春が近づくにつれ、彼女の身体は衰弱していった。目で見てわかるぐらいに痩せ細っていた。原因不明の病なはずがない。もしも彼女が人間なら、何かしらの病名がついていたはずだ。しかしすべての医者が難色を示すということは、やはり彼女がただ者ではないということを物語っていた。

つつじヶ丘の桜の木が切られるのは2月末。あと一週間もない。私は何かにとりつかれたように市役所へと向い、公園課の人に話を聞いてもらおうと必死だった。学校も行かず毎日市役所で桜を切らないでほしいと訴えた。

「お願いします! つつじヶ丘公園の桜の木を切らないでくださいっ」

「うーん、そう言われてもねえ……もう決まっていることだからごめんね」

「そんな……」

子供の意見など通るはずがない。話を聞いてくれただけでもラッキーなんだろう。公園課の人たちの困ったような顔が脳裏に焼きついた。私の訴えることは、この人たちにとっては迷惑でしかない。すでに決定したことを再検討するような時間は彼らにはないのだ。

「分かりました」

なすすべもなく、私は首肯するしかなかった。憐むようなまなざしを向けてきたお姉さんが「お気をつけて」とせめてもの気遣いを見せてくれる。
市役所を出ると、街を行き交う人々がいつもと変わらない日常の中に溶け込んでいた。そろそろ学校に行かないと、と思うのに私は全身から力が抜けてその場から動けなかった。


「結奈、ちょっと結奈!」

あれからどうやって家に帰ったか覚えていない。ふらふらとした足取りで家に着き、布団の中で眠るユウミの横で、私は気絶したように突っ伏していた。

お母さんが仕事から帰ってくるなり私の部屋に上がり込んできた。

「……ん」

重たい身体を起こし、母の声が響く方へと顔を向ける。そこには怒っているような、心配しているような母の顔があった。母がこんな時間に家に帰ってくるなんて珍しい。原因ははっきりしていた。

「さっき横川先生から連絡があったの。最近学校に行ってないって……どうして?」

子育てに関し、基本的に寛容な母だった。それもこれも、片親に余計な心配をかけてはいけないという私の気持ちが伝わっていたからだろう。だけど、この時の母は自分の想像を超えた行動をとる私をどう扱ったらいいのか分からずに戸惑っているようだった。

「別に大した理由じゃないよ。気乗りしないだけで。ユウミの面倒を見たいって思って」

「本当に? ユウミちゃんのことは確かに心配かもしれないけど、今まで学校をサボったりすることなんか、なかったじゃない」

これまで一生懸命育ててきた我が子が、自分の掌からこぼれ落ちていくような感覚を、きっと母は今噛み締めている。私はそんな母から視線を逸らして呟いた。

「私にだって、気分はあるよ」

それ以上のことは言えなかった。まさかユウミがつつじヶ丘公園の桜の木で、もうすぐ伐採され消えてしまう存在だなんて、話したところで信じてはくれないだろう。

「気分っていうのは分かるわよ。でも学校に行かないなんて、心配するじゃない。何か悩みがあるんだったらお母さんに相談して」

「……相談なんてできない」

「え?」

「だから、誰にも相談なんてできないっ。私には佳道しかいない! 彼にしか、こんな悩み打ち明けられなかった……」

その瞬間、母の歪んだ顔が脳裏に焼き付いて離れなくなった。
佳道の名前を出すと、母は決まって悲しそうな顔をする。私がまだ立ち直れていないことを自覚してしまうからだろう。
私はこの先一生、佳道のことを忘れらない。
彼の代わりになる人を見つけられない。
いや、代わりなんていないのだ。
佳道以上に、私を理解し愛してくれる人など、これから先現れない。

「佳道くんは、もういないのよ」

ぽつん、と置き忘れた砂時計を今更ひっくり返すような感覚で母が放った。その言葉に、私は胸を突かれたようにその場から動けなくなった。しかし何かに操られたかのように側で眠っているユウミをそっと抱き抱え、母を押しのけて部屋から出ようとした。

「どこに、行くの」

「……関係ないでしょう。お母さんには私の気持ちなんて、分からないよ」