*
木枯しが校庭の砂を巻き上げる。寒々とした風景を、教室の窓から眺めていた。母とユウミのことで喧嘩をしてからさらに2ヶ月が経過した。ユウミの体調はまだ良くならない。それどころか、ずっと床にふせっているようになった。以前はまだ週に一、二日は体調が良い日があったのだが最近は布団から起き上がることさえできない。私は学校に行く前と帰ってから、ひたすらユウミの横で彼女を看病する生活が続いていた。
教室では受験組が昼休みにも必死に机にかじりついている。
母子家庭で育った私は進学はしないつもりだった。春になればすぐにでも働こうと思っている。そのことを母に伝えると、初め母は反対したが、私がどうしてもと言って聞かないので就職することを許してくれた。もうすぐ就職先の面接があるけれど、指定校推薦のようなものなので、それなりに学校の成績がいい私は先生から「多分大丈夫だろう」と言われていた。
この時期になると教室の中の空気が受験組と就職組で二分される。就職先の決まった連中たちが昼休みに騒いでいると、勉強をしているクラスメイトから鬱陶しそうな視線を向けられる。私はそれが嫌で、昼休みには常に読書をするようにしていた。
「花木ってさ〜」
私が自分の席でいつものように本を読んでいると、隣の誰もいない机にお尻を乗せて足を組んだクラスメイトの川村さんがわざとらしく私に話しかけてきた。忘れもしない、三年生の始業式の朝、佳道のことで私を馬鹿にしていた記憶が蘇る。
結局、あの子が殺したようなもんでしょ。
胸に消えない傷を植え付けて謝りもしなかった彼女の気配に、私はさっと身を小さくした。
「何聞こえないフリしてんの? あんたってさ、一人っ子なのに家で小学生の女の子と暮らしてるんでしょう? 彼氏が死んじゃったからって、女の子誘拐して寂しさを紛らわせようだなんて最低」
川村さんが下品な声で私の頭上から心ない言葉のシャワーを浴びせた。泥水にむせそうになる。どうしてユウミのことを知っているのか、という疑問よりも、この後に及んでまだ彼女がそんな嫌がらせをしてくることが理解できなかった。
川村さんの取り巻きたちも、そばでクスクスと笑っている。私が嫌がらせをされているのを、受験組は見て見ぬフリをしている。教室の空気が暗く淀んでいた。私ははっと思い出した。確か二年生の秋に佳道がとある女子から告白をされたと言っていた。名前までは聞かなかったが、彼女がいると知って告白できるような気の強い女の子はそうそういない。
川村さんだと思った。彼女は、佳道のことが好きだったんだ。
「……うるさい。関係ない、でしょ」
精一杯の抵抗の気持ちで川村さんを拒絶する。その言葉が意外だったのか、川村さんは「はあ?」と頓狂な声をあげた。
その日からだ。私は川村さんとその取り巻きたちに、毎日のように嫌がらせを受けるようになった。上履きを捨てられたり体操服を隠されたりするのはまだマシなほう。ひどいのは、私の机に「人殺し」「佳道くんを返せ」と落書きされていたことだ。
毎朝、机の上の罵声をきれいな雑巾で拭いた。
返してほしいと思っているのは私の方だ。
佳道を返して。どうして神様は私から彼を奪ったんだろう。
私がどんな悪いことをしたと言うんだろう。
行き場のない怒りと、川村さんに言い返せないやるせなさで胸がいっぱいいっぱいだった。
担任の横川先生が事の重大さに気づき、川村さんたちを叱ってくれたけれど、彼女たちにその程度のお叱りはまったく効かなかったらしい。次の日には女子トイレに閉じ込められ、上からバケツで水をぶっかけられた。
家に帰ってもユウミのお世話で心休まる暇はない。
お母さんにはいじめのことを伝える勇気がなかった。
教室と家庭で心をすり減らし、いよいよ本格的な受験シーズンがやって来た頃、私は無意識に屋上へと登っていた。
屋上の鍵は普通は開かないようになっているはずだが、階段を登ると扉の鍵が壊れていて、ギイという音を立てながら扉はゆっくりと開いた。
肌に突きつける真冬の風が、身体の芯を凍てつかせる。すぐに手足の先の感覚がなくなり、耳は氷柱に刺されたかのように痛かった。だけど、身体の痛みよりも激しい心の痛みに苛まれていた私は、一歩、また一歩と冬の空の方へと足を踏み出す。
フェンスの一角が壊れていた。
無意識のうちに、その壊れたフェンスの元へと足が向いている。越えてはいけない一線を越えると、一層寒々とした空に近づいた気がした。足元を見ると、気が遠くなりそうなほどの虚空が広がっている。私はその場で「ううっ」とえずき、その場にへたり込んだ。
佳道の元へ、行きたかった。
ここから飛び降りれば、多分彼に会える。彼のそばで、永遠に二人だけの時間を過ごすことができる。そこにはいじわるなクラスメイトはいないし、身が竦むような孤独は感じられない。
永遠に、彼の隣で愛を誓う。
そんな未来が欲しくて、ここまでたどり着いたのに。
「佳道……会いたいよ」
どんなに叫んでも、彼の魂には届かない。
私には、一歩踏み出す勇気がなかった。佳道をたった一人で逝かせてしまったのに、私はなんて薄情なんだろう。
気がつけばチラチラと降る雪が地面にまだら模様をつくっていた。私は、頬に触れる冷たい雪に身を縮こませながら、またふらふらとした足取りで屋上を後にした。
