春の雨が満開だった桜の花びらを天国に召していくように一気に散らし、高校二年生の春休みが終わりを告げた。
新しい学年になる毎年この時期のソワソワとした空気感が苦手だった。

「いってきます」

乗り気しないまま制服を着て学校へと出かける。
ユウミの記憶はまだ戻っていなかった。いい加減警察に、とユウミにも相談したのだが、やはり頑なに警察にいくことを拒んだ。そもそも、行方不明届などは出ていないのだろうか? 毎日テレビでニュースをチェックするも、それらしい情報は見られない。ユウミのご両親は一体どうしているのだろう。ひょっとして彼女には親がいないとか? 孤児ということもあり得るが、それにしたって施設の人が届け出ないのはおかしい話だった。
私と母は近所の人に怪しまれないよう、「親戚の子を預かっている」ということにしていた。

「私もついていく!」

玄関を出ると元気よくユウミが名乗り出てきた。

「はあ? ついていくってどこに?」

「決まってるよ、学校!」

ああ、頭が痛い……。
私はユウミに「あのね」と真正面から目を見つめて諭すように言った。

「高校に子供がいたらびっくりするでしょ。ユウミぐらいの子はみんな小学校に行ってるんだから、ついて来ちゃだめ」

「う〜結奈のケチ」

「ケチで結構」

ふん、と鼻を鳴らしそっぽを向くユウミを見ていると、なんだか妹ができたみたいで悪い気分はしなかった。

「また帰って来たら遊ぼう」

「わあい」

どうやらお嬢はびっくりするほど単純らしい。言い換えれば素直ということになるんだろう。私も、彼女みたいに喜怒哀楽を全面に押し出せたら苦労しないんだろうなーと思う。

「それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい〜」

なんとかユウミを宥め、私は学校へと続く道を一歩踏み出した。
そのまま学校までの道を一直線に進めば良かったのだが、ふとつつじヶ丘公園へと足が向いていた。横道に逸れ、誰かに手を引かれるようにして丘を登る。どうしてか分からないけれど、今すぐにつつじヶ丘公園に行かなければならない気がした。
公園に着くと、ちらほらとツツジの花が咲き始めている。しかし私はツツジの花には目もくれず、終業式の日に見つけた桜の木の下へと向かった。

「散ってる……」

昨日までの雨で街中の桜が散ってしまったように、この桜の木も例外ではなかった。桜って本当に儚い。昔から歌に詠まれるほど桜が人々の心を掴んで離さない訳がよく分かる。失ってしまったものを恋しいと思うのは万人共通の感覚なんだ。
しばらくぼうっと桜の木を眺めていた。催眠術にでもかかってしまったかのように桜の木から目が離せない。どこか嗅いだことのあるような匂いがするが、以前ここに来た時に香っていた香りだろう。
目を閉じて、以前のように桜の木に触れる。頭に思い浮かぶのはやっぱり、失った最愛の恋人のこと。それから、頭の中を駆け巡るのは天真爛漫なユウミの笑顔。二人の人間が代わる代わる現れては消えていく。二人は性別も年齢も全然違うのに、私の心の大きな部分を占めている。ユウミにいたっては、つい最近出会ったばかりなのに、どうしてこんなにも心が持っていかれるのだろう。

心に浮かんだ疑問が解決することもないまま、私は桜の木から手を話した。生きている人間とは違うのに、木から離した掌がじんわりと温かい。不思議な感覚に襲われながら私はつつじが丘公園を後にした。