まることになるわけだけど……。お、お部屋の空きって、あるのかしら……?」

「そりゃあ、もちろん。広さだけは十分にあるから、好きなところを使ってくれていいよ」

 急にいつも通りの控え目な口調に戻るので、思わず笑ってしまった。

(ま……今は気が立ってるだけだろうから、二、三日もすれば普通に帰るだろうな……)

 なんだかんだ言っても、彼女はまだ子供なのだ。
 魔王としての体裁もあるし、一晩寝れば頭も冷えるに違いない。

 そう思い、この場は逆らわないことにして、俺はロゼッタに屋敷内を案内してやった。

 しかし、この時は勢いに任せて言っただけだと思っていたのだが──後日、新魔王軍結成の考えが本気だと知り、俺は大いに慌てることになるのである。