木枯しが校庭の砂を巻き上げる。寒々とした風景を、教室の窓から眺めていた。母とユウミのことで喧嘩をしてからさらに2ヶ月が経過した。ユウミの体調はまだ良くならない。それどころか、ずっと床にふせっているようになった。以前はまだ週に一、二日は体調が良い日があったのだが最近は布団から起き上がることさえできない。私は学校に行く前と帰ってから、ひたすらユウミの横で彼女を看病する生活が続いていた。
教室では受験組が昼休みにも必死に机にかじりついている。
母子家庭で育った私は進学はしないつもりだった。春になればすぐにでも働こうと思っている。そのことを母に伝えると、初め母は反対したが、私がどうしてもと言って聞かないので就職することを許してくれた。もうすぐ就職先の面接があるけれど、指定校推薦のようなものなので、それなりに学校の成績がいい私は先生から「多分大丈夫だろう」と言われていた。
この時期になると教室の中の空気が受験組と就職組で二分される。就職先の決まった連中たちが昼休みに騒いでいると、勉強をしているクラスメイトから鬱陶しそうな視線を向けられる。私はそれが嫌で、昼休みには常に読書をするようにしていた。
「花木ってさ〜」
私が自分の席でいつものように本を読んでいると、隣の誰もいない机にお尻を乗せて足を組んだクラスメイトの川村さんがわざとらしく私に話しかけてきた。忘れもしない、三年生の始業式の朝、佳道のことで私を馬鹿にしていた記憶が蘇る。
結局、あの子が殺したようなもんでしょ。
胸に消えない傷を植え付けて謝りもしなかった彼女の気配に、私はさっと身を小さくした。
「何聞こえないフリしてんの? あんたってさ、一人っ子なのに家で小学生の女の子と暮らしてるんでしょう? 彼氏が死んじゃったからって、女の子誘拐して寂しさを紛らわせようだなんて最低」
川村さんが下品な声で私の頭上から心ない言葉のシャワーを浴びせた。泥水にむせそうになる。どうしてユウミのことを知っているのか、という疑問よりも、この後に及んでまだ彼女がそんな嫌がらせをしてくることが理解できなかった。
川村さんの取り巻きたちも、そばでクスクスと笑っている。私が嫌がらせをされているのを、受験組は見て見ぬフリをしている。教室の空気が暗く淀んでいた。私ははっと思い出した。確か二年生の秋に佳道がとある女子から告白をされたと言っていた。名前までは聞かなかったが、彼女がいると知って告白できるような気の強い女の子はそうそういない。
川村さんだと思った。彼女は、佳道のことが好きだったんだ。
「……うるさい。関係ない、でしょ」
精一杯の抵抗の気持ちで川村さんを拒絶する。その言葉が意外だったのか、川村さんは「はあ?」と頓狂な声をあげた。
その日からだ。私は川村さんとその取り巻きたちに、毎日のように嫌がらせを受けるようになった。上履きを捨てられたり体操服を隠されたりするのはまだマシなほう。ひどいのは、私の机に「人殺し」「佳道くんを返せ」と落書きされていたことだ。
毎朝、机の上の罵声をきれいな雑巾で拭いた。
返してほしいと思っているのは私の方だ。
佳道を返して。どうして神様は私から彼を奪ったんだろう。
私がどんな悪いことをしたと言うんだろう。
行き場のない怒りと、川村さんに言い返せないやるせなさで胸がいっぱいいっぱいだった。
担任の横川先生が事の重大さに気づき、川村さんたちを叱ってくれたけれど、彼女たちにその程度のお叱りはまったく効かなかったらしい。次の日には女子トイレに閉じ込められ、上からバケツで水をぶっかけられた。
家に帰ってもユウミのお世話で心休まる暇はない。
お母さんにはいじめのことを伝える勇気がなかった。
教室と家庭で心をすり減らし、いよいよ本格的な受験シーズンがやって来た頃、私は無意識に屋上へと登っていた。
屋上の鍵は普通は開かないようになっているはずだが、階段を登ると扉の鍵が壊れていて、ギイという音を立てながら扉はゆっくりと開いた。
肌に突きつける真冬の風が、身体の芯を凍てつかせる。すぐに手足の先の感覚がなくなり、耳は氷柱に刺されたかのように痛かった。だけど、身体の痛みよりも激しい心の痛みに苛まれていた私は、一歩、また一歩と冬の空の方へと足を踏み出す。
フェンスの一角が壊れていた。
無意識のうちに、その壊れたフェンスの元へと足が向いている。越えてはいけない一線を越えると、一層寒々とした空に近づいた気がした。足元を見ると、気が遠くなりそうなほどの虚空が広がっている。私はその場で「ううっ」とえずき、その場にへたり込んだ。
佳道の元へ、行きたかった。
ここから飛び降りれば、多分彼に会える。彼のそばで、永遠に二人だけの時間を過ごすことができる。そこにはいじわるなクラスメイトはいないし、身が竦むような孤独は感じられない。
永遠に、彼の隣で愛を誓う。
そんな未来が欲しくて、ここまでたどり着いたのに。
「佳道……会いたいよ」
どんなに叫んでも、彼の魂には届かない。
私には、一歩踏み出す勇気がなかった。佳道をたった一人で逝かせてしまったのに、私はなんて薄情なんだろう。
気がつけばチラチラと降る雪が地面にまだら模様をつくっていた。私は、頬に触れる冷たい雪に身を縮こませながら、またふらふらとした足取りで屋上を後にした。