「クロエ。貴様は底意地が悪く禍々しい。その気質、人徳、聖女に非ず。追放を命じる」
「もっと早く言ってほしかった」

 クロエが教都の大聖殿に送られて、10年目のことだった。


 聖ルミエーラ教国。
 いまから約千年前、魔物の増殖、人類の増加によって発生する毒気が世にはびこり、生き物に影響を及ぼすようになった。
 これを聖なる光を宿した大聖女ルミエーラに清められたことで、世界は正常を取り戻した。

 千年が経過した現在、聖ルミエーラ教国の教都には大きな聖殿が建造されていた。
 そして各地から『光の粒』を生成できる子女が聖殿入りをする。
 貧民、平民、貴族、そこに隔たりは存在せず、資質を認められた者は一同に大聖女の夢をかかげる。

 彼女らは、聖女候補、聖女と呼ばれた。

 光の粒とは、聖なる光をもってうまれた少女が、手から作り出すことができる清めの珠玉である。
 所持すると体内に吸収された毒気を清め、心身を健やかに保つための必要不可欠なものだ。
 それは5歳〜10歳の資質ある少女の手から自然と表れ、光の粒だと確認されれば教都の大聖殿に招かれ聖女候補としての暮らすことになる。

 クロエの手に光の粒が発生したのは、8歳の頃。
 例に漏れず平均的な時期の発現だった。


 クロエは聖ルミエーラ教国の最西端、大聖殿が管理する孤児院で暮らしていた。
 しかし、国の中心部から離れるほど管理が行き届くなるというのはよくある話で、クロエの環境もなかなかに劣悪だった。
 
 月々の費用をかすめ取る院長や施設員、与えられる食糧は極小量であり、それを孤児同士で争奪するので関係性も最悪だ。
 争いごと……もとい面倒ごとを好まないクロエは、幼いながらに知恵を働かせた。
 コソコソと物騒な町にまぎれては酒場の皿洗いをして、繋ぎの仕事で娼婦宿の後片付けも率先しておこなった。それが5歳の頃である。

 少ない賃金だったが、何とか生きのびていた。
 そして8歳になると同時に光の粒が出たので、早々と教都の大聖殿で聖女候補となったのだ。聖女候補を輩出したということで孤児院は報奨金を受け取ったが、その後すぐに潰れたらしい。


 聖女候補になると、まずは大聖女ルミエーラがどれほど偉大な存在だったのかを毎日毎日語られる。次に聖女の何たるかを説明され、文字はそのあとから習う。
 幼い聖女候補はやれることも少ない。
 半日は体内をめぐる聖なる光を安定させるための精神統一、残りの時間を祈祷して過ごす。だいたい3年もすれば立派に染まると思う。

 それを経てようやく光の粒を意識下で作り出す練習にはじまる。
 透明な輝きが強いほど純度が高いが、幼い聖女候補たちが作り出す光の粒はほとんどが乳白色に染まっていた。

 純度の高いものは決まって上級貴族や諸外国の王族、皇族の手に渡った。聖をいくつもかかげる大宗教国家だが、結局はお金である。
 それでも教国民の反発はあまりない。
 教国民の特権として、聖女候補や聖女らが生み出した完璧ではないものの、数多くの光の粒を他国民より優先的に手にすることができるからだ。

 こうして世界は、聖ルミエーラ教国と、聖女と、光の粒を中心に回っている。
 しかし、聖女の数も光の粒も限りがある。
 自分の生まれた国以外を知らなかったクロエは、光の粒がうまく行き渡らない国の状況など、知りもしなかった。


 ***


 聖官長から追放を命じられてしまった。
 簡単にまとめると「総じてお前は聖女にふさわしくない」とのことらしい。
 聖殿入りをして10年、聖女の称号を賜って6年。ふさわしい云々を見極めるのならもっと早くにして欲しかったとクロエは思う。

(聖儀を怠ったことはない。むしろ貴族以外にやる気を出さない同僚に代わって、規定参席数(ノルマ)より多く出ていたのだけど)

 それも公平を期すため聖女は公務の際に顔をベールで隠すので、クロエが他より出ていると知るものはいなかった。
 クロエに代わってもらっていた同僚聖女たちは皆して「予定通り参席し務めを果たした」と嘘の申告をしていたからである。

 クロエはどの派閥にも属していなかった。面倒だからだ。
 上層部に気に入られるための努力もしていなかったので、「証言は取れている。職務を放棄して怠けていただろう!」と上層部はほかの聖女たちの都合の良い証言を信じてしまった。

