チェリーブロッサムを頂いた夜から二ヶ月が経った。
 私は『金曜日の二十四時は、喫茶・ワイドハートに行くこと』が習慣となっていた。
 その度に、灘店長は喫茶店に泊まらせてくれるけれども、これといって何事もなく。
 美味しい食事とカクテルを頂いて、灘店長とお喋りして深夜を過ごす。客と店長の、他愛もない時間を満喫していた。
 
 私は勤務先の、ローゼス化粧品松山支店オフィスで勤務している時にも、喫茶・ワイドハートの事を考える。特に、金曜日となると、今日のメイクはどうしようか?などと考えてしまう。
 金曜日の二十四時から。灘店長と過ごす時間は、私にとって癒しの時間となっていた。
 しかし私は、相変わらず颯君の仕事のサポートをしている。が、少しも凹んでいる様子がない私を間近でみる颯君は、何かが面白くないようだ。
 「蜜実?ちゃんとしてくれないか?資料が大雑把で詳細が解りづらいんだよ。」
 颯君は唐突に、私が作った資料をつき出す。いや?何時も「俺がプレゼンで説明を付け足せるよう、余白のある資料作れよ。」って、颯君が言ってたのに。
 嫌がらせが幼稚な青年なんて、残念。私に対して責任取れなかったのに、仕事で掌を返す颯君には幻滅した。でも、私は化粧品の仕事を続けるしかない。
 早く、金曜日の二十四時にならないかな。この愚痴、グチりたい。
 夜の二十四時を意識するなんて、シンデレラみたいだけども、そんなに可憐な時間ではない。客と店長が唯々お喋りする時間。
 …そういえば、【他の曜日の二十四時のお客様】っているのかな?
 私は、給湯室でお茶を淹れながら、気づいた。他の曜日は全て埋まってるのかしら?
 でも、金曜日の二十四時が空いてたくらいだから、他にいて二人とかかも。
 灘店長とお喋りしに来る人って、どんな人だろう?好奇心が勝った。よし、それとなく調べてみよう。何時も以上に、灘店長をお店を隅々まで見てみよう!

 金曜日の二十四時に、喫茶・ワイドハートの扉を開ける。
 今日は、入り口に紫陽花が置いてある。
 手鞠の様に丸々と固まって花をつけている紫陽花は、爽やかな水色をしていた。
 「紫陽花飾ってるんですね。前はお花無かったのに。」
 「6月は雨で気が滅入るから、少しでも明るくしよっかなってね。」
 灘店長はそそくさとエプロンを直しながら、カウンターで出迎えてくれた。
 至近距離で灘店長を見ようと、今夜はカウンター席に座ってみる。私は、カウンターの向かい側に立っている、長身の灘店長を下から覗き込む。
 「どしたの?…そんなに見てきて。」
 微動だにしない私をみて、灘店長は焦っている。
 「そういえば、他の曜日の二十四時のお客様って、どんな方が来てるんです?」
 私は、人数くらいは聞けるだろうと、率直に聞いてしまった。
 灘店長は少し間を空けて、それから話す。
 「他の曜日は…ねぇ…。日、月、水、土、の四日は予約入ってるんだ。だから、蜜実ちゃんを入れたら五人かな。二十四時からの特別なお客様は。」
 「皆、まあ深夜に独りでも来てくれるような人達だから、個性的だねえ。ハハハ!」
 人懐っこくて裏表も無い灘店長なので、付き合える人間も同じようなタイプだろう。さすがに個人情報の詳細まで触れるような事は言わない辺りが、街の人間である。
 私以外だと、四人いるのか…。以外と多い。
 他にも、女の人とか来てるのかな?また疑問がよぎる。
 …その女の人も、「店の奥のベッド」で休んで帰るのだろうか?おかしな疑問に、私は何故かモヤモヤしてしまった。
 何かこれ以上のヒントは無いかと、店内を見渡す。カウンター内の隅の方にカレンダーが掛かっているのを見つける。
 日、月、水、金、土…灘店長が言ったとおりに、予約のある日に印が付いている。ほぼ黒丸を付けているけれど、日曜日だけ赤丸が付いている。日曜日にだけ。
 特別扱いのお客様がいる?日曜日って、次の日月曜日だけど、そんなに話せる時間あるのかな?
