よく晴れた空は、どうして残酷なほど清々しい青をしているのだろう。
見上げる視線の先にはわたがしのような雲が浮かんでいて、つがいになった鳥たちが雲と重なって駆けていく。その優雅な空の協奏曲(コンチェルト)が胸の中の重しを余計重くした。

「あー、もう二度と恋なんかしないっ!」

少女漫画で一度は目にしたことのある台詞が、まさか自分の口から出てくるなんて思ってもみなかった。漫画の中の主人公は、「もう恋しない」と言いながら数ヶ月も経てばころっと新しい恋に落ちるのが相場だ。
だけど私は本当に、心の底から、たとえ世界がひっくり返っても、二度と恋をしない(・・・・・・・・)自信がある。

自宅から歩いて10分ほどの小高い丘の上にある「つつじヶ丘公園」で、私は一人溢れ出る彼への恋慕の残骸を拭きれずにいた。
高校の合格発表の時に出会って以来、一年生で同じクラスになってから、私の彼だった秋葉佳道(あきばよしみち)とは二年間もずっと一緒にいた。文字通り、“ずっと一緒”だった。登下校はもちろんのこと、学年が変わって違うクラスになってからも、休み時間には必ず彼のもとへ行き、英語の先生がスパルタすぎてきついだとか、次の体育は見学だから上から見ててよ、私も見上げるから、とか他愛のない会話をした。

家に帰ってからはメッセージアプリで永遠とやりとりをし、夕飯を食べている最中に母親から「行儀が悪い」と怒られたり、夜中にこっそり家を抜け出して彼と落ち合ったり。
決して自由とは言えない高校生ではあるものの、こんなにも彼に夢中になり、彼と同じ時を過ごし、彼も自分と同じ気持ちになっていることを自覚して幸せな気持ちになれるなんて、高校に入る前の自分には想像すらつかなかった。

でも、私が全身全霊をかけて恋をした彼は、つい一週間前に交通事故に遭って死んだ。
たまたま私が職員室に用があり、いつもよりも早く家を出たので佳道とは別々に登校をした日だった。彼は、居眠り運転をしていたサラリーマンの車が歩道に突っ込んできたとき、交差点で信号が変わるのを待っていた。サラリーマンは事故直前に目を覚ましたらしいが、とっさのことでブレーキではなくアクセルを踏んでしまったという。この話を、私はおよそ現実味のないふわふわとした感覚の中で聞いたので、もしかしたら事実とは違う部分があるかもしれない。だけど大事なのはそこじゃない。彼が死んでしまったという事実だけはどう足掻いても変わらないのだ。そこに至るまでの過程なんて言ってしまえばどうでも良かった。

ただ、私の生きる現実に、もう彼はいないということ。
それだけが、たったそれだけの事実が、容赦なく私を暗闇へと突き落とす。彼の通夜と葬式が終わり、友人たちがようやく彼の死を受け入れたこのタイミングで、私だけが一人、途方もなく長い線路の上に放り出された気分だった。歩いても歩いても次の駅は見えてこない。もはや歩く気力すらない。後ろから、超スピードで走る電車が迫ってくる。数秒後に、私は骨まで砕けて散ってしまうだろう。そんな妄想に取り憑かれていた。

少しでも気分を紛らわせようと、終業式の放課後に「つつじヶ丘公園」へとやって来た。
部活動をしていない私にとって、午前中で学校が終わった今日、放課後の時間を狭い部屋の中でやり過ごすのはあまりにも苦痛だったから。
「つつじヶ丘公園」にはその名の通りツツジの花が丘一面に咲く。とはいえ、今は3月の終わりで時期的にはまだツツジは咲いていなかった。

「あっ……」

公園のベンチで涙を拭っていると、ひらり、となにかが目の前を通り過ぎて落ちた。視線を合わせると桜の花びらだった。後ろを振り返っても桜の木はない。一体どこからこの桜はやって来たのだろう。風が髪の毛を揺らし、左の頬を撫でる。私は風の吹く方向へと振り返った。
私が座っているベンチから少し進んだところに一本の桜の木があった。満開、とまではいかないがちらほらと薄桃色の桜が咲いていた。どうして気づかなかったんだろう。不思議に思いながら、どうしてかその桜の木に吸い寄せられるようにしてそちらへと向かった。

「こんなところに桜が」

咲いている時期につつじヶ丘公園に来たことがなかったのか、17年間生きてきて初めてその存在に気がついた。
私は、まだ咲き始めたばかりの桜の木に誘われるようにして、幹を撫でた。ざらりとした感触には現実感を覚えるのに、今ここで桜の木に出会ったこと自体は幻のように感じられる。
桜の木は、不思議と体温があるかのようにあたたかかった。寒かった冬が終わり、ようやく本格的に春がやってきたせいかもしれない。それは、冷えた私の心を溶かしてくれるようだった。

「あなたも、一人なの?」

桜の木を自分と重ねてしまうなんていい加減悲劇のヒロインすぎている。けれど、私を現実から遠ざけた恋人の死から目を逸らすにはまだまだ時間が足りなさすぎた。
もちろん、返事は返ってこない。その代わり、偶然柔らかい風が吹いて、咲かけの桜の花びらがはらりと舞った。都合の良い解釈にすぎないけれど、それが肯定の意に見て取れて、私は一時的に孤独感を紛らわせることができた。

「ありがとう」

きっと神様が、惨めな私を見かねて少しでも気を紛らわせられるように桜に引き合わせてくれたんだ。そう思い込むことで、私は家路への一歩を踏み出せる気がした。