この厄神は、一族の長で神様ある割に、情感豊かだとアマリは思った。長である特権と余裕もあるのだろうが、実家の主である父……両親の方が、よほど取り繕った能面の顔をしていた気がする。

「承知しております」
「……お前は、民に崇められる『尊巫女』なのだな。どこまでも」

 どこか皮肉めいた口調でぼそり、と彼は呟き、口角を僅かに歪めた。


「お前を襲った輩どもから聞いた。あの尊巫女は、俺を『厄病神()』と呼んでいたと」

 あの時、そして今の自分の状況を改めて思い出し、痛みの伴う複雑な思いに絞られる。

「わざわざ此処(ここ)に送り込む位だ。相当、狡猾か酔狂な女を寄越(よこ)したのだろうな、と思っていたが……違ったようだ」

 一呼吸した後、荊祟はアマリの淡い瑠璃色の()をじっ、と凝視し、言い放った。

「『清廉な尊巫女』として、髪から爪先に至るまで培養された人族の女、だな」

 内心、情けなく思っていた自身の在り方を見抜かれ、更に言い当てられてしまった。惨めな思いが胸を締め付け、いたたまれなくなる。
 この相手に遠慮は要らぬとふんだのか、煽って自分を試しているのか、彼は痛いところばかり突いてくる。きまりの悪さが一転、少し腹立たしくなったアマリは、ずっと聞きたかった事を吐き出す。

「あ、貴方こそ……変わった神様でいらっしゃいます。贄にして喰う事も、殺す事もなさらない。……私の存在などお邪魔でしょう?」

 一寸の沈黙が流れた後、ぽつり、と荊祟は言い放った。

「どんなに忌まれようが疎まれようが、神族の長だ。無意味な殺生はしない」

 意外な彼の答えに、アマリは驚き、思わず彼の琥珀の瞳を凝視した。尊巫女として様々な人族と応対してきた彼女は、明らかに見栄を張ったり、取り繕うとする素振りや、()の色は判別出来るようになっていた。
 だが、目の前のそれは、自分に嘘偽りを()く眼差しではなかった。彼は、無差別に人族の地や命を脅かす厄病神……破壊神ではなかったのか……

「厄界の者に悪影響が出るやも知れぬし、亡き者にしたところで人族共への後始末に困る。無益でしかない」

 彼女の心中を見抜いたように、ふ、と僅かに自虐的な笑みをこぼす。その瞬間、琥珀の瞳に微かな陰りが入ったのが、アマリには見えた。心の中に小さな波紋が起こる。

「なら私は、どうしたら良いのですか……?」
「とりあえず、もう暫くの間、この屋敷に身を置け。お前の処分については、もっと家臣と話し合う必要がある」

 またアマリは少し意外に思った。この一族の長は、重要事項を独断で決めない。少なくとも、彼は暴君では無いようだという事実に、彼女の中で想像(イメージ)していた()()()の像が薄れ、崩れていく。
 再び唖然とした面持ちで彼を凝視したアマリを、また不審そうに眺めた後、荊祟は改まった厳格な口振りで告げた。

「カグヤ同伴なら、今後は屋敷内をうろついても良い。(ただ)し、妙な真似はするな。悪目立ちして、界の者の反感を買ったら面倒だぞ」


 その命令を最後に、彼は忍びやかな足取りで部屋を出て行った。残されたアマリは変わらず茫然としている。心配して、そっ、と近くに寄ってきてくれたカグヤに気づき、少し躊躇(ためら)った後、恐る恐る問いかけた。

「あの……カグヤさん」
「何か?」

 いつも同じ表情で、声色すらあまり変わらない彼女の心や真意が判らず、アマリは不安だった。だが、自分の言葉一つ一つを、こうして律儀に返答してくれる対応が、今の混乱した状態では心底ありがたいと思う。

「長様は……いつも、あのような振る舞いをされるのですか?」
「あのような、とは?」
「こう……呆れたり、苦笑したり、少し哀しまれるような素振りを、貴女や家臣の方にもされるのでしょうか」

