彼は、過去にそんな事をしたのだろうか。何と答えるのが正しいのか、この厄神相手に、何と言うべきなのか…… 様々な思慮、考えが脳内を駆け(めぐ)る。

「……私の、命と引き換えにされるでしょうし、犠牲と思ってはならないと、考えます。ですから……貴方に差し出します」
「そうだな。奴らはそう言うだろう。だが、お前は、それで良いのか」

 今までの信条と教え、無難な答えをそのまま口にするアマリに、厄神は更に詰める。

「……それが、私の務めですから」
「そんな模範解答は愚行だ。甘過ぎる」

 渾身の決意を、ばっさり切り捨てる厄神にアマリは唖然とした。

「まず、そんな卑劣な事を言って来る奴は、大抵、約束など反古(ほご)にする。当初の目的……厄介なお前を人族公認で殺した後、本当に大災を起こすか、起こさずとも更に何か詰めるか……どちらかだろう」
「……!! 貴方も……そう、されるのですか?」
「今、聞いているのは俺の出方ではない。お前がどうするか、だ。己の意思は無いのか」

 返す言葉がなかった。鋭く、身も蓋もない見解だが、『その通りだ』という気が起こり、感服したのだ。自身の中にもどこかで感じていた事実。だが、認めたくなくて、ずっと見ない振りをしていた……
 自身の在り方や生き方を否定する事にもなる真理。そんな刃を真正面から突き付けられ、思考が固まってしまった。

「何故、そんなに自己を軽んじる? 役目? 義務? 解らんではないが、無意味にしかならない犠牲は不毛だろう。大体、人族というのは自分本位な割に、浅はかで他力本願な者が多すぎる」
「!!」
「お前もだ。もっと自分で自身を守れ。知恵をつけ、考えろ。でないと、あらゆる者に狙われ、(しかばね)になるまで喰い尽くされ、用済みになれば()てられるだけだぞ」

 反論したかった。が、出来ない。事実、自分はそうして、この地に来たのだから。だが、ずっと行き場のなかった憤り、哀しみの火種が、少しずつ怒りに変換され、アマリの胸奥でふつふつ、と煮え始めた。どこに対するものかも、分からないまま。

「……貴方は、本当に……全て、が解るのですか?」

 低く、重い掠れた声が、荒れた桃色の唇からこぼれ落ちる。彼の腰元の刀が目に入ったが、気にならなかった。

「……私が放棄したら、多くの方が心の()る場を失うのです。混乱が起こり、治安は崩れ、まだ幼い妹に全ての(しわ)寄せがいく。だから、きっと姉様も……私を守って、下さった……」
「だが、結局、お前も贄に出されたではないか。しかも、俺のような者に……死ぬとわかっていて、だろう?」
「……そうなる原因を生み出すのは、災厄、疫病、戦ではないですか。誰だって脅威なる存在は恐ろしいですし、命惜しいもの。そもそも、その一つを起こすのは……貴方様なのでしょう!?」

 怒りを買って、拷問されるかもしれない覚悟で、アマリは言い放った。ずっと無表情だった荊祟の眉間が潜み、口角がひきつる。

「……確かに、俺だ。だが、人族の所業が良いとは思えん。お前のような女の存在が、その証ではないのか」
「……!!」

 不意を突かれ、アマリは厄神を凝視した。尊巫女という存在に対する、彼個人の考えが垣間見え、心の一番深い場所に隠していたものに、一瞬だけ触れられた気がした。しかし、()()を許し、全てを(さら)すのは危険だと、再び隠す。

「……今日、話したかったのはそれだけだ。お前の考えはよくわかった。検討し、後日、また知らせに来る」

 微動だにしないアマリを一瞥(いちべつ)し、忍びやかな身のこなしで荊祟は部屋から去っていった。彼の姿が離れから消えた後、そっ、とカグヤが心配して近づく。

「アマリ様。大丈夫ですか」
「……カグヤさん……すみません。暫く、一人にして、頂けますか?」
「……わかりました。隣の部屋におりますので、何かありましたら伺います」


 一人になったアマリは、茫然自失状態になっていた。今までは彼の事が理解出来ず混乱していたが、先程の会話で自身の事すら分からなくなってしまったのだ。
 暫く朦朧(もうろう)とした状態で座り込んでいた時――

