「おのれえっ! おのれおのれおのれおのれ、裏切り者どもがあぁっ!!」

 空魔元帥は怒りのままに叫び声をあげた。
 彼の手元の報告書には、中央の魔族たちが続々と都を脱出している旨が記されている。
 今や王都はネズミが逃げ出す穴の開いた泥船だ。
 ロゼッタの言葉を聞き、彼女に感化された民たちは、ためらいなく都での生活を捨て、彼女のもとに向かうことを決めたのだった。

「何故だ……何故こうなってしまったのだ……!?」

「いや、まだだ! ロゼッタと四天王の馬鹿どもを倒せば、覇権を手にするのは我ら三元帥ぞ!」

 弱気になる海魔元帥に陸魔元帥が発破をかける。
 しかし、三元帥の三人ともが、もう挽回しようがないほど追い詰められた状況にいることを自覚していた。
 支配するべき民が逃げてしまえば覇権も何もない。
 そもそも当初の時点から、人々は魔王であるロゼッタにこそ忠誠を誓っていたのに、そこをおろそかにして彼らは目先の利益ばかりを追い求めていた。
 その時点で、勝ち目などなかったのである。

 もはやどうにもならない状況だったが、負けを認めれば破滅しかない三元帥は、何か策があるはずだと必死で食い下がる。
 と、そこへ竜族の将帥ラグナ・グレインが部屋に入ってくる。

「いやはや、お三方とも。どうにも散々な状況ですなぁ」

 慇懃無礼。上っ面のみを繕ったその言葉は、どう考えても三元帥を見下し、馬鹿にするものだ。
 ラグナは口元の笑みを隠そうともせず、楽しげにパンパンと手を叩く。
 元帥たちはそのような態度を許容できるはずもなく、彼の言葉に怒りを見せた。

「貴様っ……我らを愚弄するか!」

「いくら同盟国といえど、無礼な真似は許さんぞ!」

「だいたいここへ何しに来たのだ! 貴殿は前線指揮官として、軍務にあたっているはずであろう!」

 三元帥は罵りの言葉をぶつけるが、ラグナは気にする様子もなく、笑って言う。

「ははは、そうすごまんで下さい。我々もあなたがたの勝利のために最大限の助力をしているのですから。すべての兵士に行き渡るよう、かなりの数の竜鱗を貸与してあげたのをお忘れですか?」

「馬鹿がっ、まさに今問題になっているのは、その竜鱗とやらではないか!」

「聞くところによると、竜鱗は触れた者の正気を失わせると聞くが……ラグナ殿、それはまことのことか!?」

「返答によってはドラグニアとの同盟関係を、いや、今ここで貴様を処分するのもやぶさかではないぞ!」

 ラグナはそれらの詰問に、「ほう」と、わざとらしく驚いて返す。

「いやいや、そんなわけあるはずがないでしょう。『竜鱗に触れた者は精神に異常をきたす』……でしたっけ? その噂はいささか間違っておりますな。だいたいあなた方も先日触ったでしょうに。そう、正しくは──」

 そこでラグナはニタリと口の端を吊り上がらせる。

「『長時間触れ続ければ発狂する。ただし、私の鱗(・・・)に限っては、たとえ一瞬触れただけでも私の操り人形となってしまう』──ですよ」

 彼はパチンと指を鳴らす。
 直後、三元帥の脳髄に、電撃のような激痛がはしった。

「──なっ!?」

「がっ……!」 

「ら、ラグナ、貴様っ……!」

 背中に太い杭を刺されたように身体が動かない。
 同時に三人の皮膚のあちこちから紫色の魔素が染み出し、身体中を侵食してゆく。

「いや、何と言いますか。まったくもっておめでたい人たちだ。いくら同盟を結んだとはいえ、与えられた物を鑑定すらしないのですから。お察しの通り、竜鱗には精神汚染の魔素が含まれていますよ、それも大量にね」

「な……何だとっ……!」

「これほど早く兵士たちが逃げてしまうのは想定外でしたが……残った魔王軍の者たちは、私が有効活用してさしあげましょう。そう、あなた方ご自身の身体も含めてね」

「な……が……あっ……!」

「が……うぐぁっ……あぐっ……!」

 もはや三元帥は恨み言を述べることすらままならない。
 ラグナが今言った通り、魔王軍に貸与された竜鱗は、ハシュバール同様に精神汚染をきたす魔素が含まれていた。
 そして、そのうちの一部、元帥たち幹部クラスに与えられる鎧は、ラグナ自身の鱗が使用された特別製である。
 竜族は人間の姿と竜の姿、両方の形態を持つ。
 竜族の将として無類の力を持つラグナの鱗は、ほんの少し触れただけで彼に支配されてしまうほどの強さを秘めていた。
 強靱な精神力を持つ者ならいざ知らず、老いさらばえた元帥たちにとって、その魔素に抗う力などなかったのだった。

 三元帥の精神は魔素に覆いつくされ、まもなくして彼らの自我は粉々に消え去ってしまう。
 床に倒れ込んだ三つの老体を興味なさげに眺めながら、竜将ラグナはぼそりとつぶやいた。

「こいつらはともかく……新魔王軍の方は、少々やっかいかもしれないな。特にあのクロノとかいう人間の男……万全を期して、私自身も出る方が確実かもしれん」