「原因不明ですね」

「そんな……」

ユウミが熱で臥るようになってから早くも半年が経過した。制服が長袖から半袖に変わり、また長袖へと移行していく時期だ。周りのクラスメイトたちは皆迫りくる大学受験に備え、以前よりも教室の中を漂う緊張感が増していた。

私はなかなか症状の良くならないユウミを母と一緒に病院へと連れて来た。ユウミはいまだに家出少女のまま、もうほとんど花木家の子供として生活していた。当然彼女の保険証など持っていないので、もちろん自費だ。それでも、ユウミの体が良くなるなら安いものだった。しかしどこに病院に行っても原因が分からないと首を振られるばかり。今日は大学病院で検査をしてもらったものの、ユウミの身体にはどこにも異常がないらしい。結局、生活習慣に気をつけてくださいとだけ言われ、解熱剤をもらって病院を後にした。

「また、無駄に検査費用かかっちゃったね。ごめんね……」

ケホケホと小さく咳き込みながら申し訳なさそうに目を伏せるユウミ。私はお母さんと視線を合わせ、ユウミの背中を撫でた。

「これぐらい大丈夫よ。将来働いて返してくれたらいいから。それより早く治さないとね」

「……ありがとう」

目尻に涙を浮かべ、ユウミはすっと目を閉じた。身体が疲れているのだろう。私は彼女を抱き抱えるようにして母の運転する車に乗った。


「ねえ結奈。私やっぱりユウミちゃんのこと、警察に相談しようと思うの」

その日の夜、寝る前にホットミルクを飲んでいた私のそばにやって来たお母さんが真剣なまなざしでそう告げた。

「警察って、どうしてまた?」

これまで何度もユウミのことを警察に伝えるべきかは悩んできた。でもその度にユウミから強い抵抗に遭ってきたのでできなかった。母も母で、「ユウミちゃんさえ良ければずっと家にいたらいいよ」って言ってくれていたのに、急にどうして。

「私も色々考えたのよ。最初はユウミちゃんの希望通りにしようって思ってた。なによりあなたが佳道くんを亡くしてから塞ぎ込んでいたから、良い刺激になるんじゃないかって思って。でももう半年も経つんだし、そろそろ大丈夫じゃないかなって……」

母は母なりに私に対して思うところがあったんだろう。ユウミのためを思って、ということ以上に、私を心配してユウミをそばに置いていてくれた。確かに、佳道を失ってからもしユウミに出会わなければ今頃私はどうなっていたか分からない。だからユウミと、ユウミの世話までしてくれているお母さんには感謝している。
だけど、少しだけ引っかかるところがあった。

「ユウミは佳道の代わりじゃないよ。ユウミがいても、佳道がいなくなった現実は変わらないし、たぶん私の傷も一生治らないっ。それなのにユウミまで私のそばから引き離そうっていうの? そんなのってないよ……!」

確かにユウミには今まで散々助けられた。彼女がいなければ、失ったものの大きさに今頃押しつぶされていただろう。不謹慎だが、佳道の後を追おうとさえ思ったことがある。思いとどまれたのは家で私の帰りを待っているユウミのおかげだ。
でも、だからと言って私の中で佳道の存在が小さくなったかと言えばそうではない。
むしろ、日を追うごとに彼の存在感は増して、佳道がどれだけ私を大切にしてくれていたかを身に染みて感じるのだ。
それなのに、もう大丈夫だなんて。
お母さんが、私のことをそんなふうに思っているなんて、信じたくなかった。

「私だってもう、いっぱいいっぱいなのよ!」

私が再び口を開きかけたときだ。
母の叫びが、身を焼くような痛みを伴って真っ直ぐに飛んできた。

これまで幾度となくユウミに優しく微笑みかけ、「ずっとうちにいていいのよ」と声をかけてきた母とは正反対の、渦を巻くような激しい拒絶だった。

「私が近所の人からどれだけ白い目で見られてるか分かる? 最初は少しだけだと思ってユウミちゃんをうちに置くことにしたの。周りの人には親戚ですって言えば納得してくれたけど、いつまでもうちにいるからだんだん変だって思われるようになってるのよ……。そんなこと気にしなくたっていいって思ってたけれど、とうとう職場の人間にも伝わって、どうなってるのかって問いただされて……。もちろんごまかしたわ。でも下手すれば私は犯罪者で、仕事だっていつクビになるか分からなくなるわ。そんな状態でずっとユウミちゃんをうちに置いておくなんてできないっ」

私は思考がついていかず、返す言葉が見つからない。
母はずっと一人で、身を粉にして働いてくれていた。そんな母が、ユウミのことを受け入れてくれただけでも感謝すべきだ。何も考えていないようなのんびりとした母親だけれど、本当は一人で悩んでいたのだ。私はそんなこともつゆ知らず、自分の辛さにかまけて無理なお願いを押し通した。
胸が張り裂けそうな気分とは、このことだ。

「ごめんなさい」

口をついて出てきた陳腐な言葉に、母は熱していた気持ちが少しだけ冷めたようだ。

「……いや、お母さんこそ熱くなってごめん」

どうすればいい? 
私は、お母さんは、お互いの精神をすり減らしながらユウミを手放すか置いておくか、究極の選択の狭間で揺さぶられている。
こんな時こそ、佳道の意見を聞きたい衝動に駆られる。彼ならば、私とお母さんが幸せになる最善策を夜通し一緒に考えてくれるだろう。そして当たり前のように最適な答えを見つけてくれるのだ。
私は、自分がこれまでどれだけ大きなものに包まれていたのかを実感する。
佳道はもういない。
痺れそうなほどの痛みと闘いながら、私は絞り出すような声で母に告げた。

「ユウミの体調が良くなるまで、警察に行くのは待ってほしい……。体調が戻ったら、ユウミを説得するから……お願いします」

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔面を、テーブルに押し付けるようにして頭を下げた。冷たい木の感触に、つつじヶ丘公園で触れた桜の木を思い出す。あの桜は、びっくりするほど温かかった。
佳道を失ってから私が求めていた温もり、そのものだった。