 大聖女ルミエーラは尊敬しているけれど、他信仰者や無宗教者を蔑むような心根は育たなかった。色んな意味でクロエは大聖殿内で異質な存在だったのである。

 クロエを敵視していた意識高い同僚聖女が上層部にないことを色々吹き込んだ結果、クロエはあっという間に追放処分となってしまったのだった。

 そう簡単に聖女を追放して大丈夫なのかと、その辺が気になったクロエだが、追放の際には聖なる光の返納の儀式とやらをおこなった。なんでも体内から聖なる光の源を生み出す核なるものの機能を停止するという、クロエにはよく分からない儀式だったが、無事にその儀式が終わったので身一つで放り出された。

 この返納の儀式、クロエには全くといっていいほど効いていなかったのだが、追い出される間際に「聖殿の汚点が! 役立たずなお前の食事だけ量を減らしていたが、その少量すらも無駄だったな」と聞き捨てならない暴言を吐かれたので黙っていることにした。

(ゆるさない。絶対にゆるさない。どおりでお腹が減ると思った。食べ物の恨み、一生呪いをかけてやる)

 と、言われた直後は息巻いていたけれど、少し歩いて外の景色を眺めていたらそんなことどうでもよくなった。
 クロエも聖殿敷地内にある果樹の実を無断で食べていたので、おあいこである。

「これからどうしよう」

 色々考えた結果、クロエはとりあえず南に向かうことにした。
 ここよりずっと暖かそう、という理由だった。

 のらりくらりと、歩いていく。クロエの生まれつきの適当さと図太さゆえに、追放されても悲観に暮れる瞬間は一度もなかった。



 聖殿から支給される衣服類は、どれも質素だが生地がしっかりしている。クロエはローブを売って資金を調達(贅沢しなければ三ヶ月は余裕で暮らせそう)し、安くてボロいローブと手袋に替えて南を目指した。
 女だと知られたら変な輩に絡まれることもあるので、常に頭巾を被って話すときは老婆のようなしゃがれた声で乗り切った。ちなみにクロエの特技は声まねだ。

「おやおや、一体どうされました若い人」

 すっかり老婆が板についてきた頃。
 そろそろ国境というところで、傷だらけの若い青年二人を発見した。
 きっと魔物にやられたのだろう。
 クロエは自分用に光の粒を生み出して魔物避けをしていたけれど、彼らからは聖なる光の気配を感じない。おそらく持っていないのだ。

 見殺しにするのは夢見が悪いので、クロエは二人を治癒することにした。
 治癒といっても、持っていた光の粒を傷口に当てるだけ。
 光の粒はすうっと音もなく傷口に溶けて消えてゆき、すぐに肌の再生が始まった。
 顔にも魔物の血が付着していたので、近くの川で濡らした布を肌に当てて拭いてやった。

「……んっ、これは一体……」
「目を覚まされましたかな。お連れの方はまだ眠っておりますぞ」
「……。もしや、貴方が助けてくれたのかい?」
「ひゃひゃひゃ、助けたというほどのことでもありませんぞ」

 まず最初に目覚めた青年は、どえらい色男だった。
 聖殿でも容姿端麗な貴族子息はよく見かけていたけれど、彼らが見劣りするくらいに美形である。

 次に、もう一人の青年も目を覚ました。
 少し目の細い、こちらも綺麗な顔をした美形だ。

「ギル、ご無事ですか……!?」
「ロー。俺は大丈夫。こちらの老婦人が命を救ってくれたからねー」

 水も飲んで少し状態が落ち着いたのか、ギルと呼ばれる紫髪の色男は軽口混じりにそう言った。
 黒髪直毛のローは、ギルの様子に心底安堵したあとで、クロエに向かって深々と頭を下げてきた。

「この度は命を救ってくださり本当にありがとうございます」
「なに、気になさりますな。前途ある若者に手を差し伸べるのも、老い先短い年寄りの善行というものです」

 すっかり老婆になりきっているクロエは、それからギルとローの事情を軽く聞いた。
 二人は隣国オルタリアの者(一応クロエが目指していた国)であり、目的があって教国に滞在していたという。それが終わって帰路に着く途中、運悪く凶暴化した魔獣の大群に遭遇。すべて倒すことはできたのだが、体力がだいぶ削られたため木陰で休んでいたらしい。