 でも、きっと日曜日の二十四時のお客様は、特別扱いだろう。この人が気になる。
 「どしたの?変な方向いて。あっち何かある?」
 灘店長が私の顔の真ん前に、顔を寄せてくる。
 私は驚いて「なんでもないからっ!」と、素の言葉が出る。
 「もしかして、颯君と喋ってた時って、そんな感じだったのかな?」
 カクテルを出してくれつつも灘店長は、咄嗟の私の言葉だけで鋭い察しをするので、更に驚く。カレンダー見てたことも気づいてるのでは?私は誤魔化そうとする。
 「颯君と話すとき、こんな感じだったわ。割りとフランクに話してたし、今もオフィスではそうなんだけど。」
 苦笑いしつつ、話の方向を颯君の愚痴に移して誤魔化そうと持っていく。
 「そっかそっか。颯君、まだ蜜実ちゃんに頼ってるのか…。」
 ヘラヘラ笑いつつ、灘店長は答える。
 「俺にも、気さくに話してよー。愚痴聞いてるんだし。」
 「じゃ、今からそうします!」
 なんとか誤魔化せたので、安堵する私。
 日曜日の二十四時からのお客様を、見張ってみよう。早速、次の日曜日に決行することにした。

 日曜日の二十三時四十分。そろそろ、「日曜日の二十四時の特別なお客様」が来るはず。
 私は喫茶店の近くのコンビニで、様子を伺う。
 刻々と二十四時が近づいてくる。
 と、喫茶・ワイドハートの扉を開く人が。
 パーカーにジーパン、スニーカーといった出で立ちだった。ショートカットで割りと小柄で華奢で…。
 私の心がざわつく。服装からして若かった。若い女の人だ。嫌だった。私には赤丸してないのに、この人には何でしてるの?
 幼稚な嫉妬だけれども、大人の女の嫉妬でもある。私はコンビニから出て、喫茶・ワイドハートへ行く。
 「忘れ物をした。」とかなんとか、取り繕えばいい。あの二人が、普通の客と店長の関係ならば、追い出されることなんてないのだから。
 私は強気で、喫茶店の扉を開く。
 勢いがよすぎたのか、バッと扉が開いたので、店内に居る二人が即座に、私の方を見つめる。
 「店長、ごめんなさい。忘れ物しちゃって…。」
 突然現れた私に、カウンター席に座っていた、ショートカットの若者は驚いている。
 灘店長は、いたって冷静に私を店に入れる。
 「なーんだ。蜜実ちゃんか!忘れ物とは大変だな。」
 私は、ショートカットの若者を見る。
 ショートカットの若者は、途端、灘店長に訴える。
 「おい!他の客入れて、大丈夫なのかよ!?」
 灘店長に向かって、随分と乱暴な口調である。でも、声が良い。
 私は、もっと若者を見つめる。この声、何処かで聞いたような…?