「失礼致します。尊巫女様。少々よろしいですかな? カグヤには了解を得ております」

 襖の向こうから、落ち着きある(しわが)れた声が聞こえた。カグヤでも荊祟でも無い者の来訪は初めてだ。少し警戒したが、隣の部屋に護衛がいる状況なので、了承した。

「……どうぞ」

 襖から入って来た年長者の貫禄ある男は、自分は荊祟の側近だと名乗った。

「貴女の事は、(おさ)様から色々と聞いております。最近は毎晩、その話題ばかりで」

 彼の物言いに、少し嫌みめいたものを感じたアマリは身構えた。やはり、自分はここでも厄介者なのだと実感する。

「先程、長様が参られたでしょう? 貴女の異能がどんなものか存じませんが…… おそらく、我らに悪影響が出るのでしょうな」
「……」
「あの方は、主としては有能で(さと)い方ですが、いささか冷酷になりきれないところがあります。人族の血が混じる異種者故でしょうかねぇ」

 何と答えたら良いかわからず、アマリは沈黙していたが、彼も色々あるのだ……と思った。

「……厄界の長として、尊巫女に手をかけられない。我々家臣が亡き者にしても、贄を出したにも(かかわ)らず、いつまでも変わらない状況に人族が怒り、最悪、戦になりましょう……」

 心臓がひきつり、縮まった。確かにその可能性がある事に、アマリは気づく。血の気が一気に引いた。

「……では、どうしたら……こうして生きていても、同じですよね……?」
「貴女様ご自身が、どうにかご自身で……でございます」


 側近が出て行った暫し後、『吐き気がするので(かわや)に行きたい』と隣の部屋まで来たアマリと共に、カグヤは離れの外にある厠に訪れた。
 恥ずかしいから、という事で、いつもより少し距離をとって待機していたが、いつまで経っても戻って来ない。嫌な予感がしたカグヤは厠を覗いた。

「アマリ様? 大丈夫……」

 もぬけの殻だった。厠に窓は無いが、鍵も無い仕様だ。急いで離れの部屋に戻ったが……アマリの姿はなかった。


「長様! お取り込み中、申し訳ございません!」

 荊祟がいそうな部屋を回り、ようやく奥座敷で数人の家臣といるのを見つけたカグヤは、血相を変えて飛び込み、頭を下げ正座した。

「なんだカグヤ。無礼であるぞ」
「良い。申してみろ」

 カグヤの珍しくただならぬ様子に、荊祟は緊急性を察し、許可する。

「アマリ様がおられないのです! 離れの部屋にも(かわや)にも、どこにも……!」
「……それは、(まこと)か?」
「脱走……まさか逃げ延びて、人族と組んで、今度こそ長様に奇襲を企てるつもりでは……!?」
「お待ち下さい! それは杞憂(きゆう)と存じます」
「お前ごときが、我らに口答えするのか!?」

 カグヤの発言に激昂した従者達に、すっ、と手を差し出し、荊祟は『待て』とばかりに彼らを制した。

「続けろ。カグヤ」
「……あの方には逃げ場も、頼れる者もございません。武器も攻術もお持ちで無いようです。長様への奇襲は……あり得ないかと」
「まさか、あの女」

 重い声色で、最悪の事態を想定した荊祟に対し、真っ青な顔でカグヤは頷く。そのまま首部(こうべ)を深く垂れ、素早く土下座した。

「荊祟様!! そしてご家臣の方々!! どうかアマリ様をお助け下さい!!」

 雇うようになってから、初めてここまで物申した忠実な部下。荊祟だけでなく側近達までが狼狽(うろた)え、怪訝な眼差しを彼女に向けた。動揺を抑え、静かに荊祟は問う。

「……何故、そこまで?」
「あの方は……以前の私です」
「!?」
「生まれも育ちも立場も……種族すら異なる方ですが、似た苦しみを抱えておられます」

 整った美しい顔立ちを歪め、悲痛な面持ちで乞う、くノ一が語るアマリへの考えには、思うところがあった。今日、自分に発した彼女の幾つもの言葉、在り方が、荊祟の一番深い場所に刺さっていたのだ。