「それは災難でしたな。中心部とは違い、国境は大聖殿の保護も薄くなっておりますから」
「ああ、参ったよ。でも、貴方には悪いことをしてしまった。あれだけの傷を完治させてしまえる珠玉、俺たちに使ってしまって」

(珠玉……ああ、光の粒のことね)
 近隣諸国は、光の粒を珠玉と呼んでいるのを思い出した。

「構わん構わん。若者が心配しなさんな」
「いやいや、なにも恩を返さないというわけにはいかないよ。それは俺の義に欠けてしまう」

 ギルは見た目は軽薄そう……と言ったら失礼だが、華やかな容姿や言葉口調が相まってそのような印象を受ける青年だったが、礼儀をしっかりわきまえた人物らしい。

 とはいえ恩と言われてもな、と考えていたら、近くの茂みがガサガサと動いた。

「あ」

 振り返ると、そこには目を血走らせた魔獣がいた。
 しまった。二人の治癒で手持ちの光の粒を全部使ってしまったので、魔獣避けができていなかったのだ。

「グルルルル」

 魔獣は唸り声をあげると、クロエに狙いを定めて飛びかかってくる。
 反射的にぎゅっと目を瞑った。しかし、いつまで経ってもくるであろう痛みがやってこない。代わりに肩を強く引き寄せられ、目を開けて確かめるとギルが魔獣の口元に剣を刺しているのが見えた。

 ギルは、すんでのところでクロエを守ってくれていたようだ。

「怪我は?」
「いいや、なんとも。どうもありがとうね」

 これで貸し借りは無くなったのでは、とクロエが考えていると「ギルバートさまー! ご無事ですかギルバートさまぁあーー!」というとんでもない声量が飛んできた。
 クロエが来た道とは反対側の方に目を向けると、何やら仰々しい馬車がものすごい速度で近づいてきている。

 色男・通称ギルの本名は、ギルバートというようだ。


 ***



 ギルこと、ギルバートは、偉い人らしい。たぶん。
 馬車で迎えに来た人々の反応といい、ローの接し方といい、国境をすんなり通り抜けられたことも一般人とは違う。

 しかし、クロエは下手に突っ込むことはなかった。
 こうして一緒の馬車に同乗させてもらい、無事に目的の場所であるオルタリア国に来ることができたのだ。悪いようにするつもりも相手にはなさそうだったので詮索は必要ないと思った。

「ところで、貴方の名を聞いてもいいかい」
「私は、クロエ。一応旅人さ」
「クロエ、素敵な響きの名前だ」

 老婆と偽っているクロエにむず痒い言葉をかけるところを見るに、ギルバートは女性であれば誰にでも紳士的に振る舞うタイプの男のようだ。

「では、クロエ。命を救ってくれた礼にはほど遠いが、貴方の行きたい場所を教えてくれればそこまで送っていくよ」
「行き先は、特別決めていないんだよねぇ」
「決めていない……?」

 同じく同乗していたローが、驚いた顔をしてクロエを見返す。

「色々あって教国を出ることになったんだが、ひとまず南に行こうと歩いてきたのさ。なんならお二人の目的地で下ろしてくれたらそれでいい。国境を簡単に越えられたんだ、これ以上の礼は必要ないよ」
「しかし、ご老体にはいささか厳しい旅ではありませんか」
「ああ。毒気のせいで人も魔物の気が立っているし」

 心配そうな面持ちのローと、頷くギルバート。
 彼らから悪意は一切感じないので老婆が偽りだったことをバラそうとも思ったが、ここまできていきなりそれもどうかと悩む。

「私は大丈夫さ。心配してくれてどうもありがとうね」

 結局、クロエは自分の素性などは明かさずに、彼らの目的地であるクウォーツダット領に到着した。
 クウォーツダット辺境伯が治め、それほど遠くない位置にあるそこは、オルタリア国内でも毒気の影響をかなり受けている土地だと、ギルバートは教えてくれた。
 二人は最後までクロエを気遣っていたが、ひとまず一人で散策したいし宿も見つけたいからと言って、クウォーツダット領の中央街で別れた。