 「もしかして…、ラジオDJの中島ナカジさんですか?!」
 中島ナカジのラジオ音楽番組は、職場に流れている。それで合点がいった。
 「………、そうです。中島ナカジです…。」
 不服そうに、中島ナカジは自己紹介した。
 圧迫感も全くなく華奢な人だが、男性だ。確か二十代前半のはず。
 「…誰にも言うなよ。」
 中島さんは、私の口の前に人差し指を立てた。
 「ぜっ、た、い、に!だ!!」
 ラジオでは落ち着いた声で話す中島さんなので、本物の気の強さに辟易する私。
 「あー、彼地元の有名人だからさ。秘密にしといて?ね?」
 灘店長も頼んできた。
 「俺が無理言って、来てもらってるから。」
 だから、日曜日の二十四時は赤丸だったのか。店長のお気に入りは、ラジオDJの中島ナカジさんだった。
 「偶々来店してくれた時にね、無理言って頼んだんだよ~。ファンだから!」
 「そういうことなんだよ。」
 中島さんは、鋭い目で私を睨む。
 私と中島さんは、険悪なムードになっているが、すかさず灘店長のフォローが入る。
 「そうだ!時間あるなら食べていってよ!今日は俺の奢りだからさ。」
 「いいんですか!やったね!」
 私は喜んだ。当たり前のようにカウンター席に座って、特別メニューを待つ。
 「今日は中島君がしたオーダーで出すからね。」
 何時も通りに鼻歌を歌いながら、灘店長は厨房へと行く。
 私は、中島さんの隣に座っていた。
 中島さんは、ゆっくりと私の方を見て、「ふーん…。」と言葉を漏らす。そして、厨房の方にそっぽを向いた。
 私と中島さんの間に微妙な空気が漂っているが、やり過ごすしかない。
 「お、待、た、せ!」
 陽気な灘店長が帰ってきてくれて、安堵する私。
 「特別メニューは、【鯛茶漬け】になります。」
 二人の前に差し出された鯛茶漬け。
 熱々の白ご飯に、これまた熱々の緑茶がかかっている。ご飯の上にはプリプリと身が引き締まった真鯛の刺身がのっている。刻み海苔とアラレに新鮮な山葵を合わせれば、最高の鯛茶漬けとなっている。
 「うー、コレコレ。」
 美味しい鯛茶漬けを前に、中島さんは上機嫌になり、割り箸をパチリと割って、即座に鯛茶漬けを食べ始める。
 「御代わりするからな。」
 そう宣言して、豪快に鯛茶漬けにかぶりついている中島さん。食レポもするのかな?美味しそうに食べるなぁ!
 私も負けじと。
 「頂きます!」大きくカプリ。
 口の中で、鮮度の高い鯛の身と、上品で奥深い味わいのお茶漬けの味がハーモニーしてる。
 やっぱり、灘店長の料理は最高ね!
 夢中で食べる私達をよそに、灘店長はカクテルを持ってくる。
 「今夜はね、これどうぞ。蜜実ちゃん。」
 黄金色がグラスに揺らめいて綺麗なカクテル。
 「ロブロイっていうんだ。どうぞ。」
 私はグラスを持ち上げて、飲む。
 灘店長と中島さんが私の方を見てきて、変に緊張する。
 「あれ?中島さんは飲まないんですか?」
 「俺は別の店で飲んだんで。だから茶漬け。」
 中島さんは、ぶっきらぼうに答える。
 …そうだよね、今日は中島さんがお客様の日なんだし…。
 中島さんは私がグラスを持ったまま硬直してるのを見て、カウンター席を立つ。
 「今日は別の店で沢山飲んだから、帰るわ。」
 そういって微笑むと、振り返らずに店を出た中島さん。
 灘店長は引き留めることなく、見送る。
 「蜜実ちゃん、これからどうする?今日は平日だけど…。」
 私と灘店長は、見つめ合う。
 カウンターに置いたグラスの氷がカチャンと崩れる。
 私は、意を決して告げる。
 「灘店長…!私と付き合って下さい!!」
 勢い任せに告白する。灘店長は、呆気にとられている。
 沈黙する灘店長。
 「…今日は何処かビジネスホテルで仮眠をとるんだよ。」
 レジからお札を取り出して、私に渡す灘店長。
 「じゃ。次の金曜日の二十四時に来てね。」
 私は優しく灘店長に店の外へと出された。
 カチャリと鍵が閉まる。
 関係を崩してしまった。やってしまった。
 私は失意の中でビジネスホテルを見つけると、施設内の温泉に入った。
 身体は温まっても、心は冷たく冷えてしまった。
 
 カクテル言葉【ロブロイ】…貴方の心を奪いたい