 輿()()()の夜に出会った時は、もっと非情で義務的な言動、主らしい冴えた威厳を纏っていたが、さっきの彼は少し違う人のように感じた。何というか……人形のように生きていた自分より、よっぽど()()らしい。

「いいえ。私の知る限りですが…… 基本的に冷静沈着で、毅然とされています。動じられる事はほとんどございません」
「そう、ですか……」
「貴女様には、先程の長様がそんな風に見えられたのですか」

 アマリが静かに頷くと、カグヤは少し怪訝そうな素振りを見せた。彼女は少し離れた(ふすま)越しに待機していたが、くノ一の彼女なら察知出来そうな位の変化だ。少し考えた後、カグヤは続けた。

「確かに…… らしく無いご様子ではありましたが」

 彼女の言葉で、彼――荊祟(ケイスイ)という厄病神の事がますます分からなくなり、アマリは混乱した。


 その夜の夕餉(ゆうげ)時。何時ものように、てきぱきとカグヤが支度を進める。自分も手伝う事をアマリは申し出たが、『長様から命じられた、私の務めですので』と丁重に断られた。
 こんなに勤勉で責任感の強い女性だから、あの厄病神……ケイスイも信頼しているのだろう、と今までは思っていたが、先程の彼とのやり取りで、それだけでは無いような気がしていた。新たに生まれた違和感を確かめたく、向かい合って座るカグヤに対し、アマリは思い切る事にした。
 久方ぶりに誰かと食事をしているという慣れない状況で、相手は心を許している訳ではない異種族の者…… 膳の皿が全て空になった頃、恐る恐る、切り出す。

「あの……カグヤさん」
「何か?」
「……出過ぎた問いである事を承知で……お尋ねしたいのですが」

 改まった彼女の様子に、カグヤは飲んでいた茶の湯呑みを置き、身構える。

「はい。何でしょう」
「……あの方は、人族の地に……何を、なさったのでしょう……?」

 アマリの予期せぬ問いに驚いたのか、あの厄神と同じ琥珀の大きな瞳を見開く。彼女の瞳孔は、明らかに揺らいでいた。

「……それは、あまりお知りにならない方が良いかと。貴女様にとっては気分の良い話ではありません」

 神妙な声色で律儀に返すカグヤの言葉に、ぐっ、とアマリは息を詰める。ある程度の予想は、勿論していた。今までに両親や従者から見聞きしてきた、人族を襲った数々の災厄――火災、地盤沈下、飢饉、空き巣、殺しなどの治安の悪化。
 どれが、どこまでが、彼の仕業なのか知らない。ずっと(やしろ)から出ていなかったアマリに外の状況はわからなかった。しかし、願掛けの為に、わざわざ遠くから社に訪れる悲痛な面持ちの民の姿は、数え切れない程……何度も見てきた。
 だが、何故か知りたかったのだ。あの厄神が、どんな事を、どんな力で今までしてきたのか。どんな風に生きてきたのか。無性に気になり、仕方なかった。

「……貴女の事を、とても信頼されているように見えました。家臣の方の事も気にかけていらっしゃるようで……」

 続ける言葉を失い、俯く。あの厄神は、少なくとも他者を不幸にして楽しむような、享楽的な神ではないように見えたのだ。何か致し方ない、どうにもならない理由があるのではないか、彼自身にとっても不本意な行いではないのか――あの夜、自分を助けたように。

「……以前、私はあの方に身を救われ、居場所を頂いたのです。それで勝手に恩を返しているだけの事」

 はっ、とカグヤの顔を見た。彼女の眼差しには、確固たる決意と覚悟の光が宿っている。

「アマリ様もあの方に危機を救われたからなのでしょうが…… 決して貴女様の為ではありません」
「……」
「私がこのような事を物申すのも妙ですが…… よく知らぬ他者を簡単に信用し、好意的になられるのは危険でございます。対立的な立場にある者なら(なお)の事。貴女様を油断させる策略、巧みな話術やもしれません……私とて同じです」

 自分の監視役でもある眼前のくノ一を、アマリは思わず凝視した。