 クロエはオルタリアの様子を見て驚愕した。
 教国とは違い、あきらかに毒気が色濃く漂っているからだ。

 そして領民は光の粒を持ち歩いている気配もするのだが、それはかなり粗悪な……気休め程度の効力しかないものであることが分かる。

 さっそく予算内の宿屋を見つけたクロエは、一階の酒場で食事を摂るついでに、頭痛に悩んでいるという女将に事情を聞いてみた。

「この辺りには、光の粒があまり流通していないのですか?」
「あまりどころか、全くないよ」
「だけど、隣の教国で聖女が生成していますよね」

 女将は少し難しい顔をして、ため息を吐いた。

「教国は金のない国を相手にしないよ。こっちを下手に見てるからね。一応、国も交渉はしてるみたいだけどね。手に入ったってどうせ質の良いものは辺境に届けてくれないよ」
「……そんなに、ひどい状況だったんですね」
「あんた旅人だろ? こんなこと言っちゃ商売にならないけど、あまりこの領地に長居しないほうがいい」
「毒気がひどいからですか?」

 それもあるけど、と言ったあとで、女将は耳打ちしてくる。

「ここは別名、暗黒領地とも言われるくらい荒くれ者が多い場所だ。なんでも大昔は闇社会を牛耳っていた大ボスが、辺境伯の爵位を貰って治め始めた場所でね」
「闇社会?」
「麻薬密売、賭博、高利貸し、殺人、誘拐、売春、恐喝、密輸。なんでもありの犯罪者集団さ。その名残りで、今もいくつかの一族がこの領地にはいるんだよ」
「うわあ」
「もちろんクウォーツダット領主である辺境伯様が厳しく治めているから、よっぽどのことがない限り領民に危害は加えないけど……それでもこの場所には絶対に近寄っちゃいけないよ」

 女将はカウンターの中から街の地図を取り出した。
 大きくバツ印がついてある場所には、暗黒街と書かれている。

「これが、暗黒領地といわれる所以さ。中央街の端にあるこの暗黒街には、さっき言った昔の名残でたくさんの荒くれ者集団がいる。領主様以外が入ったら命の保証はないから、気をつけるんだよ」
「わかりました」

 頷くクロエに、女将は「本当に分かってるのかい? なんだか心配になるねぇ」と言って地図をくれた。
 暗黒街。昔の名残りも理由の一つだが、おそらく毒気が多く発生しているのもそう言われる所以なのだろう。

「女将さん。教えてくれてありがとうございます。ところで、光の粒……珠玉を持ってますよね?」
「よく分かったね。一応ほら、これは身につけているけど」

 女将が取り出したのは、ブローチ型のアクセサリーだった。
 真ん中にはめ込まれた乳白色の石。これが光の粒である。
 しかし、これもほとんど効果が切れてしまっていた。

 クロエは少しそれを貸してもらい、聖なる光を中に込めた。
 一瞬だけ淡い光を放ったが、女将からは見えないようだった。

「見せてくれてありがとうございます。流通はないと言っていましたけど、これはどこで買ったんですか?」
「ああ、これはね。領主様がわざわざ教国に出向いて自ら取引して買い取ったものだよ。そうでもしないとあたしらの手に届かないからって言ってね」
「領主さまは、とても領民思いなんですね」
「そりゃもう。ギルバート様は、お若いのに大した御方だ。だから暗黒街の奴らも領主さまの言うことは聞くし、あたしら領民もこの土地を離れ難いんだ。どんなに最悪な環境でもね」
(ギルバート……)

 その後、食事を終えたクロエは、女将に少し出かけてくると行って街散策を再開した。
 街ゆく人は皆顔色が良いとは言えない。それでも何とか活気を出そうと笑顔で頑張っていた。

 話しかける領民の誰もがよそ者のクロエにもとても好意的だ。
 毒気で気が立っている人間もちらほらいたが、道を聞けば全員が親切に教えてくれた。

 この街の特産物であるジュラという果物に目がとまる。大神殿の貢ぎ物の中で、クロエが一番気に入っていたものだ。大袈裟ではなく食事は毎日それでもいいと思うほどに大好きだった。
 クウォーツダット領の特産だったとは初めて知った。

「もったいない。素敵な場所なのに」

 晴れているのに、景色はほんのり霧がかかったようにどんよりとしている。目に見えるほどの毒気が充満しているせいだ。

「そうだ」

 クロエは頭巾を深く被った。
 それから手袋を外して、ぎゅっと拳を握って力を込める。

 クロエの手のひらには、何色にも染まっていない透き通った光の粒がたくさんあった。
 陽の光に反射して時おり虹色の光彩を放つそれらを、クロエは――ポイッと地面に投げ捨てる。

