真冬のつつじヶ丘公園は草木が枯れていかにも冬という風景を映し出している。私は冬の物寂しい風景が好きではない。だからこの季節に自分から好んでつつじヶ丘公園に来ることはほとんどなかった。

厚手のコートを着たユウミをおんぶして、小高い丘をのぼってきた。ユウミは「自分で歩くよ!」と足をバタバタさせたが、私は断固として拒否した。ずっと寝たきりだったユウミが、自分の足で丘を上るなんて不可能だ。それに、彼女の身に何かあったらと思うと私は気が気でなかった。

「わあ、すごい……」

公園に着くとユウミは目下に広がる街の風景に目を奪われていた。家に引きこもってばかりだった彼女にとって、景色の良いつつじヶ丘公園に胸が踊っているようだった。

「春になったらツツジが咲いて、もっと綺麗になるよ」

「へえ〜見てみたいなぁ」

目を輝かせてうっとりとするユウミ。4月になったら彼女を連れてもう一度ここに来よう。きっと今以上に喜んでくれるはずだ。
私は周りを見回して、閑散とした風景の中に普段は見られない人工的なものが公園の中にあるのが目に飛び込んできた。

「あれ……」

それは、つつじヶ丘公園にたった一本植えられた桜の木の周りに設置された工事用の柵だった。

「この桜、もしかして……」

私が例の桜の木に視線を這わせていると、「うそ……」とユウミが呟く声が肩越しに聞こえた。

「結奈、降ろして」

「え?」

おんぶ状態だったユウミが、その場に降ろすようにお願いしてきた。だが、やはり彼女を一人で立たせるのには抵抗がある。私が渋っていると、彼女が身体を仰け反らし、私は反動でよろけてしまった。
その隙に彼女は私の背中から地面へと飛び降りる。両手をついてしばらくもがいていたが、よろめきながらなんとか立ち上がる。私はため息をついて、そんな彼女の身体を支えた。

「ありがとう」

「無理しないでよ」

こっくりと頷いた彼女は、頼りない足取りで一歩一歩桜の木に近づいていった。
工事用の柵の目の前までやってきて、私は息をのんだ。
柵のところに、「お知らせ」と書かれた一枚の紙が貼り付けられている。
そこに記された内容に、私は目を疑った。

“公園を整備するため、桜の木を伐採することにいたしました。伐採時期:2月末“

たったそれだけのシンプルな内容だった。お知らせの出所は市役所だ。誰かのいたずらなんかじゃない。だからこそ、私はやるせなさに息がつまりそうだった。

「ああ……」

ユウミが、嗚咽にも似た声を漏らす。彼女の絶望したような声を聞くのは初めてだった。どうしてユウミは泣いているのだろうか。ここに来たのは初めてなのではないのか。私だって、桜の木の存在は最近知ったのだ。伐採されるのは確かに悲しい。だけど、彼女が悲しむ理由が私には分からなかった。

ユウミはしばらくじっとその場から動かずに、ただひたすら涙を流し、桜の木を見つめていた。彼女はよっぽど感受性が豊かなのだろう。私はそう自分の中で結論づけ、ユウミの気持ちが落ち着くのを待った。

そうしてしばらく経った頃、ユウミが私の隣でポツリと呟いたのだ。

「私、思い出した」

ガクガクと身体を震わせながら、ものすごい勢いで引っ込みかけていた涙を流し始める。
ユウミは今、なんて言った?
確か、思い出したって。
それって、ユウミが失くしていた記憶のこと……?

私はごくりと唾を飲み込んで彼女の次の言葉を待った。

「結奈、私はこの桜の木だった(・・・・・・・・)……ああ、ああっ!」

突然、頭を抑えて激しく呻き声をあげるユウミ。私は何がなんだか分からなくて、とにかく「大丈夫!?」と声をかけるので必死だった。

「私、私はずっと、この場所で、この街の人を見てきた……!」

記憶の欠片が彼女の頭の中にどんどん集合していくように、ユウミは思い出したことを口々に口走る。

「何百年も前から……みんな、心にいろんな傷を抱えて、ここに来たの。私の肌に触れて、『ねえ聞いて』って胸の内を話し出すの。愛する人を戦争で失うかもしれない。不治の病でもう永くないかもしれないって。そんな人たちの嘆きや悲しみを、私はずっと聞いてきたんだっ」

うう、とその場にうずくまり溢れ出る涙を抑えられない様子だった。
私は、彼女の口から溢れ出る真実にただ呆然として、返す言葉が見つからなかった。

ユウミが、この桜の木だった……?
信じられない。あまりにも現実離れしている。普通の少女の姿形をしたユウミが桜の木だなんてそんなことあるわけない。
……でも。
同時に、これまでユウミを取り巻く不自然な現象を思い出す。
二年生の終業式の日の翌日、突然私の部屋に現れたユウミ。記憶がない、さらに警察には行きたくないとひたすら拒んでいた。私は彼女の願いを聞き入れ、彼女の記憶が戻るまで待とうと決めた。ユウミは幼く見えるけれど、誰よりも私の心の隙間に入り込み、私の本音を引き出してくれた。体調が悪くなってから、原因が分からずに困惑した日々。もしその体調不良が、これからこの桜の木が切られることに起因するものだとしたら……?

背筋の毛が一斉に逆立つのを感じた。私は自分の肩をかき抱く。ありえない出来事が目の前で起こって、信じられるのは自分の実体だけだった。
私以上に苦しい思いをしているはずのユウミが、涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向ける。

「……結奈、私はもうすぐ消えてしまう」

目の前が真っ暗な闇に包まれたかのように、鈍い衝撃と共に私の頭はフリーズした。
ユウミが、消えてしまう。
両手からこぼれ落ちそうな様々な感情を織り混ぜて、私は首を横に振る。
けれど彼女は、そんな私に重ねるようにして目を瞑りゆっくりと首を振り続けた。