 光の粒は、雪が地面に落ちて溶けるように、あっという間に消えて無くなった。
 クロエは光の粒を生み出して撒き、生み出しては撒くことを繰り返しおこなった。

 
 ***


 ぱらぱら、きらきら。
 その日も、人知れずクロエは光の粒を撒く。

 ぱらぱら、きらきら、ぱらぱら。
 今日もまた、種まきのごとく。



「クロエ……!!」

 光の粒をばら撒いて三日目。
 呼び止められて振り返ると、そこにはギルバートの姿があった。

「ギルバート、こんにちは。あの日以来ね」
「え? ああ、そうだね……ん?」
「そんなに慌てて走ってどうしたの?」
「俺はただ、街で小石を撒いているよそ者がいると聞いて見に来たんだ。ローブや背丈の特徴でもしやと思ったが、やっぱり君のことだったのか」

 クロエはこの街の人間から「石撒き婆さん」と密かに恐れられていた。
 恐れられている最たる理由は――その小石が、珠玉のようにも見えたという報告が相次いだからだ。
 よく分からない人間が貴重な珠玉を惜しみなくばら撒いていることに、街の人間が興味を通り越して畏怖したのである。

「貴方は一体、なにをやってるんだい?」
「……。光の粒をね、撒いて清めていたの。ここは毒気が濃いから」
「どうしてそんなことを貴方が」
「しばらくこの街で過ごそうと思ったから、私にできる範囲のお清めでもしようかと」

 ほら、と手に乗った光の粒をギルバートに見せる。
 彼は目を丸めてクロエの手を取った。純度の高い光の粒にも驚いていたが、それよりも皺のない手のひらを凝視していた。

「クロエ……貴方は、いや君は……何者なんだ?」
「ああ、そっか。忘れてた」

 クロエもそこでようやく思い出した。
 ギルバートには老婆と偽って接していたことを。

「ごめんなさい、ギルバート。あの時はお婆さんのフリをしていたんだけど、私まだ十代なの」

 顔をすっぽり覆える頭巾を外すと、クロエの素顔が晒される。
 大きな瞳とうす茶色の髪。少し大人びた顔立ちのクロエは、無表情から一変、ふわりと穏やかに笑った。

「ところで、敬語の方がいいのかな。ギルバートって領主さまなんでしょう?」

 ということは、相手は貴族だ。
 大聖殿にいた頃は敬われる立場であったクロエは、彼に対する言葉遣いを直すべきか問う。
 ギルバートはそれどころではない様子で、クロエを見つめていた。

「君は、もしかして……大聖殿の木に登って叱られていた、あの聖女……?」
「私のこと、知ってるの?」

 ギルバートは以前、先代に連れられ光の粒の件で直接交渉しに大聖殿を訪れた際、果樹の実を摘み取っていたクロエを見たことがあるのだという。
 そのときクロエは、公務ではないからといって顔を隠すためのベールを脱いでいた。
 どうやらその場面をばっちり見られてしまっていたようだ。

「認知されている聖女とは少し印象が違う……面白い子だと思ってずっと覚えていたんだ。まさか、あの子とクロエが同一人物だったなんて」
「こんな偶然もあるんだね。実はあのときこっぴどく叱られたから、その記憶しか残っていないんだけど」
「……ああ、そうだね」
「どうしたの、ギルバート。顔がちょっと赤いけど」
「え、そうかな。そうか、いや、そうかもしれない」

 ギルバートは手を口元に当てて明後日の方向を見つめていた。


 ◇◇◇

『あなた、見ない顔ね。新しい聖官見習いの人?』
『……ちがうけど。君は、どうしてそんなところに登っているの?』
『この実が食べたかったの。本当はね、ジュラっていう果物が一番好きなんだけど、あれは隣の国にしかないからあまり食べられないの。だから代わりにこの実。ちょっとだけ味が似ているから』
『ジュラなら、今少し持っているよ』
『え、本当?』
『この袋に――』
『こらクロエ! 貴様はベールも脱いでそんなところでなにをしているんだ!!』
『あ、見つかった。あなた、ここは関係ない人が来たらダメな場所なの。この道をまっすぐ行くと来殿者通路に出られるから』
『わかった。袋はここに置いておくから』
『ありがとう。なにかお礼ができたらいいんだけど……あ、これ。はい、受け取って』
『わっ、急になに……これって、珠玉?』
『本当は許可なく生成したら怒られるんだけど、少し試してみたくて。そうしたら、ダイヤモンドみたいに綺麗な粒ができたの。あなたにあげる』
『こんなに純度が高い珠玉……』
『あ、ほら! 鬼がくるから早く行って!』


『――ギル、待たせてすまないな。ん、どうしたんだ、惚けた顔をして』
『おかえりなさい、父さん。すごく、可愛らしい子に会いました。木登りが上手な、面白い子です』


 ◇◇◇



 その後、クロエはクウォーツダット領で小さな商売を始めた。
 光の粒を加工した装飾店である。

 元々、光の粒の販売を考えていたのだが、女将に見せてもらったブローチ型の光の粒を目にして興味を持ったのだ。

 援助を申し出たのは、クウォーツダット領主であるギルバートだった。
 クロエが聖女だと知っている彼は、領主として忙しいにも関わずよくクロエに会いに来てくれた。

 光の粒を使った装飾店ということで、高価だと思われがちだが、装飾部以外は実質無料であるため、良心的なお値段で提供することができていた。
 店の護衛や警備を請け負ってくれたのは、暗黒街にいる腕っ節の強い若者だった。そのため、装飾店を襲う馬鹿は一人も現れず安全に商売ができた。

 もちろん、お清め活動も忘れていない。
 毒気がしつこく蔓延っていたクウォーツダット領は、薄暗い霧が晴れ始めて領民の顔も明るくなってきた。

 お清め活動にも同行してくれるギルバートは、いつもクロエに親切に接してくれた。
 ギルバートのことを生まれたときから知っている領民たちは、ギルバートが街に現れると「坊ちゃん、あんまり働きすぎんなよ!」と親しげに声をかけてくる。
 女将が言っていたとおり、ギルバートは領民に好かれていた。
 
 ギルバートはよくクロエを食事に誘ってくれる。
 クロエお気に入りの宿屋の一階にある酒場。そこで一緒に夕食を食べていた。

「ギルバート。よくここで私と食事を摂ってくれるけど、大丈夫?」
「ん、なにか問題が?」
「貴族様って、婚約者とかいるから。そういえば、ギルバートにはいない?」
「いたら君を食事に誘っていないよ。それに……いや、なんでもない」

 酒を一口飲んだギルバートは、途中で言葉を濁してしまう。
 そこへ、女将が新しい料理を運んできた。

「こんなに色男なのにもったいないねぇ。聞いてよクロエ、領主様ってこう見えて、初恋を引きずっているんだ」
「初恋?」
「ははは! 領主様を小さい頃から知ってる俺らからしたら、耳にタコってくらい聞いた話だな」

 カウンターで酔っ払っていた数人のおやじが、少しからかうように言った。

「ああ、先代領主様とここへ来たとき、えらく騒いでいたよな。木登りがうまい子がいいって。俺らからしたらなんだそらって感じだったが」
「一目惚れってやつだよ。先代が言っていただろ? どっか遠出したときにたまたま見かけて、可愛い子だったから心奪われたんだよ」
「そうだったか。しかし、いまだに婚約者もいないってことは……実らなかったってことか……」
「君たち、酒をあおるのはもう止めたほうがいいね」

 ギルバートはにっこりと笑みを作り、おやじたちのほうを向いた。
 彼らは「やべっ」と肩を跳ねさせると、ギルバートの圧に負けて押し黙る。

 クロエは、じいっとギルバートを見据えた。


「………………なに?」

 酒を飲んでいるからか、ギルバートの頬は照れたように赤い。
 じろっと横目にクロエを目にして、気まずそうにしている。

「木登りがうまい子が、好きなの?」
「それなりにね」
「ふーん。もしかしてそれ、私のこと?」
「っ」

 ギルバートは勢いよくむせた。
 いつもスマートな物腰のギルバートには珍しく、振り回されたような様子だ。


「まあ、そうだけど」

 照れ隠しなのか、ギルバートは片手で顔を覆うようにしてこちらを見てくる。
 ほんのりと瞳が潤んでいるような気がして、クロエはおかしそうに笑った。

「私もね、ジュラをくれるような人が好きだな」

 それがとんでもない殺し文句になっていることを、クロエはなんとなく察していた。

 クロエがこの土地に留まる理由が、また一つ確実にできた瞬間だった。





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ありがとうございました。
種まきのごとく粒をばら撒いてお清め活動する聖女を書きたかっただけのお話。

純度の高い(透明度)光の粒を生み出せる聖女は大変貴重ですが、大聖殿にいた頃、クロエは自分が貴重な存在という自覚はなかったです。
無意識に同僚と同じ純度の光の粒を生み出していたので、大聖殿では結構下位の聖女でした。